ノーベル生理学・医学賞1960年ピーター・メダワー:今につながる臓器移植を発展させた研究者の熱意

ピーター・メダワーはブラジル出身でイギリスの生物学者になります。1960年に臓器移植の基礎となる組織移植の研究と後天性の免疫寛容の発見により、フランク・マクファーレン・バーネットとともに1960年度のノーベル生理学・医学賞を受賞しました。
当時、メダワーの発見は多くの研究者が臓器移植への熱意を向けるきっかけとなり、今の臓器移植について多大なる貢献をされました。そんなピーター・メダワーのノーベル受賞までの道のりについて詳しく解説していきたいと思います。

◆生年月日、生まれた町、生まれた町の概略

ピーター・メダワーは1915年2月28日、ブラジルのリオデジャネイロにてイギリス人の母親とレバノン人の父親の間に生まれました。
彼の生まれであるブラジルのリオデジャネイロは2016年の夏季五輪の開催都市です。周辺地域にはコルコバードのキリスト像やコパカバーナ海岸など美しい文化的景観・自然に囲まれており、これらの景観を称して2012年にはリオデジャネイロ、山と海の間のカリオカの景観群として世界遺産にも登録されました。その中でもコパカバーナやイパネマなど世界的に知名度のあるビーチを所有しており、シドニーなどと並んで「世界三大美港」にも挙げられるほどの都市でもあります。

◆学生時代

メダワーは1928年にマールボロ・カレッジで教育を受けました。マールボロ・カレッジとはパブリックスクールのひとつで、約170年の歴史を誇るエリート学校です。メダワーは1932年にこの学校を離れ、オックスフォード大学へ入学しヤング教授の下で動物学を学びました。オックスフォードで学士号を取得した後は医学に関連する生物学分野の研究に興味を持ちました。

◆受賞に至るまでの逸話など

メダワーは世界中でペニシリン開発が行われていた時代に、オックスフォード大学フローリー病理学研究所で研究生活に入ります。1947年にバーミンガム大学へ移った後は、牛の皮膚移植の問題、加えて牛の一卵性双生児と二卵性双生児を区別する皮膚移植について研究しました。この研究では同種の移植片であれば耐性がつき拒否反応が起きにくい現象を人工的に再現できると結論付けました。移植と成長に関するこの研究でメダワーはロンドン王立協会のフェローに選出されました。1960年、臓器移植の基礎となる組織移植の研究と後天性の免疫寛容の発見によって、メダワーはバーネットとともに1960年度のノーベル生理学・医学賞を受賞しました。免疫はウイルスや細菌といった外敵を攻撃し体を守るものになります。これが外敵ではなく自分の健康な細胞を破壊する場合があり、免疫寛容はこのような免疫の自己破壊活動が起こらない状態を作るものです。つまり組織移植されたものを味方と判断し体内の健康な細胞を破壊しないということになります。この発見は火傷の跡に皮膚を移植する時などに役に立っています。この研究により臓器移植の発展に繋がりました。
1962年には国立医学研究所へ移り、1977年から83年には王立研究所の実験医学の教授となり、その後は王立医学大学院の総長を務めました。彼の著書『若き科学者へ』はNature誌に「若い科学者たちへの本誌からのアドバイスは、ピーター・メダワーの『若き科学者へ』を読んでおけ、だ。」と絶賛され科学者にとって最良な助言だと評されています。

引用:ピーター・メダワー-Wikipedia(アクセス日2021年5月24日)

彼はノーベル賞受賞後、1965年にナイトの称号を与えられました。更に1981年にイギリスの君主によってメリット勲章を授けられました。これは科学、芸術、文学等の文化の振興、若しくは公共の福祉へ貢献があった人物に贈られます。1986年にエクセター大聖堂で行われた学術協会の会合の最中に脳出血で倒れ、メダワーは自力で話すことも動くこともできなくなった後も、妻の助けを借りて叙述や研究を続けたといわれています。

参照:ピーター・メダワー-Wikipedia(アクセス日2021年5月24日)

◆おわりに

臓器移植の研究を進歩させたピーター・メダワー。彼の動くことができなくなろうとも衰えなかった研究への熱意こそが臓器移植の発展に加え、今もなお著書を通じて科学者の助けになっているのではないでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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