ランディ・ローズ:悲劇の天才ギタリスト

ワールドワイドでの活動はわずか3年、実質的なアルバムは2枚しかないのに、これほど世界中に知られ、愛されているロックギタリストはランディ・ローズ以外に見当たりません。ヘヴィメタルの帝王、オジー・オズボーンと築き上げた伝説は永遠に人々の心に残っています。

ランディ・ローズとは

母親が音楽スクールを経営していたこともあり、早くからギターやピアノを学ぶようになります。

1975年、ランディが19歳の時に自身のバンド、クワイエット・ライオットを結成します。すでにいくつかのローカルバンドで活動していたランディのバンドということで、デビューライブには1,500人以上の観客が集まるほどでしたがプロの目に留まることはありませんでした。

世界中のレコード会社にデモテープを送ったものの、返信があったのは日本のCBSソニー1社のみ。結局、デビューアルバムはワールドワイドどころか本国アメリカでも発売されず日本限定という形になったのです。2枚目のアルバムも日本のみで発表、ライブはアメリカで行い、レコードは日本のみで発売するというちぐはぐな活動が続き、次第にクワイエット・ライオットは勢いを無くしていきます。

オジーが認めた不世出のギタリスト

そんな時、ブラック・サバスを脱退したオジー・オズボーンが、ソロプロジェクトのためのギタリストを探していることを知人から聞き、ランディ自身は、あまり乗り気ではなかったものの結局オーディションを受けることになります。

オーディションの時、すでにオジーは酔っ払っていて半ば眠っていたそうで、ギターとアンプを抱えたランディがスタジオに入ってきた時、女の子だと思ったそうです。
しかし、チューニングを終えたランディがほんのちょっと指慣らしに弾いただけで、オジーとマネージャーのシャロンは、自分たちのバンドに必要なギタリストはランディしかいないと決めたのだそうです。

まさにこの瞬間、ヘヴィメタル史上に残るスーパーバンド、ブリザード・オブ・オズが誕生したのです。

オジーとともにイギリスで制作された「Blizzard of OZ」、セカンド・アルバム「Diary of a Madman」はどちらもプラチナ・アルバムに輝き、バンドは大規模な全米ツアーを敢行します。会場はどこも満席、ロック界のカリスマ、オジー・オズボーンと彗星のように現れた新しいギターヒーローを手放しで迎えました。

ロック史上最大の悲劇とも言われる事故は、そんな中起きてしまったのです。全米各地をツアーしていたバンドは、当時、フロリダのリースバーグを移動中でした。ランディはメイクアップアーティストのレイチェル・ヤングブラッドとともに、ツアーバスの運転手だったアンドリュー・エイコックが運転するセスナ機に乗り遊覧飛行を楽しんでいたのだそうです。ところが、セスナがツアーバスに近づきすぎ主翼がバスに接触してしまいます。バランスを失ったセスナはそのまま墜落し炎上。乗っていた3人は即死でした。

25歳というあまりに若い人生の終焉に、残されたバンドメンバーもショックを隠しきれませんでした。とくにオジー・オズボーンの落胆ぶりは激しく、酒とドラッグに溺れる日々が長く続くことになります。

ランディ・ローズの愛器

ランディ・ローズというと水玉模様が印象的なオリジナル・フライングVが有名です。黒地に白のポルカドットはボディからネック裏を通り、ヘッド部分まで埋め尽くされています。このギターは現存するスタジオライブの映像でも確認することができますが、その後、ジャクソンからランディモデルとして左右非対称のフライングVが作られるようになります。

このポルカドットのフライングVは、よく見ると指板に埋め込まれたインレイが蝶ネクタイの形をしていることに気が付きます。実は、水玉模様に蝶ネクタイというのは、クワイエット・ライオット時代のランディのステージ衣装をモチーフにしたものだと言われているのです。

オリジナル・フライングVは、ボディこそギブソンのVに似ていますがヘッドの形状がくさび形をしており、オリジナルと大きく異なっています。またシェクター製のトレモロユニットを搭載し、ボリュームやトーンと言ったコントローラーの位置もオリジナルとは違っていてランディの意見を反映したものに変更されているのです。

その他には、ホワイトのギブソン・レスポール・カスタムも使用していたようです。このギターは、クワイエット時代の写真にも写っていてレコーディングにも使用されていました。

ランディ・ローズのギタープレイ

クラシックを基本としたメロディアスなプレイがランディの持ち味となっています。

ランディがデビューした1980年台は、LAメタルが人気を博し、多くのスーパーギタリストが登場します。中でも後世に影響を与えたギタリストとしてランディと並び称されるのがヴァン・ヘイレンです。
ヴァン・ヘイレンのプレイがいかにもアメリカを体現するようなストレートで明るい印象を与えるのに対し、ランディのプレイはどこかヨーロッパ的で様式美あふれる旋律を感じさせます。

この重く暗く、それでいて美しいメロディがオジーの持つ悪魔的なイメージにピタリとマッチしたことも彼らが大成功した要因の一つと言えるでしょう。

また、クラシックギターを習っていたこともあり、アコースティックプレイにも非凡なものを感じます。クワイエット・ライオット時代からの親友でもありブリザード・オブ・オズでもベースを担当していたルディ・サーゾには、この先、大学に進んで、本格的にクラッシック音楽を学びたいという夢を話していたそうです。

ランディ・ローズのおすすめアルバム

ランディ・ローズがプレイしたアルバムは数えるほどしかありません。日本のみで発売された2枚のアルバムにはランディらしさが出ておらず、残念ながらファンの間でもそれほど評価が高いわけではありません。

反対にブリザード・オブ・オズ時代に発表された2枚のアルバムはどちらも傑作で一聴の価値があります。
ファースト・アルバムの「Blizzard of Ozz」には、ランディのギターの集大成とも言われる「Mr.Crowley」が収録されている他、クラシック・ギタリストとしての才能を感じさせる「Goodbye to Romance」やいわくつきの名曲「Suicide Solution」が収録されています。

セカンド・アルバムの「Diary of a Madman」には、いまだにライブで演奏される「Over the Mountain」や物悲しいアルペジオが印象的なタイトルナンバーなどが収録されていて、こちらもぜひ聞いてほしいアルバムになっています。

ランディが直接製作に関わったわけではないのですが、1987年にはランディ在籍時のライブ音源を元にしたライブアルバム「Tribute」も発売されています。このアルバムにはブラック・サバス時代の「Iron Man」や「Paranoid」などでのランディのリードプレイを聞くことができ、ファンには見逃せない内容になっています。また、ランディが母親であるドロレスに捧げたと言われるアコースティック・ナンバーの佳曲「Dee」のレコーディング風景が収録されていて、貴重なランディの肉声を聞くことができます。

ランディ・ローズの与えた影響

わずか3年のキャリアにもかかわらず、ローリングストーン誌が選ぶもっとも偉大なギタリストの36位に選ばれているランディ・ローズ。

ランディ亡き後、オジーのバンドにはブラッド・ギルス、ジェイク・E・リー、ザック・ワイルドなど素晴らしいギタープレイヤーが在籍しましたが、その誰もがランディのプレイを称賛しています。

ランディに憧れプロになったギタリストも少なくありません。今、聴いても色褪せることのないプレイの数々、あまりにも早い終焉が悔やまれます。

(Public Domain /‘Tumba de Randy Rhoads’ by w00d. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧