デレク・ジャーマン:同性愛や荒廃した近未来をテーマとした映画監督

デレク・ジャーマンは、1942年にイギリスのロンドンで生まれた映画監督です。『In the Shadow of the Sun』で映画監督としてデビューし、先端的な映像表現が話題になりました。また、自らがゲイである事を公表。1993年には、エイズをテーマにした作品を制作するなど、社会に向けて重要なメッセージを残しました。そんな彼の人生と作品について、詳しく解説していきましょう。

※ノースウッドの街並み

■デレク・ジャーマンとは

デレク・ジャーマンは、1942年1月31日にイギリスのロンドン北西部に位置するノースウッドで誕生。その後、彼はロンドン大学のキングス・カレッジへ進学します。大学では美術を中心に学び、徐々に映画へ関心を持つようになります。そして、映画監督ケン・ラッセルの元で美術スタッフを経験した事をきっかけに、映画の道へ進み始めました。その後、スーパー8ミリで撮影した『In the Shadow of the Sun』で、映画監督としてデビューし、その先端的な映像表現が話題になります。

『Derek Jarman | TateShots』

1980年代以降は、ロックミュージシャンのミュージック・ビデオなどを手掛けるようになり、若者たちの支持を得ました。加えて、サイモン・フィッシャー・ターナーを始めとした、当時無名であったミュージシャンたちの才能を発掘し、自身の作品に起用しています。

その後も、彼は制作活動に取り組んでいましたが、1986年にHIVへの感染が判明。1994年、エイズにより52年の生涯を閉じました。

■デレク・ジャーマンの作品

デレク・ジャーマンが手がけた作品は、主に同性愛や荒廃した近未来などをテーマにしています。特にエイズをテーマに制作した『BLUE ブルー』は、当時の映画業界に衝撃を与えました。

そんな彼の作品について、主要な物をご紹介しましょう。

・『セバスチャン』 1976年

本作品は、キリスト教の聖人である聖セバスティアヌスを主人公として描いた映画です。

物語の舞台は、古代ローマ。ディオクレティアヌス帝により、キリスト教の大弾圧が行われていた時代です。宮廷の親衛隊長であるセバスチャンは、皇帝からのホモセクシャルな嫉妬に悩まされていました。やがて、皇帝からの愛情は嫉妬に転じ、セバスチャンの地位は略奪されます。さらに、男しかいない危険な前衛基地へ送り込まれますが、次第に司令官シベリウスとの間に愛憎関係が生まれていきました。サディスティックなシベリウスに対し、セバスチャンにはマゾヒズム的な愛情が生まれ、次第にその愛情は崇高なものに。しかし、思いがけない結末を迎える事になります。

・『カラヴァッジオ』 1986年

本作品は、天才画家カラヴァッジオを主人公として描いた映画です。

カラヴァッジオは、ミラノ近郊のカラヴァッジオ村で誕生。その後ローマへ移り住み、道端で絵を描いて何とか食い繋ぐ日々を過ごしていました。しかし、彼は貧困が原因で病気になり、病院に担ぎ込まれてしまいます。入院先の病院を訪問した枢機卿デル・モンテは、彼の作品を高く評価。退院後、枢機卿の元で腕を磨く事になった彼は、ローマの聖ルイ・フランス教会から依頼を受け、『聖マタイの召命』などの連作に取り掛かります。その後も、銀行家マルケーゼ・ヴィジェンゾ・ジュスティアーニの依頼で『愛の勝利』を描くなど、画家として名声を得るようになっていきました。

その一方、カラヴァッジオは若い賭事師であるラヌッチオ・トマソーニと彼の愛人レナと出会い、微妙な三角関係になります。そんな二人を連れて、彼は銀行家ジュスティアーニのパーティへ出席。そこで、レナは法王の甥であるピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の目に留まります。

カラヴァッジオは、レナをモデルに『マグダラのマリア』を制作。また、レナもボルゲーゼに取り入ろうと試みますが、溺死体としてテベレ川で発見されました。容疑者として逮捕されたラヌッチオのため、カラヴァッジョは法王に謁見し、釈放が認められます。しかし、「自身が犯人である」と告白してきたラヌッチオに対し、怒ったカラヴァッジョは彼を刺し殺してしまうのです。

『CARAVAGGIO TRAILER』

・『ヴィトゲンシュタイン』 1993年

本作品は、20世紀に活躍した哲学者の一人、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの波乱に満ちた生涯を描いた映画です。

ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインは、1889年にオーストリアのウィーンで誕生。彼は裕福な家庭で育ちましたが、9人兄弟の内3人の兄が自殺しています。残された兄のパウルはピアニストをしていましたが、第一次世界大戦で右腕を失うハンデを抱えました。しかし、その後も左手のピアニストとして活躍しています。

1912年、イギリスのケンブリッジ大学に進学した彼は、才気溢れる思想家のバートランド・ラッセルから援助を受けます。また、ラッセルの愛人であるレディ・オットリーン・モレルや著名な経済学者のジョン・メイナード・ケインズに囲まれながら、研究に没頭していきました。そして、彼は緑の火星人との対話形式で語られる論考『ミスター・グリーン』を執筆し、周囲を驚かせます。

また、第一次世界大戦で従軍する中、『論理哲学論考』を執筆し、その後出版しました。復員後はオーストリアの田舎町で教師になりますが、女学生を殴打する事件を起こし、教師を辞職。各地を転々とした後、1929年にはケンブリッジ大学へ戻り、哲学の研究に没頭しました。

『Ludwig Wittgenstein: The 20th Century’s Greatest Philosopher』

■おわりに

デレク・ジャーマンは大学を卒業した後、美術スタッフとして活動をはじめ、その耽美な映像表現が若者たちから高い評価を得ます。また、ジャーマンは自らがゲイである事を公表。エイズをテーマにした作品『BLUE ブルー』は、人々に大きな衝撃を与えました。

52歳という若さで亡くなった彼ですが、テーマや映像表現など様々な点において、後の映画監督たちに大きな影響を及ぼしています。もし、彼がより長い人生を歩んでいたら、どのような作品を制作していたのでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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