ノーベル生理学・医学賞1974年ジョージ・エミール・パラーデ:電子顕微鏡を駆使し生物に必要不可欠なタンパク質変換を解明した学者

ジョージ・エミール・パラーデはルーマニア生まれのアメリカ人細胞生物学者です。1974年に「細胞の構造と機能に関する発見」ノーベル生理学・医学賞を受賞しました。彼が発見したリボソームは生物にとって必要不可欠なタンパク質を生成しており、その研究を行いました。そんなジョージ・エミール・パラーデの受賞までの道のりについて詳しく解説していきます。

◆生年月日、生まれた町、生まれた町の概略

(Cityscape of Iasi Romania)

ジョージ・エミール・パラーデは1912年11月19日、ルーマニア東部のヤシで生まれました。ヤシはルーマニア北東部、モルダヴィア地方の中央に位置する都市です。ルーマニア東部の主要都市の1つで第3の都市ともいわれています。

◆幼少期、学生時代

ジョージ・エミール・パラーデの父は哲学の教授であり、母は教師でした。そんな両親を持つジョージは幼い時期から勉学に励んでいたといいます。

(TheUniversity Of Bucharest)

ジョージはルーマニアのブカレスト大学の医学部に入学しました。入学してまもなく、解剖学と生化学の教授であるフランシスク・レイナーとアンドレ・ボアヴァンの話を聞くことにより、基礎生物医学に強い関心抱いたジョージは、医学部在学中に解剖学研究室で働き始めます。ジョージは主に内科で6年間に及び、病院の研修を受けましたが、解剖学の博士論文のために、イルカのネフロンについて研究を始めました。その理由は哺乳類が海洋生物としてどのように環境に適応していくのかを構造的に理解する試みでした。ジョージはブカレスト大学を1940年に卒業し、内科の助手として短期間過ごした後、解剖学に戻りました。

◆受賞に至るまでの逸話など

第二次世界大戦中にはルーマニア陸軍の医療部隊で勤務しました。戦後はさらなる研究のためにアメリカへ渡り、ニューヨーク大学のロバート・チェンバーズの研究所で数ヶ月働いていました。電子顕微鏡の研究についてセミナーをするために来ていた細胞学者アルバート・クロードの話を聞いたジョージは、アルバートの知識、観点に魅了され、のちにロックフェラー医学研究所で一緒に仕事をするようになります。そこでジョージははじめに、細胞の分画手順に取り組み、肝臓組織の均質化と分画のための「ショ糖法」を開発しました。

1950年代中頃、新たに発見された細胞内成分の化学組成と機能的役割を定義する手段として細胞分画に戻る必要があると感じたジョージは、細胞分画を監視するために電子顕微鏡を使い構造の発見から始めることにしました。クロードのミクロソームが小胞体の断片であり、リボソームがリボ核タンパク質粒子であることを示しました。小胞体および付着したリボソームの機能についてさらに調べるために、モルモット膵臓の分泌プロセスの形態学的および生化学的統合分析を開始しました。

1960年代に分泌プロセスの研究を続け、チモーゲン顆粒の特徴付けと小胞体の大槽空間における分泌産物の分離の発見につながりました。

1960年代の半ばに、研究室は哺乳動物肝細胞の小胞体をモデルオブジェクトとして使用して、真核細胞の膜生合成に関する一連の調査を開始しました。これらの研究は、新しい膜が古い既存の膜の膨張によって生成され新しい分子が非同期的に挿入され、膨張膜全体にランダムに分布することを示しました。また非同期性は小胞体の膜タンパク質の代謝回転にも適用されます。

そして1974年に細胞の構造と機能に関する発見によりノーベル生理学・医学賞を受賞しました。彼の最も重要な発見はリボソームに関するものでした。リボソームは、あらゆる生物の細胞内に存在する構造であり、遺伝情報を読み取って生物に必要不可欠なタンパク質へと変換する細胞小器官です。

◆おわりに

今回は1974年のノーベル生理学・医学賞の受賞者、ジョージ・エミール・パラーデについて紹介いたしました。電子顕微鏡を研究に駆使し研究にいそしんだ彼の功績が今も生物に必要不可欠なタンパク質変換の基礎となっています。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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