ノーベル生理学・医学賞1962年ジェームズ・ワトソン:DNAを分析し分子生物学を驚異的に発展させた功労者

ジェームズ・ワトソンはアメリカの医学者です。1962年に『核酸の分子構造および生体における情報伝達に対するその意義の発見』でノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

現在の医療に欠かせないレントゲンの基礎になるX線を研究した人物としても知られています。そんなジェームズ・ワトソンの受賞までの道のりについて詳しく解説していきます。

◆生年月日、生まれた町、生まれた町の概略

ジェームズ・ワトソンが生まれたシカゴはイリノイ州最大の街で、人口の多さはニューヨーク・ロサンゼルスに次ぐアメリカ合衆国第3位です。

19世紀~20世紀に掛けてアメリカ合衆国の航空や鉄道、海運のハブとして機能だけではなく、五大湖工業地帯の中心都市としても発展した街でもあります。

かつてはニューヨークに次ぐ人口の多さを誇っていて、近郊に住むアメリカ人が仕事を求めて訪れました。ニューヨークで見られる摩天楼建築はシカゴが発祥で、アメリカの建築物に大きな影響を与えたのです。

2017年に発表された総合的世界の都市ランキングで、世界12位として評価されました。ちなみに、アメリカ国内ではニューヨーク・ロサンゼルスに次ぐ3位でした。

参照:シカゴ-Wikipedia(アクセス日2021年5月24日)

◆幼少期、学生時代

子どもの頃から頭脳明晰で探求心旺盛な男の子として知られていたジェームズ・ワトソン。

ジェームズ・ワトソンは「なぜ?」という言葉が好きで、ジェームズ・ワトソンはありきたりな回答では決して満足しませんでした。

自分の頭で理解するまで徹底的に調べた事が、後にノーベル生理学・物理学賞を受賞するまでの探求心を作り上げたのです。

世界年鑑を熟読し知識を蓄え、当時ラジオの人気番組だった「子どもクイズ」で賞金100ドルを獲得しました。獲得した賞金でジェームズ・ワトソンと父親の共通の趣味だった「野鳥観察」を楽しむために双眼鏡を購入したといいます。

ジェームズ・ワトソンはシカゴで少年時代を過ごし、8年間ホレスマングラマースクール、2年間サウスショア高校に通学しました。

15歳の時、シカゴ大学が取り組んでいた優秀な若者を募集するプログラムによって、飛び級で大学生になったジェームズ・ワトソン。生物学など関心のあるコースでは優秀な成績でしたが、それ以外では平均的な成績だったといいます。その後は大学院へ進み、学内にある自然史博物館で鳥類学の学芸員を目指す決心をしました。

シカゴ大学4年生の時に、エルヴィン・シュレディンガーが書いた「生命とは何か?物理的にみた生細胞」という本と出会います。その中で書かれていた「生命の秘密は染色体と遺伝子が関係している」事に大きな感動を覚えて、その後通学したインディアナ大学でバクテリオファージを研究していたサルバドール・ルリアの下で博士課程に進みました。

◆受賞に至るまでの逸話など

インディアナ大学で博士課程を修了したジェームズ・ワトソンは、コペンハーゲンやケンブリッジ大学にて研究を続けました。その当時には既に「生命を理解する上でDNAは大変重要な要素」と理解しており、構造を徹底的に解明する事を決心したのです。

ノーベル生理学・医学賞を受賞したDNA螺旋構造は、グアニン・シトシン・アデニン・チミンの4つの塩基、デオキシリボース(糖)とリン酸基の分子模型を使って研究した時に、X線回析データをベースにして、多くの時間と議論を重ねて発見しました。

DNA螺旋構造の発見がその後の分子生物学の発展に大きな影響を与えた事も、ノーベル生理物・医学賞を受賞する要因でした。

1962年にフランシス・クリックとモーリス・ウィルキンスらと同時にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

◆おわりに

シカゴを代表する偉人の一人として知られるジェームズ・ワトソン。X線を医療現場に活用するキッカケにもなった研究結果は現在も色あせない偉大な功績です。晩年は自身の発言により批判を集めた事もありましたが、今後は自身の研究所がある中国に拠点を構えて、中国の生物学発展を望んでいます。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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