ノーベル生理学・医学賞1975年デビッド・ボルティモア:ノーベル賞受賞後も続いている飽くなき研究への熱意

デビッド・ボルティモアはアメリカの生物学者です。1975年に『腫瘍ウイルスと細胞の遺伝物質との相互作用に関する発見』でノーベル生理学・医学賞を受賞しました。彼はノーベル受賞後も研究への熱意は恐れを知らず今なお研究を続けています。そんなデビッド・ボルティモアの受賞までの道のりについて詳しく解説していきます。

◆生年月日、生まれた町、生まれた町の概略

デビッド・ボルティモアは1938年3月7日に、アメリカのニューヨークで生まれました。彼が生まれたニューヨークは、1790年以来、アメリカ最大の都市であり、市域人口は800万人を超えロンドンと共に最高水準の世界都市です。国際連合の本部所在地でもあり、世界の政治、経済、文化、ファッション、エンターテインメントなどに多大な影響を及ぼしています。

◆学生時代

デビッド・ボルティモアが生物学への興味を示したのは高校生の時でした。メイン州バーハーバーのジャクソン記念研究所で夏を過ごし、生物学者の姿を見て憧れを持ったデビッドはスワースモア大学に進みました。生物学の専攻として始めましたが、後に化学に切り替えて研究論文を提出しました。スワースモア大学での最後の2年の間に、分子生物学者のジョージ・ストライザー博士と共に過ごし、この経験がのちの分子生物学の研究に繋がったといいます。
その後マサチューセッツ工科大学で生物物理学の大学院に通い始めましたが、動物ウイルス学の研究に取り組むことに決めました。マサチューセッツ工科大学を辞めたデビッドは、アルベルト・アインシュタイン医学校のフィリップ・マーカス博士の元で学び、コールド・スプリング・ハーバー研究所で動物ウイルスコースを受講、その後ジェームズ・ダーネル博士のポスドク研究員として動物ウイルス学を続けました。ウイルス特異的酵素を研究することで多くのことを学べることはすでにわかっていたので、アルベルト・アインシュタイン医学校でしばらく研究し、酵素学を学びました。

◆受賞に至るまでの逸話など

デビッドは大学の環境から2年半離れた後、マサチューセッツ工科大学に戻りました。その後1975年にノーベル賞を受賞しました。同じく同年に受賞したレナート・ドゥルベルコによる腫瘍ウイルスがDNAを宿主細胞のDNAに組み込むことによって作動することを発見した後、デビッドはRNAからなるゲノムを持つウイルスも宿主細胞のDNAに挿入できることを発見しました。
RNAの情報をDNAに転送できるという発見は、遺伝情報がDNAからRNA、タンパク質への一方向にのみ転送されるという一般に受け入れられているルールを修正する必要があることを意味し受賞に至りました。
ノーベル賞を受賞した後、ニューヨークでサバティカルに参加し、ウイルス学から免疫学への移行の可能性を調査し、その後は研究室の向きを変え、免疫学とウイルス学の組み合わせを追求しました。
今日では、レトロウイルスベクターを使用して免疫系を改変することに関心が集まっています。免疫学で最も重要な発見は、おそらく免疫グロブリン遺伝子を再配列するタンパク質ペア、いわゆるRAGタンパク質の同定でした。Bリンパ球の発達を調節する転写因子を調べることに変わり、重要な転写因子であるNF-κBを発見しました。

その後マウス白血病ウイルスによって不死化された細胞を主に使用して、Bリンパ球の発生を研究しました。このウイルスが細胞の形質転換と癌を引き起こす能力を調べている間に、その腫瘍性タンパク質がチロシン特異的タンパク質キナーゼであることを発見しました。これは当時ユニークな酵素活性であり、トニー・ハンターによっても発見されています。この発見により、抗がん剤の1つであるグリベックが開発されました。

◆おわりに

今回は1975年受賞のデビッド・ボルティモアについて解説いたしました。細胞の観点からノーベル賞を受賞した後でも、今なお続いている研究への熱意の冷めない生物学者のひとりといえるでしょう。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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