ノーベル生理学・医学賞 1986年 リータ・レーヴィ=モンタルチーニ:イタリアで最も愛された女性科学者

リータ・レーヴィ=モンタルチーニはイタリアの神経学者です。1986年にニワトリの胚で行った研究で、神経成長因子および上皮細胞成長因子を発見しノーベル生理学・医学賞を受賞しました。そんなリータ・レーヴィ=モンタルチーニの受賞までの道のりについて解説していきます。

◆モンタルチーニの生まれた町

リータ・レーヴィ=モンタルチーニは1909年4月22日にイタリアのトリノで誕生します。
ピエモンテ州の州都であるトリノは人口約86万人を誇る、イタリア第4の都市です。公用語はイタリア語ですが、フランスに隣接している地域のため一部ではフランス語も使用されています。
ミラノに次ぐイタリア第2の工業都市でもあり、自動車工業や航空産業の拠点でもあります。また、イタリアにおけるメディア産業の始まった都市でもあり、イタリア放送協会(RAI)はトリノで始まりました。
観光産業にも力を入れていて、トリノの観光地といえばまずサヴォイア王家の王宮群が思い当たるでしょう。こちらはかつてこのあたり一帯を支配していたサヴォイア家の王宮で、世界遺産にも登録されています。

◆幼少期、学生時代

ユダヤ人の一家に生まれたモンタルチーニは4人兄妹の末っ子で、電気技師で数学者の父親と、芸術家の母親のもとで育ちました。彼女は思春期の頃からスウェーデンの作家セルマ・ラガーロフの熱狂的なファンだったので、作家になる道も考えていました。
しかしモンタルチーニの父親は、女性が学歴や仕事を持つことは妻や母親になることの邪魔になると信じている人物でした。そのため娘のモンタルチーニが研究者になるなんて、到底理解できるはずもなく、大学に進学させるつもりもありませんでした。

自分は父親がよく思うような生き方はできないと悟った彼女は、20歳のときに父親に専門職に就く許可を求めました。そして短期間でラテン語、ギリシャ語、数学を習得し、トリノ大学の医学部に合格します。そして、大学で組織学者のジュゼッペ・レーヴィのもとで医学を学び、1936年に大学を首席で卒業しました。
その後の3年間は、神経学と精神医学を専門的に学びました。しかしこの頃彼女は、医学のみに専念するか、それとも神経学の基礎研究も並行して行うべきかを迷っていました。

◆受賞に至るまで

※ミュンヘンでのヒトラーとムッソリーニ

1938年にムッソリーニが、非アーリア系イタリア人が学業を修めることや職業のキャリアを築くことを禁じる法律を公布しました。それによってモンタルチーニも研究者になることを禁じられてしまいますが、彼女はやりたいことを諦めませんでした。
少しの間ブリュッセルにある神経学の研究所に滞在し、ドイツ軍がベルギーに侵入する前にトリノへ戻りました。そして彼女は、自宅の寝室に神経発生学の実験室を設置したのです。

彼女は自宅で研究を進めている際、発生学者のヴィクトル・ハンブルガーが1934年にニワトリの胚における四肢切除の影響について書いた記事を思い出しました。そしてちょうど同じ頃、ナチスに侵略されたベルギーから逃亡していたジュゼッペ・レーヴィがトリノに戻ってきたので、モンタルチーニは彼女とともに研究を行いました。
神経繊維はどのようにして形成され、なぜ神経系の成長を制御しているかに興味を持っていたモンタルチーニは、この自宅の実験室でニワトリの胚のニューロンを研究しました。そこでの研究は、彼女の今後の発見に繋がる重要なものでした。
第二次世界大戦中、1941年の英米空軍によるトリノ大量爆撃から逃れるためにモンタルチーニはトリノを離れました。田舎の別荘に移った彼女は、そこでもまた小さな実験室を作り実験を続けました。そして1943年にドイツ軍がイタリアに侵攻してきたため、その隠れ家からも去りフィレンツェに逃れたところで終戦を迎えました。

1944年、モンタルチーニは英米軍司令部で医師として働きます。未だに激しい戦火が飛び交う北部から、何百人もの人々がフィレンツェの戦争難民キャンプに送られてきました。感染症や腸チフスが流行し次々と人が亡くなる中、彼女は看護師および医師として懸命に従事しました。
戦争が終結してからは家族とともにトリノに戻り、大学での研究を再開します。そして1947年にワシントン大学セントルイス校で半年間を過ごし、そこであのヴィクター・ハンブルガー教授から、彼女が以前行なっていたニワトリの胚の実験をもっと続けることを勧められます。

1952年、彼女はマウスの腫瘍から採取された物質を単離させることに成功しました。そしてこの物質は、ニワトリの胚で神経系の活発な成長を引き起こしたのです。こうして成長因子が発見されました。その後、モンタルチーニはローマとセントルイスの2ヶ所を拠点に研究生活を送ります。
そして1986年、モンタルチーニが77歳のときに同僚のスタンリー・コーエンとともに、神経成長因子および上皮細胞成長因子の発見の功績によりノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

現在、神経成長因子の研究はローマ近郊の神経化学の研究センターやヨーロッパ脳研究所で続けられています。モンタルチーニは、視力や聴力をほとんど失いかけても晩年まで研究室に通い続け、2012年12月30日に103歳で亡くなるまでずっと研究者であり続けました。その当時彼女は、存命しているノーベル賞受賞者の中で最高齢でした。

◆おわりに

結婚することも子どもを持つこともなかったモンタルチーニですが「取り組むべき面白いことがあまりにも多く時間が足りなかった」という発言を残しています。女性が研究者になるだけで珍しがられ、しかも時代は大戦の真っ最中。いくら翻弄されても自身の研究に没頭するその姿勢からは、彼女が地位や名誉などのためではなく本当にただ研究を楽しんでいたことがひしひしと伝わってきます。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧