ノーベル生理学・医学賞1974年アルベルト・クラウデ:その功績によりベルギー切手の肖像画にも選ばれたベルギーの細胞生物学者

アルベルト・クラウデはベルギーの細胞生物学者です。生化学者のクリスチャン・ルネ・ド・デューブと、アメリカ人細胞生物学者ジョージ・エミール・パラーデとともに「細胞の構造と機能に関する発見」で1974年度のノーベル生理学・医学賞を受賞しました。遠心分離法を考案したアルベルト・クラウデは、1987年のベルギー切手の肖像画に選ばれています。

そんなアルベルト・クラウデの生い立ちや受賞までの道のりを詳しくご紹介していきます。

◆生年月日、生まれた町、生まれた町の概略

アルベルト・クラウデは1899年8月24日にベルギーのリュクサンブール州で生まれました。

ベルギーは西ヨーロッパに位置する連邦立憲君主制国家で、隣国のオランダ、ルクセンブルクと合わせてベネルクスと呼ばれています。

首都ブリュッセルには主要な機関が置かれ、世界都市ランキングでは11位の都市と評価されています。

アルベルト・クラウデの生まれたリュクサンブール州はベルギーの南部に位置し、ベルギーの州のなかで面積は最大ですが最も人口密度の小さい州です。

◆幼少期、学生時代

アルベルト・クラウデの育ったベルギーのロングリエは深いアルプス山脈のふもとで常緑樹とオークの原生林に覆われ、夏には太陽の恵みがあり長く寒い冬には雪に閉ざされる地域です。アルベルトが少年のころはまだ人口が少なく、住民は全部で800人ほどでした。

アルベルトが生まれて間も無く、母が乳癌と診断され、アルベルトが7歳の時に亡くなってしまいます。学校に行く年齢ではなかったアルベルトは、小さな看護師として母親のそばで懸命に看病していたといいます。そのころ戦前の不況が続いておりロングリエからアチュに引っ越すことになりますが、その後、脳出血により半身麻痺や言語障害をおこしてしまった叔父の世話をするために再びロングリエに戻ります。

アルベルトは昼夜を問わず叔父の看病をしますが、病床にあった母の世話やこのときの経験から医師に対して感謝すると同時に尊敬もするようになり、人生やその性質、起源、また病気を研究するために医学を学びたいと思い始めます。

1928年にベルギーのリエージュ大学で医学の学位を取得し、1929年の冬にかけてベルリンに移ります。はじめはクレブスフォルン研究所で過ごし、その後ダーレムにあるアルバート・フィッシャー教授のカイザー・ヴィルヘルム生物学研究所で研究を行いました。

◆受賞に至るまでの逸話など

1930年代から1940年代にかけてロックフェラー大学に在籍中、電子顕微鏡で細胞の観察を行い、細胞の構造や機能に関する科学的な理解を深める仕事をしました。

密度によって細胞小器官を分画する分画遠心法の原理を考案し、1930年には遠心分離法によって細胞を特定の小器官に分離することに成功します。

アルベルトの行った方法は、細胞膜が壊れて内容物が溶出するように細胞をすりつぶしたものをろ過して、細胞膜以外の部分を遠心分離にかけ質量によって分離させるという方法です。

この方法により特定の質量ごとにわけられた液体が特定の細胞小器官を含んでいることを発見しました。

◆おわりに

回転させることにより得られる遠心力を利用して比重差のあるものを分離するという方法は現在でもさまざまな分野で用いられています。

アルベルトの時代に比べると機器自体は格段に進歩していますが、原理を発明した当時の技術も相当レベルが高かったのではないでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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