デヴィッド・ウォーク・グリフィス:「映画の父」と呼ばれた映画監督

(Public Domain /‘David Wark Griffith’by UNKNOWN. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

デヴィッド・ウォーク・グリフィスは、1875年1月22日にアメリカ合衆国ケンタッキー州で生まれた映画監督です。モンタージュやクローズアップといった映画技術を確立し、映画を芸術的な域へと高めました。また、女優のメアリー・ピックフォードやリリアン・ギッシュなど、数多くの映画人を輩出した事から「映画の父」とも呼ばれています。そんな彼の人生と作品について、詳しく解説していきましょう。

■デヴィッド・ウォーク・グリフィスとは

デヴィッド・ウォーク・グリフィスは、1875年1月22日にアメリカ合衆国ケンタッキー州で生まれました。南北戦争で南軍の英雄であった父親は、大きな農場を経営していましたが、戦後に没落。そのため、幼い頃は困窮を極める日々を送っていました。

その後、エレベーターボーイや本屋の店員など、様々な職を転々とします。しかし、慈善公演の舞台に立った事をきっかけに地方劇団へ参加するようになり、俳優としてのキャリアを踏み出しました。そして、31歳の時にニューヨークへ進出。舞台の演出家を夢見ていた彼は、戯曲や詩を書いて売り込みましたが、なかなか採用される事はありませんでした。しかし、1907年に自ら書き上げた脚本をエジソン社のエドウィン・S・ポーターへ売り込むと、脚本は不採用になりましたが、なんと俳優として採用されます。彼は、『鷲の巣から救われて』で映画デビューを果たしました。
エジソン社で映画製作のノウハウを学んだものの、脚本が採用されない事に不満を抱いていた彼は、1908年にバイオグラフ社へ脚本を持ち込みます。すると、バイオグラフ社は彼の脚本を採用。女優である妻のリンダと共にバイオグラフ社へ入社しました。彼は俳優として活躍する傍ら、数十本のシナリオを執筆し、『ドリーの冒険』で監督デビューします。バイオグラフ社の撮影技師ビリー・ビッツアーという相棒を得た事で制作が捗るようになり、1913年までに450本以上もの短編映画を手がけました。

1913年頃、初の長編作品である『ベッスリアの女王』を制作。しかし、当時はまだ長編映画が普及していなかったため、公開される事はなかったのです。それを不満に思った彼は、バイオグラフ社を退社してハリウッドへ移り、ミューチュアル社と契約を結びました。

そして、1915年には『国民の創生』を制作。南部北人の立場からKKK団の誕生を描くという物語であったため、北部では上映を拒否されましたが、映画自体は大ヒットし、映画史に残る作品となりました。

『1915 Film “The Birth of a Nation” Clip』

こうして、アメリカを代表する映画監督として有名になった彼は、1919年にチャールズ・チャップリンやダグラス・フェアバンクス、メアリー・ピックフォードと共にユナイテッド・アーティスツ社を創設。『散り行く花』や『東への道』といった作品を発表していく事になりますが、グリフィス自身が完璧主義者で保守的な映画製作に拘っていたため、次第にその人気は廃れていきました。

晩年は、これまでの功績が高く評価され、アカデミー特別賞、全米監督協会賞名誉終身会員賞などを受賞。そして1948年7月23日、脳溢血のため、ロサンゼルスのホテルで死去しました。ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの6535番地には、彼の名前が刻まれています。

■グリフィスの作品

これまで映画はワンシーンワンショット、固定カメラ撮影というのが特長で、演劇要素が強かったのです。しかし、グリフィスはシーン単位の撮影からショット単位の撮影へ移行し、モンタージュ技法を取り入れた事によって、作品に劇的な効果を生み出しました。他にも、フラッシュバックやフェードアウト、イマジナリー・ラインといった現在の映画作品でも用いられている技法は、彼が作り上げたものです。そんな彼は、まさに「映画の父」と言えるでしょう。

グリフィスの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品についてご紹介します。

・『ドリーの冒険』 1908年

グリフィスのデビュー作。現存するプリントは、アメリカ議会図書館のフィルムアーカイブに保存されています。

ある夏の日の午後、両親と共に川へ遊びに来たドリーの元へ、ジプシーの物売りが近づいてきました。母親が断ると、そのジプシーは逆上して掴みかかってきましたが、父親に叩きのめされて引き下がります。しかし、怒りが収まらないジプシーは、腹いせに娘のドリーを誘拐。ドリーを樽に隠して移動していたところ、その樽が川に落ちてしまいます。樽ごと流されてしまったドリーは、下流で釣りをしていた少年に発見され、無事に両親と再会する事が出来ました。

『”The Adventures of Dollie” (1908) director D.W. Griffith starring Arthur V. Johnson』

・『東への道』 1920年

本作品は、ロティ・ブレア・パーカーの芝居『Annie Lairie』に基づくウィリアム・ブラディの芝居『Way down east』を映画化した作品です。

田舎に住むアンナ・ムーアは、仕事探しのため、東部に住んでいる親戚のトレモント家を頼りました。しかし、プレイボーイのレノックス・サンダースンに騙され、妊娠させられた挙句に捨てられてしまいます。彼女は無事に子供を出産しますが、その子供は洗礼を受ける間もなく、亡くなってしまうのです。その後、彼女は遠方へ移り、地主バートレット家の女中となります。そこで、息子のデヴィッドと恋に落ちますが、自分の過去が忘れられない彼女は、デヴィッドの求愛に応える事が出来ませんでした。さらに、プレイボーイのサンダースンによって過去を暴露され、バートレット家から追い出されてしまいます。猛吹雪の中を彷徨い、力尽きて失神してしまった彼女は、氷河と共に流され、このまま滝つぼに飲まれていくかに見えました。しかし、そんな彼女をデヴィッドが救出します。バートレットも彼女を許し、晴れて二人は結ばれる事となりました。

『”Way Down East” (1920) director D. W. Griffith, cinematographer Billy Bitzer』

■おわりに

デヴィッド・ウォーク・グリフィスは、フラッシュバックやフェードイン、モンタージュといった映画技法を確立。また、多くの映画人を輩出した事から「映画の父」と呼ばれています。映画製作に興味がある方は、彼の作品を鑑賞してみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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