ドン・シーゲル:『ダーティハリー』や『アルカトラズからの脱出』を制作した映画監督

ドン・シーゲルは、1912年10月26日にアメリカ合衆国のイリノイ州で生まれた映画監督です。ハワード・ホークス、マイケル・カーティスなどの助手を務めた後、映画監督としてデビュー。その後は、『ダーティハリー』や『アルカトラズからの脱出』といったアメリカ映画史に残る作品を制作しました。そんな彼の人生と作品について詳しく解説していきましょう。

※アメリカ、シカゴの街並み

■ドン・シーゲルとは

ドン・シーゲルは、1912年10月26日アメリカ合衆国イリノイ州のシカゴで誕生。マンドリン奏者である父親の巡業について行くため、幼い頃はアメリカ各地を転々とする生活を送っていました。その後、高校を卒業した彼はイギリスへ渡ります。ケンブリッジ大学や英国王立演劇科アカデミーで学んだ後、今度はフランスへ渡りました。帰国した彼は、叔父が働いていたワーナー・ブラザーズへ入社します。ラオール・ウォルシュやハワード・ホークス、マイケル・カーティスといった映画監督たちの助手を務め、様々な作品に携わりました。

その後、1945年には短編映画『Star In The Night』で監督デビューし、アカデミー短編賞を受賞。また、ナチスを扱ったドキュメンタリー映画『Hiltler Lives?』で、アカデミー短編ドキュメンタリー賞を受賞し、1946年には『The Verdict』で長編映画デビューを果たしました。しかし、映画業界は徐々に衰退し始めていたのです。
1948年、ついにワーナー・ブラザーズは業務改善のため、社員のリストラを開始。彼もその対象となり、職を失ってしまいました。そんな中、彼は友人のロバート・ロッセン監督が手がける『オール・ザ・キングスメン』の第二班監督を引き受ける事になります。これを機に、彼は様々な会社を渡り歩きながら、B級映画を撮り始めました。

※クリント・イーストウッド

その後、1950年代から1960年代にはテレビの台頭が進み、テレビドラマも多く手掛けるようになります。そして、1964年には『殺人者たち』を制作。この時、制作会社ユニバーサルが売り出そうとしていた俳優の中には、あのクリント・イーストウッドがいたのです。その後、撮影を通してイーストウッドと意気投合した彼は、イーストウッドの出演作品を数多く手がけしました。

そして、1971年にはシーゲルの代表作となる『ダーティハリー』を制作します。シーゲルとイーストウッドの名は、全世界に轟く事となりました。同年、イーストウッドも初監督作品となる『恐怖のメロディ』を発表。シーゲルはバーのマスター役としてこの作品に出演しています。

『Dirty Harry (1/10) Movie CLIP – That’s My Policy (1971) HD』

1980年代になると、シーゲルはプロデューサーと上手くいかず、思うような制作が出来なくなっていきました。しかし、『ジンクス!』では弟子のペキンパーが第二班監督を務める事になります。追い風が吹いたかのように思えましたが、その2年後にペキンパーが死去。その後、映画界から距離を置いた彼は、1991年4月20日に癌で死去しました。

■ドン・シーゲルの作品

シーゲルは、低予算かつ早撮りが求められたB級映画を数多く制作しています。彼は、脚本段階から入念な打ち合わせを繰り返し、撮影現場において無駄なショットを撮影する事はありませんでした。また、弟子であるイーストウッドは、現在に至るまでこの方法を実践し続けています。

そんな彼の作品について、主要な物をご紹介しましょう。

※殺し屋のイメージ

・『殺人者たち』 1964年

本作品は、アーネスト・ヘミングウェイの短編小説『殺人者』の短いプロットが元になっています。元々は、テレビ映画として制作しましたが、内容が暴力的過ぎるため、劇場公開となりました。

殺し屋コンビのチャーリーとリーは、標的であるジョニーを殺害します。あまりにも任務が簡単に済んだため、裏を調べてみたところ、元レーサーのジョニーは郵便車襲撃事件に関わっていた事が判明。また、シーラという女性や悪党一味の存在も明らかになり、チャーリーとリーは郵便車から奪われた現金を横取りしようと試みます。

・『アルカトラズからの脱出』 1979年

本作品は、脱出不可能と言われていたアルカトラズ刑務所から、脱獄を果たしたフランク・モリスの実話を元にしています。

物語の舞台は、サンフランシスコ湾に浮かぶアルカトラズ島。そこには鉄壁で覆われ、脱獄不可能と言われていた牢獄アルカトラズ刑務所がありました。そんな刑務所に入所したフランク・モリスは、通気口から外に出られると聞き、独房の小さな通気口から脱出する手段を思いつきます。

一方、刑務所で知り合った囚人のドクは、趣味である絵を刑務所長に禁止された事に絶望し、斧で自分の指を切断するという騒動を起こします。憤慨したモリスは、脱獄計画の準備に取り掛かり、囚人仲間たちと協力して脱獄用の道具を揃えていきました。

そして、脱獄決行日。モリスの不審な行動に気付いた刑務所長は、彼を別の独房へ移すように命令します。その夜、モリスたちは脱獄に成功。しかし、通気口を取り外す事が出来なかった仲間のチャーリーは、脱獄に失敗してしまいます。

脱獄に成功したモリスたちは、用意したイカダでアルカトラズ島を脱出しました。翌日、モリスが脱獄した事に気付いた刑務所長は、島の周囲を捜索し、海岸に打ち上げられた脱獄者の所持品を発見。捜査官たちは、刑務所長の言い聞かせにより、「脱獄者は死亡した」と信じるようになっていきました。大規模な捜索が行われたにも関わらず、三人の生死は不明のまま。そして、1年後にアルカトラズ刑務所は、閉鎖される事となったのです。

『Escape From Alcatraz (1979) Trailer #1 | Movieclips Classic Trailers』

■おわりに

当初、B級映画の制作に携わっていたシーゲルは、クリント・イーストウッドとの出会いをきっかけに、映画史に残る作品を数多く手がけました。

また、彼はB級映画の制作に携わった事で、効率的な映画制作に長けていたのです。脚本の時点から入念な打ち合わせを進め、無駄な撮影をする事はなかったそうです。現在、彼の作品制作に対する意志やスタイルは、クリント・イーストウッドへ受け継がれていると言えるでしょう。

出典:Wikipedia Don Siegel (07.2021)
出典:Wikipedia Escape from Alcatraz (07.2021)

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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