ノーベル生理学・医学賞1982年ジョン・ベーン:薬理学の発展に大いに貢献!実験好きのイギリスの研究者

ジョン・ベーンはイギリスの薬理学者です。1982年にスネ・ベリストロームとベンクト・サミュエルソンと共に「プロスタグアンジンという生理活性物質」の一群を発見し研究を行ったことによりノーベル生理学・医学賞を受賞しました。そんなジョン・ベーンの受賞までの道のりを詳しく解説していきます。

◆生年月日・生まれた町・生まれた町の概要

ジョン・ベーンは1927年3月29日、イギリスのウスターシャで生まれました。父親はロシアからの移民の子どもとして生まれ、母親はウスターシャの農家の娘として生まれました。

ジョン・ベーンが生まれたウスターシャは、イングランドのウエスト・ミッドランズにあります。ウスターシャはイングランドのほぼ中央にあり、ロンドンから約200㎞の所に位置する田園都市です。

◆幼少期・学生時代

ジョン・ベーンは父モーリスと母フランシスの3人の子どもの内の一人としてウスターシャで生まれました。バーミンガム郊外に住んでおり、5歳になると地元の州立学校へ通いました。
ベーンは12歳の時、両親からクリスマスプレゼントとして化学セットをもらいました。これがベーンにとって化学との初めての出会いとなります。そしてベーンはそのセットを使い化学の実験をすることに夢中になります。そして彼が最初に実験室に選んだのはキッチンでした。しかし硫化水素を含む実験を行ったときに小さな爆発を起こしてしまい、新しく塗装されたキッチンの壁の色を変色させてしまいます。それを受けて、ベーンは母親にキッチンは実験室としての使用を禁止されてしまいました。

父がそれを不憫に思い庭にベンチ、ガス、水道を備えた建物を建ててくれます。これがベーンにとって初めての実験室となりました。その後高校へと進学し1944年にバーミンガム大学へと進みました。ベーンは化学の実験がとても好きだった為バーミンガム大学では化学を学びます。ですが期待とは違い実験がほとんど行われないことに失望してしまいます。化学の教授であったモーリス・ステイシーにより大学を卒業後にオックスフォード大学で薬理学を学ぶことを勧められます。
その勧め通りベーンは、オックスフォード大学で薬理学を学び1953年には博士号を取得します。ベーンはオックスフォード大学のハロルド・バーン教授のもとで学び薬理学にさらに大きな魅力を感じることとなります。

◆受賞に至るまでの逸話など

ベーンは1960年代ごろからプロスタグランジン(体内の痛みを増幅させる物質)の研究に取り組みました。そして1969年にベーンは、感作したモルモットの肺から放出された物質がウサギの大動脈を収縮させる分子であることを発見します。ベーンはこの分子をRSC(rabbitaorta contracting substance)と命名しました。この分子はプロスタグアンジンの生合成中間体(生物が酸素を用いて合成する際の途中の物質)と考えられました。そしてこの分子は多くの研究者が、サミュエルソンが単離に成功したPGエンドベルオキシドであると考えました。
その後ベーンが発見したRSCはPGエンドベルオキシドではなくトロンボキサンであることが判明します。

ベーンは1971年にアスピリンなどの非ステロイド系の抗炎症剤プロスタグランジンの整合性を妨げることを発見しそれを発表します。ベーンはこの発表によってより注目を集めるようになります。

1973年からベーンはプロスタグランジンに生体の中にあるいろいろな組織を反応させどのような合成物ができるかを研究しました。この研究の過程で動脈を弛緩させ、血小板凝集を抑制する物質があることを発見します。この分子はトロンボキサンとは正反対の反応をしました。そしてこの分子はプロスタグアンジンではない別の物質とし、その発見に至りました。ベーンはこの分子をプロスタサイクリンと命名します。

ベーンは若くしてこれらのプロスタグアンジンに関する研究でその生合成に関係する様々な分子を発見します。そしてその後の薬理学の発展に大いに貢献することとなります。この功績が認められ1982年にスネ・ベリストロームとベンクト・サミュエルソンとともにノーベル生理学・医学賞を受賞することになります。

終わりに

ジョン・ベーンは子どもの頃から実験が大好きでした。ベーンは様々な努力を重ねながら実験をすることで人間の生命維持に欠かせない生理活性物質を発見しました。ベーンらによるプロスタグアンジンやプロスタサイクリンの発見はその後の薬学の発展に大きく貢献したといえるでしょう。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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