ヴェルナー・アーバー:制限酵素を発見し応用した微生物学者

※画像はイメージです

ヴェルナー・アーバーは、スイス出身の微生物学者・遺伝学者です。当初は電子顕微鏡法の助手を務め、電子顕微鏡をより効率的に使うあれこれを研究していました。その後は、放射線における遺伝子への影響の研究や、制限酵素の発見とそれを応用した遺伝子組み替え技術を開発しました。これは、遺伝子工学的には、画期的な事です。それらの功績が認められ1978年同じ制限酵素について研究していたダニエル・ネーサンズとハミルトン・スミスと共にノーベル生物学・医学賞を受賞しました。

○ヴェルナーの生まれた町

※アールガウにあるレンツブルク城

ヴェルナー・アーバーは、1929年6月3日スイスのアールガウ州にて誕生しました。

アールガウ州の歴史は、非常に古くナポレオン皇帝にアールガウとして統一されたのがその始まりです。その為、統一以前からこのアールガウ一体には、文化、歴史を始めとして多くの文化が入り交じっていた事から統一以後も、あらゆる文化が残りました。

その為、地域毎に全く異なる風習が残っておりアールガウとしての共通の文化は非常に少ないです。逆に言うとそれだけ多様性が残っているのが、このアールガウの特徴でもあります。

かつてはこの一帯は、農業が盛んでしたが、産業革命以後は、製造業にその地位は取って変わられ多くの中小企業が立ち並んでいます。

また、未だに自然も豊富に残っている他、温泉やハプスブルク家の居城跡が残されている為、ヨーロッパの自然と歴史を堪能出来る場として人気のエリアでもあります。決して大きな都市は、無い物の地方都市らしい喧騒を残しています。

○幼年期、学生時代

※スイス連邦工科大学

豊かな自然に囲まれ、伸び伸びとした少年時代を送っていました。高校を卒業した後は、スイス連邦工科大学で科学と物理学を学びます。そして、ジュネーブ大学の生物物理学研究所の電子顕微鏡の助手をしつつ、1958年に博士号を取得します。ヴェルナーのキャリアは、顕微鏡の技術向上からスタートしたのです。

○受賞に至る迄

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電子顕微鏡助手となったヴェルナーは、電子顕微鏡を観察に適した状態のまま長時間保たせる仕事をしていました。生物標本を観察するためには、それらの微調整が必須です。それに加え、微生物であるウィルスや遺伝子などを観察するにはより的確な状態に保ち続けなければならず、顕微鏡の技術向上は絶対に必要でした。

ヴェルナーは、ガラクトース発酵による細菌決定因子のラムダ媒介形質導入の実験を行い、形質導入体の中に溶源性株の欠陥を発見しました。ラムダを間に入れる事で形質導入の過程でファージの一部分が細菌染色体遺伝子に置き換えられ、置換変異体になっている事を証明しました。

これによりラムダGALファージ誘導体が欠損する事により、ウィルスとしての増殖機能を失うということも発見しました。

これらの研究を通して遺伝子学者達との出会ったことから、電子顕微鏡の研究分野を離れ、以後分子遺伝学で本格的な研究を始めました。

※南カリフォルニア大学

南カリフォルニア大学のロサンゼルス校にて一旦研究の機会を経たヴェルナー・アーバー は、ファージP1の分離に成功すると形質導入を行える非常に便利なツールとなり、それにより遺伝子研究の向上にも繋がりました。

また、博士号を取得するにあたりそれら微生物の働きの論文を多数残した事から、複数の大学からオファーを受け研究機会を得る事に成功しました。これは、研究者としてこの上無い成果でした。

そんな中微生物と放射線の関係について研究する事を依頼されていたヴェルナー・アーバーは、ジュネーブへ赴くとそれらの研究に取りかかりました。当初は、ジュネーブに戻る事に思い悩んでいたヴェルナー・アーバーでしたが、手厚い研究環境が整えられている事と強い説得により戻る事を決意したのでした。

当時スイスでは、生物における放射線の関係性が非常に実り有る分野であると位置付けられ国家的にも重要な分野として位置付けられていました。その為、手厚い環境を整える事を約束したのです。

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その最も重要視されていた分野が放射線による遺伝子組み替えとそれに伴う遺伝子の破壊、損傷に伴う修復のメカニズムの調査でした。それは、人類が発展する上で重要な議題です。

大腸菌と放射線耐性株をファージラムダする事によって、ファージの増減具合ラムダの適応力について観察しました。ファージラムダの遺伝子構造を調査すると宿主への注入後急激に分解されていました。

それに加えて制限された細菌株に吸着とDNA注入後の実態を観察する為に用意したまだ使用していない未照射ファージラムダでも同じ現象が起こっている事が判明しました。

これら一連の動きは、制限酵素による物であり、それらの応用に成功した結果でした。このように国家的にも支援されながら大業を成しつつあったヴェルナー・アーバーは、スイス政府からも個人助成金を明け渡され手厚く保護されました。その為、ヴェルナー・アーバー も研究に集中する事が出来ました。

それらの功績により1978年同じように制限酵素について研究していたダニエル・ネーサンズとハミルトン・スミスと共に受賞しました。これだけ同時期に制限酵素について研究していた者が居たと言う事は、それだけ世間では、制限酵素の分野の必要性が高まっていたと言う事です。

別の機関で研究を行っていた彼等ですが、少なからず研究の状況は、耳にする事があり、お互いの研究成果が良い刺激となる事もあれば、良いアドバイスとなる事もありました。それだけ其々を注目し合っていたと言う事です。

○終わりに

制限酵素は、今や分子遺伝子学には、必需ツールであり、これらを発見し応用した事は、後世の医療技術革新に大きく影響しました。新しい発見をするには、それを支える環境に恵まれる事も重要だと実感します。

ノーベル賞による公式インタビュー

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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