ノーベル生理学・医学賞1965年アンドレ・ルヴォフ:バクテリオファージの研究に打ち込み、ウイルスの起源・進化について新たな解釈を広めた科学者

アンドレ・ルヴォフは、フランス出身の微生物学者です。1965年に『酵素とウイルスの合成に関する遺伝的制御の研究』でノーベル生理学・医学賞を受賞しました。
そんなアンドレ・ルヴォフの受賞までの道のりについて詳しく解説していきます。

◆生年月日、生まれた町、生まれた町の概略

アンドレ・ルヴォフは、1902年5月8日にフランスのオーヴェルニュ地方アリエ県で生まれました。

アリエの名は、県内を流れる川のアリエ川に由来しています。フランス革命の時期に出された法令により1790年3月4日に設置されました。

城や教会が多く、ラパリス城・ブルボンラルシャンボー城・シャレイユシントラ城・ムーラン大聖堂・サンピエールエサンポール修道院教会・サン・ヴァンサン修道院などが有名です。

◆学生時代

アンドレ・ルヴォフは、パリ11区のリセ・ヴォルテール(現在の高等学校)に通ったのち、パリ大学医学部に入学します。

また、同時期にはわずか19歳でパリのパスツール研究所へも入所しています。パスツール研究所では最初に科学の一般教育を受け、その後1年間を医学の勉強に費やしました。

◆受賞に至るまでの逸話など

在学中からパスツール研究所に勤務していたルヴォフは、動物学者・海洋生物学者であるエドゥアール・シャットンの元で研究に励みます。シャットンは、生物界を2つの細胞型に分類することを提案し、それぞれを「原核生物」「真核生物」と名付けた人物です。

ルヴォフがシャットンの元で行った最初の研究は「寄生性繊毛虫」に関するもので、発達サイクルおよび形態形成を詳しく観察しました。さらに原生動物の栄養についても研究を行います。1927年に博士号を取得すると、1929年からはパスツール研究所の植民地研究所長として微生物生理学部門の管理を担当しました。

1932年になるとロックフェラー財団からの助成金を受け、ハイデルベルクのカイザー・ヴィルヘルム医学研究所で1年間過ごします。この研究所には1922年にノーベル賞を受賞した生化学者のオットー・マイヤーホフが在籍しており、ルヴォフは彼の元で原生動物・鞭毛虫の「成長因子の特異性」「成長に対する定量的効果」「呼吸触媒システムにおける役割」を研究しました。

その後、1937年には再びロックフェラー財団からの助成金を受け、ケンブリッジで7か月間過ごします。ここでは、シトクロム(ヘムタンパク質)を再発見したことで知られる生物学者のデーヴィッド・ケイリンの元で学びを深めました。

パスツール研究所で学部長に任命されたルヴォフは、バクテリオファージ(細菌のウイルス)の研究に取り組みます。ルヴォフが解明した溶原菌についての研究は、その後のバクテリオファージ研究の礎となります。さらに、ウイルスと宿主の関係にプロウイルスの考えを取り込んだことによって、ウイルスの起源・進化を知る上での重要なきっかけを作りました。

生物学・微生物学に新しい風を吹き込んだルヴォフの研究は大きな影響を与えます。パスツール研究所でルヴォフの指導を受けたフランソワ・ジャコブやジャック・モノーといった優秀な研究者たちも例外ではありませんでした。

さらに、1954年からはポリオウイルスを使用した研究をスタートします。ウイルスが発生する温度と神経毒に関する実験を行い、ウイルスに感染するメカニズムの解明を目指しました。そして、非特異的因子が一次感染の発症に重要な役割を果たすことを発見します。

そして、1965年にはノーベル生理学・医学賞を受賞しました。この受賞は『バクテリオファージを使用した研究』が高く評価されたものです。また、ルヴォフに影響を受けたフランソワ・ジャコブやジャック・モノーも同時受賞しています。

ルヴォフの研究はノーベル賞だけでなく、オランダ王立科学芸術アカデミーのレーウェンフック・メダル・イギリス生化学協会のケイリンメダル・アカデミーオブメディシンのバルビエ賞なども受賞にも繋がりました。

◆終わりに

アンドレ・ルヴォフは、バクテリオファージ(細菌のウイルス)の研究で画期的な成果を挙げた生物学者・微生物学者です。長年の研究生活では後進の育成にも成功しており、ノーベル賞を同時受賞したフランソワ・ジャコブやジャック・モノーも彼の元で研究を行っていました。ウイルス研究はもちろん、優秀な研究者を後世に残した人物といえます。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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