アンリ=ジョルジュ・クルーゾー:世界三大映画祭すべてで最高賞を受賞した史上初の映画監督

※画像はイメージです

アンリ=ジョルジュ・クルーゾーは1907年にフランスで生まれた映画監督です。カンヌ、ベルリン、ヴェネツィアの世界三大映画祭すべてで最高賞を受賞したほか、ヌーヴェル・ヴァーグと呼ばれる映画運動の生みの親ともいわれています。そんなクルーゾーの人生と作品について詳しく解説していきます。

■アンリ=ジョルジュ・クルーゾーとは

アンリ=ジョルジュ・クルーゾーは1907年11月20日、フランスにあるニオールという街で生まれました。彼はドイツの映画会社で翻訳を担当したことをきっかけに映画に興味をもつようになり、1930年代からは脚本家として活動。1931年には短編映画『La terreur des Batignolles』で初監督を務めました。

1942年にサスペンス映画『犯人は21番に住む』が公開され、第二次世界大戦中であったにも関わらず大ヒットし興行、批評共に成功を収めます。1947年に『犯罪河岸』、1949年に『情婦マノン』を公開し、それぞれヴェネツィア国際映画祭で監督賞、金獅子賞を受賞し、世界的に認められるようになっていきます。

※『犯罪河岸』

※『情婦マノン』

1953年にはニトログリセリンという危険な液体を運ぶ4人の男を描いた『恐怖の報酬』が公開され、ベルリン国際映画祭で金熊賞、カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞。これで『情婦マノン』で受賞したヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を含め、世界三大映画祭の最高賞すべてを獲得した史上初の監督となりました。

※『恐怖の報酬』

1960年にはブリジット・バルドーを主演に採用した『真実』が公開したほか、テレビなど新しいメディアの仕事にも積極的に取り組んでいきました。さまざまな媒体における映像作品に携わっていったクルーゾーでしたが、1968年に公開された『囚われの女』を最後に引退。1977年1月12日にパリの自宅で69歳の生涯を閉じることになります。

※『真実』

※『囚われの女』

■アンリ=ジョルジュ・クルーゾーの作品

クルーゾー作品の特長は、驚くような展開が待ち受けているラストの意外性です。1955年公開の『悪魔のような女』では、その意外すぎる展開から「決して結末を話さないように」と念を押されたほどでした。

そんなクルーゾーの主要な作品についてご紹介します。

・『犯人は21番に住む』 1942年

小説家S・A・ステーマンとクルーゾーが共同脚色して映画化した作品で、1942年に公開されました。

モンマルトルでは死体に「ドュラン氏」と記載した紙が添えられるという奇妙な殺人事件が頻発。しかし警察は犯人の目星を付けることができず、名探偵ウェンスが捜査に乗り出すことになります。

ウェンスが6番目の殺人を調べていると、犯人は21番地付近に住んでいることが判明。その近くにある下宿に目をつけた彼は神父に変装して現場に潜り込みますが、住人に正体を見破られてしまいます。そんな中キュックという女性の死体が発見され、そこにもまた「ドュラン氏」と記載した紙が添えてあるのです。

・『悪魔のような女』

ピエール・ボワローとトーマス・ナルスジャックが共同で執筆した探偵小説を映画化した作品で、1955年に公開されました。

パリ郊外の小学校で校長として働いているミシェルは、同じ学校で妻クリスティーナが務めているにも関わらず女教師ニコールと不倫していました。そんなミッシェルに我慢ができなくなったクリスティーナとニコールは共謀してミシェル殺害計画を企てます。

彼女らはミシェルに睡眠薬入りの酒を飲ませた後、浴槽で溺死させました。翌朝2人は死体をトラックで学校まで運び、プールに投げ込んで始末します。ミシェルが行方不明だと騒ぎになっている中プールから彼のライターが発見され水を抜いて捜索。しかし投げ込まれたはずの死体はなぜか姿を消していたのです。

■おわりに

アンリ=ジョルジュ・クルーゾーは意外性のある展開で数多くの名作を残しました。フランス映画史に関心がある方は、ぜひクルーゾー作品を鑑賞してみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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