ジョン・ケージ:4分33秒の無音?その新しい音楽

ジョン・ケージはアメリカ、ロサンゼルスに生まれた音楽家で、さまざまな素材を作品や演奏に用いた前衛音楽で知られています。そんなジョン・ケージの作品の中で一番有名な作品といえば、「4分33秒」でしょう。この「4分33秒」は「沈黙」を一つの表現とした作品で、大きな反響を集めました。今回はそんなジョン・ケージと「4分33秒」について詳しく解説していきます。

■ジョン・ケージとは

ジョン・ケージはアメリカ、ロサンゼルス出身の音楽家です。父親は発明家で、1912年には潜水艦を建造して世界記録を樹立するほどの人物でした。ケージ家は引っ越しが多く、多くの学校に通いましたが、その中の一つであるサンタモニカでケージはピアノを習い始めました。ハイスクールでの成績は優秀であったものの、学業に興味を失い、ヨーロッパに渡ります。

ケージは1930年にパリで建築家エルノ・ゴールドフィンガーに建築を学び、31年に帰国したのちピアニストのリチャード・ビューリックに音楽を学びます。1934年から1937年にかけては南カリフォルニア大学のシェーンベルクのクラスで学んでいます。ケージの初期の作品はシェーンベルクの影響を多大に受けており、音列処理やリズム処理のある作品が多く残されています。

■ゴムやボルト?プリペアド・ピアの発明

1940年になるとグランドピアノの弦にゴムや木片、ボルトなどの異物をはさみ、ピアノの音色を打楽器的に変化させる「プリペアド・ピアノ」を考案します。
ケージはゴムや木片をグランドピアノの弦にはさむことを「プリペアする」「プリパレーションを施す」などと呼んでおり、ピアノ本来の音色は失われるものの、金属的な音や雑音の多い独特な音が得られるため、現代音楽では多用されています。

ケージは舞踊家シビラ・フォートにダンス音楽の依頼を受け、最初は打楽器のアンサンブルを思いつきましたが、公演場所のスペースでは多くの打楽器を設置することは不可能でした。そのためピアノを打楽器的に使用することを思いついたのです。その後は、居間にあるすべての物体をたたいて音楽を作り出す「居間の音楽」やピアノのふたを閉めて声楽を伴奏する「18回目の春を迎えた陽気な未亡人」などを作曲しています。

このようにケージの作品は演奏するにあたってアイデアが先立つ作品が増えていき、ついに「4分33秒」を作曲するのです。

■「4分33秒」とは

「4分33秒」はケージが1952年に制作した曲です。通常音楽は何かしらの音を鳴らすものですが、この曲は4分33秒もの間無音が続くという、音楽の常識を覆すものでした。楽譜は次のように記されています。

I
TACET
II
TACET
III
TACET

Iは第一楽章という意味であり、II、IIIはそれぞれ第二楽章、第三楽章を表しています。「Tacet」とは楽章を通して休止することであり、すべての楽章が休止になることを示しています。
「4分33秒」を演奏するにあたって演者は舞台に登場し、楽章の区切りを示すこと以外は何もせず、一定の時間が過ぎたら退場します。
1952年8月にはニューヨーク州のウッドストックでピアニストのデイヴィッド・チューダーが第1楽章を33秒、第2楽章を2分40秒、第3楽章を1分20秒で初演しており、合計時間の4分33秒がこの曲の通称となっています。かなり特殊な演奏となる「4分33秒」ですが、初演後も演奏されることもあり、CDとして販売されたこともあります。

■「4分33秒」が作曲されるまで―ハーバード大学無響室での体験

音楽を演奏するにあたって4分33秒もの間「無音」が続く、という音楽の常識を覆すこの作品をケージはどこで思いついたのでしょうか。

※写真はイメージです

そのきっかけのひとつは1940年代の末にハーバード大学の無響室を訪れた際の経験であったのではないかといわれています。ケージは「無音」聞こうと無響室に入りましたが、実際のところ無音ではなく2つの音が聞こえてきました。ケージはその時の経験について「無響室では二つの音を聴いた。一つは高く、一つは低かった。エンジニアにそのことを話すと、高いほうは神経系が働いている音で、低いほうは血液が流れている音だということだった」と語っています。
無音を体験しようとしたところで聞いた音に驚いたケージは「私が死ぬまで音があるだろう。それらの音は私の死後も続くだろう。だから音楽の将来を恐れる必要はない」と考え、「無音」を試みてみたいと思うようになります。

1948年には「絶え間ない沈黙の曲を書き、それをミューザック株式会社に売るのだ。その曲は4分半の長さ — それがレコード音楽の標準の長さだからだ — にして、曲名はSilent Prayerにする。曲は、花の色や形や香りと同じくらい魅力的に作るつもりのアイデアとともに始まる。終わりは感知できないくらい徐々に近づくのだ」と発言しており、これが「4分33秒」の作曲につながったものと考えられます。ミューザックはアメリカで初めてBGMの販売を行った会社であることから、ケージは空間音楽の一種として「4分33秒」を売ろうとしていたのでしょう。

■「4分33秒」が評価される理由

「4分33秒」を演奏するにあたって、特殊な技術は必要ありません。演者は舞台に出た後、楽章の終わりであることを示すだけですし、楽器が弾けなくても楽譜が読めなくても「演奏」できる稀有な曲であるともいえます。それだけにそもそも「曲」として認識されず忘れ去られてしまう可能性もあったのに、「4分33秒」が現代になってもなお評価され続けている理由とは何でしょうか。

解釈はいくつもあるものの、評価されている理由の一つは「それ以上の音楽を作り上げることが不可能である」ためかもしれません。音楽はその時代の文化や歴史を取り入れながら、時にダイナミックに、時に繊細に演奏されてきました。その中でベートーヴェンやモーツアルトなど名だたる音楽家が素晴らしい名曲を作曲してきたいのです。後世の音楽家たちは常にそうした大音楽家を追いかけるようにして、作品を創作してきました。

「4分33秒」はその真逆に位置する曲です。ベートーヴェンに心酔する音楽家ならベートーヴェンを超えようとして、ベートーヴェンに影響を受けた曲を作曲するでしょう。モーツアルトに心酔する音楽家ならモーツアルトを超えようとしてその二番煎じのような曲を作曲してしまうかもしれません。しかし「4分33秒」を超える、あるいは影響を受けて何かしらの作曲をすることは可能でしょうか。「無音」というのはある種の究極の音楽であり、だれもが「4分33秒」を超えることはできないのです。このスタイルを思いつき、作品として世に出したというところに大きな価値があり、「4分33秒」は評価され続けているのだと考えられます。

■「4分33秒」のその後

ジョン・ケージは「4分33秒」の発表後、1960年代にはプラスチック版を自由に組み合わせて楽譜を作り演奏する「カートリッジ・ミュージック」やチェンバロを録音して変調し、さらに生演奏のチェンバロと合わせる「HPSCHD」などこれまでの音楽にはない独特なスタイルの作曲を続けました。1970年代には偶然に録音された音や小説の中で言及されている音、アイルランドの伝統音楽や朗読する声が重なっていく「フィネガンズ・ウェイク」や史上最長の演奏時間をもつ曲である「Organ²/ASLSP」など音楽の常識を覆すような曲を発表し続けました。

ケージは晩年になると「ナンバー・ピース」と呼ばれる題目が数字だけの作品を発表し、「103」は巨大編成のオーケストラ曲になるなど、精力的に作曲をし続けましたが、1992年脳溢血のためニューヨークで亡くなりました。音楽というとベートーヴェンやモーツアルトといった大作曲家の曲を思い浮かべる方が多いかもしれませんが、ジョン・ケージはある意味そうした大作曲家の作品をも覆すような曲を発表し続けたのです。ケージの曲を演奏する、というのはなかなか難しいかもしれませんが、機会があればぜひコンサートでケージの世界に浸ってみてはいかがでしょうか。

出典(Wikipedia): 4分33秒

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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