ノーベル生理学・医学賞 1989年 ハロルド・ヴァーマス:レトロウイルスの研究で癌遺伝子を発見した研究者

ハロルド・ヴァーマスはアメリカの科学者で、1989年に『レトロウイルスのガン遺伝子が細胞起源である事の発見』でノーベル生理学・医学賞を受賞しました。この受賞は、ヴァーマスと免疫学者で微生物学者のマイケル・ビショップの共同研究によるものです。今回はそんな彼らの受賞までの道のりを、ヴァーマスの側から解説していきます。

◆ハロルド・ヴァーマスの生まれた町

ハロルド・ヴァーマスは、1939年12月18日にアメリカ合衆国 ニューヨーク州のオーシャンサイドで生まれました。
オーシャンサイドは、もともとクリスチャンフックという名前でした。1674年頃にイギリスからの入植者によって作られた町で、カキの販売業で栄えました。19世紀ごろ、クリスチャンフックよりもオーシャンビルの方が耳馴染みが良いという理由で、「オーシャンビルオイスター」と命名されたカキが名産品として売り出されます。しかし、オーシャンビルという地名は既に他にあったため、こちらのほうは「オーシャンサイド」という名前になったのです。その後は1900年代に大きな転換期を迎え、南部にあった沼地が次々に埋め立てられ、住居が立ち並ぶようになったのでした。

◆幼少期、学生時代

ヴァーマスは、東欧系ユダヤ人の両親の間に長男として生まれました。父は地域医療に携わる医師で、母はニューヨーク市のソーシャルサービスワーカーでした。戦争が始まると、父がフロリダ州ウィンターパーク近くの空軍病院に配属されることになり、それに伴い一家は移住。そのころにヴァーマスの妹、エレンジェーンが生まれました。
公立の小学校に入学し、彼は読書に夢中になってゆきました。その一方で魅力的な友人に恵まれ、学校外での様々なアウトドア活動に積極的に参加します。

1957年にフリーポート高校を卒業し、アマースト大学に入学します。入学当初は医療職に就こうと考えていましたが、ヴァーマスは化学や哲学、英文学、さらには政治とジャーナリズムに関心を持つようになり、大学新聞の編集者を務めたりしていました。そして大学を卒業し、ウッドローウィルソンフェローシップの助成金を得てハーバード大学大学院に入学しました。

大学院でも引き続き英文学を専攻し、1962年に修士号を取得します。しかしそこでヴァーマスは「やはり医療や薬についての勉強がしたい」ということに気付き、進路の変更を決意します。そして同じ大学の医学部への入学希望を伝えますが、断られます。そして結局コロンビア大学の医学部(内科・外科)へ入学し、精神医学と国際医療を学ぼうとしますが、微生物学者ハリー・ローズや生化学者エルヴィン・シャルガフ、遺伝学者ポール・マークスらの講義を受け、基礎医学の道へ進むことを決めました。

◆受賞に至るまで

コロンビア大学で医師免許を取得し、インドのバレーリーにある宣教師病院に勤務し海外での医療行為を経験します。そのことについてヴァーマスは後に「医学部に入った時点の目標であった、海外での医療活動という希望が叶い有意義な時間だった」と語っています。
帰国後、コロンビア長老病院に勤務した後1968年からアメリカ国立衛生研究所で細菌学者のアイラ・パスタンの研究室に臨床助手として加わります。彼はアイラ・パスタンの元で「サイクリックAMPによる細菌の遺伝子調節の研究」を行ったことで、腫瘍ウイルス学・分子生物学をさらに追及したいと思うようになりました。そこで、ヴァーマスはカリフォルニア大学サンフランシスコ校に移り、免疫学者で微生物学者であるマイケル・ビショップと共同研究を始めます。

ヴァーマスとビショップは、「レトロウイルスの複製」「レトロウイルスがどのように動物の体内で癌を引き起こすのか」「細胞が癌に変化するメカニズム」を焦点として数多くの実験を行いました。レトロウイルスとは、RNAウイルス類の中で逆転写酵素を持つウイルスのことで、代表的なものにヒト免疫不全ウイルス(HIV)が挙げられます。そしてヴァーマスらは、『人間の癌遺伝子であるv-Srcの発見』にたどり着いたのです。
そもそも癌の原因とされるウイルスは、ペイトン・ラウスによって1911年に発見されました。しかし癌遺伝子の存在は、ヴァーマスとビショップが世界で初めて発見したのです。癌遺伝子の存在が明らかになったことで、細胞の正常な遺伝子が悪性腫瘍に変化するメカニズムの解明に一歩近づきました。

ヴァーマスとビショップは、レトロウイルスの研究により1989年度のノーベル生理学・医学賞を共同受賞しました。またヴァーマスはノーベル賞受賞後、1993年にアメリカ国立衛生研究所のディレクターに就任し、ワクチン研究センターの建設やマラリアに関する世界的な研究促進などを行います。2010年7月からはアメリカ国立癌研究所の所長を務め、癌研究をさらに発展させるための新規助成金プログラムの発足などへ尽力しました。

私生活では、1969年にジャーナリストのコンスタンス・ルイーズ・ケイシーと結婚しました。そして二人の息子に恵まれ、休日にはランニングやスキーや釣りなどのアウトドアを楽しんだと語っています。また芸術や文化を家族で楽しむこともあり、息子の一人はのちに作曲家兼ジャズトランペット奏者になりました。

◆終わりに

学生時代のヴァーマスは医学からは程遠い分野への興味があり、医学の道には進まないと思っていたのにも関わらず、結局は医学を選びます。しかも医学の世界でも元から自分が目指していた分野に拘らず、そのとき感銘を受けたものの方へ素直に移行していきました。それは一見意志が弱いようにも見えますが、柔軟な態度であらゆることを選択できるということでもあります。ヴァーマスのような姿勢は、実はとても素晴らしいことなのではないでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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