ノーベル生理学・医学賞 1990年 ジョセフ・マレー:世界で最初の腎臓移植を行った医師

ジョセフ・マレーは、アメリカ出身の外科医です。1990年に『人間の病気治療における臓器および細胞移植の研究』でノーベル生理学・医学賞を受賞しました。そんなヨセフ・マレーの受賞までの道のりについて解説していきます。

◆ジョセフ・マレーの生まれた町

ジョセフ・マレーは、1919年4月1日にアメリカ合衆国 マサチューセッツ州のミルフォードで生まれました。
ミルフォードはもともとネイティブ・アメリカンが住む地域でしたが、1662年から入植者が定住して町を作りはじめました。ネイティブ・アメリカンと入植者の武力衝突によって(フィリップ王戦争など)土地が荒廃したこともありますが、入植者たちによって再建されました。そして、1780年4月11日に正式にミルフォードという町が設立し、1819年に市庁舎が建設されました。
また、この地域では古くから「ミルフォードピンク」と呼ばれる桃色花崗岩が採石されることで有名です。この石は1870年に発見され、19世紀から20世紀にかけてはミルフォードピンクの採掘が地域経済を支えていました。ミルフォードにあるメモリアルホールやボストン公共図書館、バンクロフト記念図書館などでもミルフォードピンクが使用されています。

◆幼少期、学生時代

ジョセフ・マレーは、アイルランド系アメリカ人で地方裁判官の父と、イタリア系アメリカ人で教師である母の間に生まれました。子供のころに病気にかかり、治療してくれた医師に漠然とした憧れをもっていたと語っています。
ミルフォード高校に入学すると、化学の授業で見た元素周期表のチャートや宇宙・自然科学に強い関心を持つようになります。その一方で運動能力にも恵まれており、フットボールや野球のスター選手として活躍しました。

高校卒業後は野球に打ち込むため、ホーリー・クロス大学に入学します。しかし、野球と学業を両立することは思った以上に難しく、悩んだ末に野球をやめてラテン語・ギリシャ語・哲学・英語を学びました。
ホーリー・クロス大学を卒業した後は、ハーバード大学医学部に入学します。勉強や病院での研修でハードな日々を過ごしますが友人や教員に恵まれ、臨床を中心に学ぶび病理学者の教授の元で上皮細胞に関する研究を行いました。

◆受賞に至るまで

ハーバード大学医学部卒業後、マレーはアメリカ陸軍の医療隊に入隊し、副官としてペンシルバニア州のバレーフォージ総合病院の整形外科部門に派遣されました。

当時は第二次世界大戦の真っ只中であったため、負傷した兵士が何千人と来院しました。中でも特に多かったのが火傷を負った患者です。一般的な火傷治療であれば患者本人の皮膚を別の部位から移植して治療するのですが、負傷兵はみな重傷のため一時的な処置として他の人(ドナー)の皮膚を移植していました。
これはあくまでも緊急時の対応でしたが、この治療をした場合にのみ皮膚移植した部位が予想よりもはるかにゆっくりと拒否反応を示すことに気付いたのです。そこで、マレーはドナーの皮膚を移植した複数の患者の経過を観察し、詳細な記録を残しました。
火傷患者のケースから、組織および臓器移植の可能性を見出したマレーは「患者とドナーの遺伝的関係が近いほど、拒否反応が遅くなる」と考えます。そしてこの仮説を元にして、双生児の皮膚をお互いに移植しその経過を観察しました。その結果、双生児どちらにも拒否反応は起こらず、永続的に皮膚を保ち続けたのです。

軍医を終えたマレーは一般外科診療の研修を受け、ボストンのピーター・ベント・ブリガム病院(現在のブリガム・アンド・ウィメンズ病院)に勤務しました。その後、整形外科の技術を学ぶためにニューヨークのメモリアル病院に移り、1951年に再びピーター・ベント・ブリガム病院へ戻りました。

組織や臓器の移植についての研究を続けたマレーは、病院内で移植専門の医療チームを作りました。そして1954年12月23日にマレー率いるチームが、世界で初めての腎臓移植に成功します。その移植手術は一卵性双生児のロナルドとリチャードの間で行われ、健康なロナルドの腎臓を慢性腎炎を患うリチャードに移植しました。その結果、移植されたリチャードの腎臓は移植直後から正常に機能し、彼はその後8年間生きることができたのです。さらに、1959年には同種移植(遺伝的関係の無いドナーからの移植)も行っています。

1960年代には多くの科学者たちとの交流を深め、マレーは移植に関する研究のリーダー的な存在となっていました。そしてその頃特に力を入れていたのが、移植後の生存率を高める免疫抑制剤の研究です。さまざまな科学者たちと共同研究を行い、効果的な新薬が誕生したことにより、1965年には遺伝的関係の無いドナーからの腎臓移植の生存率も65%を超えました。

これらの人間の細胞や臓器に関する移植研究は世界的に高く評価され、マレーは1990年度のノーベル生理学・医学賞を受賞しました。
そして2001年には『Surgery of the Soul: Reflections on a Curious Career』(魂の手術:好奇心のあるキャリアに関する考察)と題した自著伝を出版しました。彼が出会った数多くの患者の中から14名が登場し、マレーが彼らの病気や怪我にどうアプローチしていったのかを紹介しています。

また私生活では、1945に大学時代からの恋人であったボビー・リンクと結婚し6人の子どもに恵まれています。妻のボビーとは、ハーバード大学を卒業する直前に訪れたボストン交響楽団のコンサートで出会ったそうです。
晩年のマレーはボストンの自宅で暮らしていましたが、2012年11月26日に最初の腎移植を手がけたピーター・ベント・ブリガム病院で生涯を閉じました。

◆終わりに

ジョセフ・マレーは世界で初めて腎臓移植に成功した外科医です。戦争で傷ついた兵士の治療からヒントを得て他人同士の身体を移植できることを発見しますが、このような偶然とも言えるきっかけが彼に訪れたことで、命を救われた人がたくさんいることでしょう。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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