スタンリー・クレイマー:「社会問題映画」を多く制作した映画監督

(Public Domain /‘Publicity photo of Stanley Kramer’ by studio. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

スタンリー・クレイマーは1913年9月29日、アメリカ合衆国ニューヨークのマンハッタンに生まれた映画監督です。独立した映画プロデューサー、あるいは映画監督として、ほとんどの映画製作会社が避けた社会問題をテーマとした映画作品を制作したことで知られています。なかでも、人種差別や核戦争、進化論などをテーマとして扱いました。そんなクレイマーの人生と作品について詳しく解説していきます。

■スタンリー・クレイマーとは

スタンリー・クレイマーは1913年9月29日、アメリカ合衆国ニューヨーク州マンハッタンに生まれました。近隣地域のヘルズキッチンは暴力がはびこり、また両親はユダヤ人であったため、幼いころから暴力や差別と隣り合わせの世界で育つことになります。その一方、母親はパラマウント・ピクチャーズで、叔父はユニバーサル・ピクチャーズで働いていたことから、クレイマーが映画に関心を寄せるのにそう長くはかかりませんでした。

クレイマーはデウィット・クリントン高校を卒業したのち、ニューヨーク大学に入学。1933年には経営学の学位を取得して卒業しますが、その際学生新聞にコラムを掲載していました。それをきっかけとして20世紀フォックスの脚本部門で有給のインターンシップをオファーされ、ハリウッドに移ることになります。

当時は大恐慌のさなかであり、映画業界も決して楽なものではありませんでした。しかし、クレイマーはコロンビア・ピクチャーズやリパブリック・ピクチャーズの脚本家として働き、編集も学んでいきました。そんな中で並外れた才能を発揮するようになり、携わった映画作品の構成をより印象深いものにしていきました。

第二次世界大戦中の1943年には陸軍に徴兵され、フランク・キャプラやアナトール・リトバックといったハリウッド映画監督と共に、映像制作の仕事に従事。戦後はハリウッドも混乱していたことから仕事がなく、クレイマーは自身の制作会社を設立します。また、自身の手がける映画に没頭する一方、若手の育成にも力を入れていました。

クレイマーは、独立したスタジオで制作しているというアドバンテージを用いてこれまで大手スタジオが避けてきたテーマに取り組むようになりますが、資金調達が大きな障害となることを知り、銀行や個人投資家にアプローチせざるを得ませんでした。

(Public Domain /‘Screenshot of Maximilian Schell from the film Judgment at Nuremberg (1961)’ by Roxlom Films/United Artists. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

クレイマーが新会社でプロデューサーとして手掛けた『シラノ・ド・ベルジュラック』や『真昼の決闘』『ケイン号の叛乱』といった作品はヒットし、1955年には映画監督としてデビュー。『ニュールンベルグ裁判』や『招かざる客』などでアカデミー賞にノミネートされ、1961年にはアカデミー賞の一つであるアービング・G・タルバーグ賞を受賞しました。

そうして精力的に活動していたクレイマーでしたが、1980年代には引退。シアトル・タイムズに映画のコラムを書いていたものの、2001年2月19日には肺炎のため87歳でその生涯を閉じることになりました。

(Public Domain /‘Tony Curtis and Sidney Poitier in The Defiant Ones – trailer (cropped screenshot)’ by trailer screenshot (United Artists). Image via WIKIMEDIA COMMONS)

■スタンリー・クレイマーの作品

スタンリー・クレイマーの作品の特徴は、何といっても大手スタジオがタブーとしてきたテーマを扱った点でしょう。人種差別や核戦争、進化論、ファシズムといった問題が作品の中で丁寧に解釈され、現在も高く評価されています。スティーブン・スピルバーグ監督は「信じられないほど才能のある、先見の明のある人物」と評価しており、尊敬する映画監督の一人に挙げています。

そんなクレイマーは、どのような作品を制作してきたのでしょうか。代表作をいくつかご紹介します。

(Public Domain /‘Screenshot of Grace Kelly and Gary Cooper from the trailer of the film w:en:High Noon’ by Trailer screenshot. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・『真昼の決闘』 1952年

本作品は1952年に公開された西部劇映画で、主演のゲイリー・クーパーがアカデミー賞の主演男優賞を獲得しました。

舞台は1870年、アメリカ西部の町ハドリーヴィル。ある日曜日、街の保安官ウィル・ケインは事務所で妻となるエミイと結婚式を挙げていました。ケインは結婚を機に保安官の仕事を辞め、他の町に向かうことを決めていました。しかし、5年前に逮捕した無頼漢フランク・ミラーが保釈され、正午到着の汽車でこの町に着くという知らせが突然届きます。ウィルはひとり決心し、ミラーの仲間達の含めた4人の無法者たちに立ち向かっていくことになるのです。

(Public Domain /‘Theatrical release poster for the 1961 film Judgment at Nuremberg.’ by “Copyright © 1961 by United Artists Corporation.”. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・『ニュールンベルグ裁判』 1961年

本作品は1961年に公開された法廷ドラマ映画で、ナチス・ドイツが第二次世界大戦で犯した大罪や戦犯を裁いたニュルンベルグ裁判をテーマにしています。ドイツ側の弁護人を演じたマクシミリアン・シェルは本作で第34回アカデミー賞主演男優賞に輝き、スペンサー・トレイシーは主演男優部門、モンゴメリー・クリフとは助演男優賞、そしてジュディ・ガーランドは助演女優賞にノミネートされ、俳優たちの演技が高く評価されました。

アメリカの元地方判事ヘイウッドは、ナチ首脳部の戦争裁判の法廷の裁判長に任命され、その職務にあたることとなります。裁判長を中心に緊迫した法廷ドラマが展開されますが、その中で、裁判所と弁護士の協力を拒んでいた被告人の一人が突然自白し、弁護側の言い分を全て否定してしまうのです。

■おわりに

スタンリー・クレイマーは1913年、アメリカ合衆国ニューヨークに生まれた映画監督で、ニューヨーク大学で経営学を学んだ後、20世紀フォックスでそのキャリアをはじめました。制作助手となったのち、軍用映画の制作にも携わり、1948年には自らの制作会社を設立したことでこれまで大手スタジオが避けてきたテーマの作品を制作するようになっていきました。

そんなクレイマーは、アメリカを代表する映画監督スティーブン・スピルバーグから「最も尊敬する映画監督のひとり」と評価されるほどです。極めて稀な才能を元に、難解なテーマに取り組んでいった人物といえるでしょう。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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