ノーベル生物学・医学賞1973年コンラート・ローレンツ:動物行動学に人生をかけたオーストリアの俊英

コンラート・ローレンツはオーストリアで生まれた医師、動物行動学者です。幼少期から動物の行動に強い関心を持ち、動物の固定動作の研究をしました。その当時はまだ動物行動学は軽視されがちな分野でしたが、彼の功績によって注目されるようになったのです。そして1973年にノーベル生物学・医学賞を受賞しました。

○コンラートの生まれた町

コンラート・ローレンツは、1903年11月7日オーストリアのウィーンにて誕生しました。

また、コンラートの生まれた時代はオーストリア・ハンガリー帝国という一つの国でしたが、1918年に解体され、現在はそれぞれ独立した国です。オーストリアはハプスブルク家によって支配されて来た土地でした。当時のハプスブルグ家はヨーロッパ全体でその支配力を高めていましたが、オーストリア革命によって滅びました。また、ウイーンはモーツアルトやベートーベンなど多数の音楽家を輩出したことから、音楽の都としても有名です。

○幼年期、学生時代

コンラートは、幼年期から動物に対し尋常ではないほどの関心を持っていました。彼の両親はその過剰さに対して寛容で、彼にセルマ・ラーゲルレーフの「ニルスのふしぎな冒険」を与えたりもしたそうです。そんな伸び伸びと育ったコンラートですが、父の進めにより一度はコロンビア大学で医学を学びます。しかしその間も動物に対する興味が消えることはなく、結局ウィーン大学に入学し動物学の研究をすることにしました。

○受賞に至る迄

一旦コロンビア大学にて医学を学んだ後、ウィーン大学で本格的に研究者としての人生をスタートさせました。

解剖学研究所の助教授となり、研究のパートナーとなるニコ・ディンバーゲンと野生のガチョウの研究を始めたことが、彼の研究者としての本格的なスタートでした。しかしようやく研究が軌道にのった矢先に徴兵される事となり、ドイツの軍事心理学者に任命されます。その際にナチスの強制収容所への移送を目撃し

“ナチスの完全な非人道性を完全に理解した“

引用:Wikipedia

と述べています。(引用:Wikipedia)

そのような非人道的なできごとを目撃したせいか、戻ってきた直後の研究で彼は

“摂食と交尾の推進力の圧倒的な増加と、より分化した社会的本能の衰退が非常に多くの家畜の特徴であることに気づいた”

引用:Wikipedia

という一つの結論を出しています。コンラートは、動物行動学は人間にも通ずるものがあるという主張をしていて「固体的動作パターン」という動物の本能的な行動を研究していました。固体的動作パターンとは鍵刺激とも言い、動物に一定の本能行動を引き起こさせる鍵となる刺激のことです。

※ニシコクマルガラス
※ハイイロガン

コンラートは、動物の行動を観察する事で理解できる人間にとって重要なことがたくさんあると主張をしていました。特にニシコクマルガラスとハイイロガンを観察対象とし、ハイイロガンについては刷り込みの研究を行いました。刷り込みの研究とは、動物が生活してゆく中で獲得し長期に渡って持続する学習現象の研究です。しかし、その発表には擬人化し過ぎていると言う批判が募りました。

コンラートは、動物の行動とは何より種を維持する事を前提としていると考えていました。しかし研究を進めてゆく中で動物の行動は種と言うよりも、その個体自身の遺伝子を残す為、つまりただ自分自身が生きるために生きているのだという考えへと変わっていったのです。そのため動物にメスを入れ実験する事を嫌い、あくまでも動物の行動から分かる事のみを観察しました。また、自身の飼う別種同士の犬をつがいにし、雑種を誕生させる研究も行いました。

コンラートは動物と自然をこよなく愛し、都会的な生活を嫌っていました。しかも彼は家で動物たちを放し飼いにしていたため、その生活はさぞ賑やかであったことでしょう。彼には妻と二人の息子がいましたが、そんな生活を受け入れていました。コンラートがこんなにも動物たちの生態に肉薄できたのは、研究のためだけではなく普段から動物と触れ合うことに喜びを感じていたからなのです。コンラート自身も、家族が動物たちとの暮らしを受け入れてくれたことによく感謝の意を述べていました。

そんなさまざまな研究を続けてゆくうち、ノーベル生理学・医学賞を受賞しました。また一般の人たちにも動物行動学を身近に感じてもらえるような著作や、写真集もたくさん出版しました。特に「攻撃―悪の自然誌」や「ソロモンの指環―動物行動学入門」は今でも多くの人々に親しまれる名著です。

○終わりに

コンラート・ローレンツは、動物たちは生きているからこそ生態を探ることができるのであって、ただ解剖して体を調べることには反対、という思想を持っていました。そしてそれが、彼が開拓した動物行動学という分野の醍醐味なのです。そして人間、彼自身も一種の動物であることを証明するかのように、1989年2月27日に亡くなりました。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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