クシシュトフ・キェシロフスキ:ポーランドを代表する映画監督

クシシュトフ・キェシロフスキは1941年6月27日、ポーランドのワルシャワに生まれた映画監督です。晩年はフランスでも活躍し、「トリコロール三部作」では世界的に高い評価を受けました。そんなキェシロフスキの人生と作品について詳しく解説していきます。

■クシシュトフ・キェシロフスキとは

クシシュトフ・キェシロフスキは1941年6月27日、ポーランドのワルシャワに生まれました。父親がエンジニアだったため、幼いころは小さな町を転々とする暮らしを送っていたといわれています。16歳のときには消防士の養成学校に通っていたものの3か月で退学し、その後はワルシャワの演劇専門学校に入学しています。在学中キェシロフスキは徐々に映画に関心を寄せるようになり、卒業後ウッチ映画大学に入学しました。

1966年に初の短編映画を制作したことをきっかけに1980年までにはドキュメンタリー作品を中心に21本もの短編映画を手がけました。1976年には初の長編映画を発表し、1979年の『アマチュア』ではモスクワ国際映画祭で金賞を受賞。1980年にはシカゴ国際映画祭でゴールデン・ヒューゴ賞を受賞しました。国際的に高い評価を受けていたキェシロフスキでしたが、1981年の『偶然』は検閲による上映禁止処分を受けることになってしまいます。

1989年から1990年にかけては聖書の十戒をテーマとしたテレビシリーズ『デカローグ』を制作。同作は第46回ヴェネツィア国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞し、巨匠スタンリー・キューブリックから絶賛されました。1991年にはポーランドとフランスを舞台に、名前も容姿もまったく同じ二人の女性の運命を描いた『ふたりのベロニカ』を発表し、第44回カンヌ国際映画祭で二度目となる国際映画批評家連盟賞を受賞します。

※画像はイメージです

1993年にはフランス政府から依頼を受け、フランス国旗の三色が象徴する「自由・平等・博愛」をテーマとした『トリコロール三部作』を制作しました。1作目の『トリコロール/青の愛』では第50回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞し、2作目『トリコロール/白の愛』では第44回ベルリン国際映画祭で監督賞を受賞。そして、3作目の『トリコロール/赤の愛』は第47回カンヌ国際映画祭に出品されたことから世界三大映画祭すべてでの受賞が期待されたものの、受賞することはありませんでした。

その後、一度は引退宣言をして演劇学校で新人俳優の指導にあたっていたものの、1995年には復帰を宣言。ダンテの『神曲』をモチーフにした「天国・地獄・煉獄」三部作の脚本に取り掛かっていましたが、1996年3月13日、心臓発作で54歳の生涯を閉じています。

■クシシュトフ・キェシロフスキの作品

クシシュトフ・キェシロフスキの作品の特徴は、登場人物たちの間に流れる緊張感や細かな心理描写といえます。『時計仕掛けのオレンジ』で有名なスタンリー・キューブリック監督も賞賛するほど、キェシロフスキの作風には魅力が溢れていました。

そんなキェシロフスキは、どのような作品を制作してきたのでしょうか。代表作をいくつかご紹介します。

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・『殺人に関する短いフィルム』 1988年

本作品は1988年に制作された犯罪映画で、十戒をモチーフとしたテレビシリーズ『デカローグ』の第5話を長編映画として再構成したものです。作品全体に陰影を伴った撮影技法が採用されており、特徴的な印象を与えています。また、カンヌ国際映画祭審査委員賞、ヨーロッパ映画賞作品賞を受賞しました。

弁護士を志す若き理想主義者のピョートルは、司法修習を前に口頭試問に臨んでいました。犯罪を抑制する方法として死刑は有効かどうかと問われたピョートルは懐疑的な意見を述べ、試問を終えます。

その後ピョートルはガールフレンドと共に赴いたカフェで、行き場を亡くした若者ヤチェックと偶然出会います。ヤチェックはカフェを立ち去るとしばらくワルシャワの街を放浪し、タクシーに乗り込んだものの、そこで衝動的に運転手の首をひもで締めあげてしまいます。運転手は川べりにタクシーを止めて逃げようとしたものの、ヤチェックはそんな運転手を撲殺。殺人犯としてヤチェックは逮捕され、裁判を受けることになります。

ヤチェックの裁判を担当することになったのは、法科大学院を卒業し弁護士になったピョートルでした。懸命に弁護を行ったものの、不利な証拠が多く、極刑が告げられてしまいます。ヤチェックは自身の子ども時代や父親、そして事故死した妹のことなどを話し、母親に会ってほしいとピョートルに語りかけるものの、その会話は係員に中断されてしまいます。そしてヤチェックは絞首刑に処せられ、物語は幕を閉じるのです。

※画像はイメージです

・『ふたりのベロニカ』 1991年

本作品1991年に公開されたフランス・ポーランド合作の映画で、1991年の第44回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に選出され、女優賞と国際映画批評家連盟賞を受賞しました。また、第17回セザール賞では主演女優賞、音楽賞の二部門にノミネートされ、第49回ゴールデングローブ賞では外国語映画賞にノミネートされるなど、キェシロフスキが国際的に高い評価を受けることになった作品です。

主人公は、同じ名前、容姿、才能を持つものの、別々の国に生まれたふたりのベロニカ。ポーランドのベロニカは指の怪我でピアニストの道を断念し、アマチュア合唱団で歌を歌っています。美しいソプラノの歌声をもつベロニカは有名な指揮者に認められ、音楽堂の舞台に立つチャンスを得るものの、彼女の繊細な精神はそのプレッシャーに耐えられなくなってしまいます。

一方、フランスのベロニカは小学校の音楽教師をしています。ある日、小学校に巡業に来た人形劇の物語に心を奪われ、顔を出すことのない人形遣いに心惹かれるようになります。それからベロニカのもとには謎めいた贈り物が届けられるようになり、そのひとつであるカセットテープの指示に従ってサン=ラザール駅のカフェに向かうと、そこには絵本作家のアレクサンドルが待っていました。実は彼こそ、ベロニカが心を奪われた人形遣いだったのです。

■おわりに

クシシュトフ・キェシロフスキは1941年にポーランドのワルシャワに生まれた、国際的に活躍した映画監督です。特に、聖書の十戒をテーマとした『デカローグ』や不思議な運命を描いた『ふたりのベロニカ』は高い評価を受けています。フランス政府から依頼を受けた『トリコロール三部作』によってその名声は高まったものの、1996年3月13日には心臓発作で54歳の生涯を閉じることになります。

もしキェシロフスキがより長い人生を歩んでいたら、どのような作品を制作していたのでしょうか。また、キェシロフスキのあとに続くポーランドの映画監督たちにも期待が高まります。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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