ピエトロ・ジェルミ:『鉄道員』や『蜜がいっぱい』を制作した映画監督

(Public Domain /‘Pietro Germi’ by Unknown author. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

ピエトロ・ジェルミは1914年9月14日、リグーリア州ジェノヴァに生まれた映画監督です。新聞売りやメッセンジャーなどの仕事を転々とした後、俳優を志すようになり、監督として映画製作に携わるようになりました。『鉄道員』や『蜜がいっぱい』など映画史に残る作品を制作した人物として知られています。そんなピエトロ・ジェルミの人生と作品について詳しく解説していきます。

(Public Domain /‘Pietro Germi, Claudia Cardinale ed Eleonora Rossi Drago in una scena del film Un maledetto imbroglio (1959).’ by Gawain78 at the Italian Wikipedia project.. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

■ピエトロ・ジェルミとは

ピエトロ・ジェルミは1914年9月14日、イタリア・リグーリア州のジェノヴァに生まれました。新聞売りやメッセンジャーなどの職を転々とした後、海員学校に入学。その後俳優を志すようになり、ローマの映画実験センターに演劇科の生徒として入所します。やがて、制作に関心を持つようになったジェルミは監督科に転籍し卒業。その後はわき役や助監督、脚本家などの下積み生活を送るようになり、1945年には『Il testimone』で監督デビューすることになります。

1950年の『越境者』ではベルリン国際映画祭銀熊賞、ヴェネツィア国際映画祭セルズニック賞を受賞。また翌年の『町は自衛する』でヴェネツィア国際映画祭最優秀賞イタリア映画賞を受賞しました。加えて、自ら主演を務めた『鉄道員』や『刑事』などの作品は、映画音楽のヒットも重なったことから国際的に高い評価を得るようになっていきました。

その後はコメディ映画を制作するようになり、『イタリア式離婚狂騒曲』ではアカデミー脚本賞、カンヌ国際映画祭コメディ賞を受賞しました。その後、1966年の『蜜がいっぱい』ではカンヌ国際映画祭グランプリを受賞し、国際的な名声を確立していきました。

そうして数多くの名作を制作したジェルミでしたが、1974年には肝臓がんのために死去。60歳の生涯を閉じることとなります。

※画像はイメージです

■ピエトロ・ジェルミの作品

ピエトロ・ジェルミの作品の特徴は、前半ではネオレアリズモの社会派的な作品を、後半では寓意的なコメディ作品を制作していることでしょう。ネオレアリズモとは、1940年代から1950年代にかけてのイタリアにおいて、映画と文学の分野で盛んになった潮流のことです。この時期には、戦後イタリア社会に現れた問題や現実をテーマとした作品が多く製作されました。ジェルミは、そんなネオレアリズモ運動を代表する映画監督の一人として知られています。

そんなピエトロ・ジェルミは、どのような作品を制作してきたのでしょうか。代表作をいくつかご紹介します。

(Public Domain /‘FerroviereGermi1956WP’ by Pietro Germi. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・『鉄道員』 1956年

本作品は1956年に公開されたドラマ映画で、第二次世界大戦後のイタリアにおける庶民の喜怒哀楽を描いています。

主人公で鉄道機関士のアンドレアは30年近く鉄道員として働いており、幼い末息子のサンドロは彼を誇りに思っていました。しかし、長男マッチェロや長女ジュリアにとっては、父のその厳格な性格はあまり親しみやすいものではなく、嫌悪の対象となっていました。

ある日、アンドレアの運転する列車に若者が投身自殺をします。そのうえ、アンドレアはショックから赤信号を見過ごし、列車の衝突事故を起こしかけてしまいます。この事故が原因で左遷されてしまったアンドレアは、ストライキを計画中だった労働組合に不満を訴えるものの取り合ってもらえず、次第に酒におぼれるようになっていきました。

その後、マルチェロはジュリアの不倫が原因でアンドレアと口論になり、家を出ていってしまいます。また、アンドレアはストライキが決行されるなか仕事を行い、徐々に家族や友人からも孤立していきました。そんなアンドレアを見た末っ子サンドロは酒場をめぐって父を探し出し、以前アンドレアが友人たちとギターを弾いて歌った酒場に連れていきます。アンドレアはそこで、友人たちと暖かい時間を過ごすのでした。また、彼には家族とも和解のきざしが見えてきていたものの、すでに度重なるストレスや飲酒のため弱り切っていました。最期には、家族と幸せなクリスマスパーティを終えた夜にギターを弾きながら息を引き取ることになります。

(Public Domain /‘Maledettoimbroglio-PiazzaFarnese’ by Gawain78. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・『刑事』 1959年

本作品は1959年に制作された犯罪ミステリー映画で、カルロ・エミーリオ・ガッダの小説『メルラーナ街の混沌たる殺人事件』を映画化しています。主題歌の『死ぬほど愛して』は、イタリアはもちろん、世界中で大ヒットしました。

ある日、パンドゥッチ家のリリアーナ夫人が殺害されるという事件が発生します。担当のイングラヴァーロ警部は事件の捜査を始め、彼女の夫や遠縁の医師ヴァルダレーナを有力な容疑者と考えていました。しかし、証拠がなかなか見つからず、捜査は行き詰まりを見せていました。やがて、イングラヴァーロ警部がリリアーナの夫や従兄弟のヴァルダレーナ、バンドゥッチ家の女中アスンティナに聞き取りを進めるとともに、複雑な人間模様が浮かび上がっていくのです。

(Public Domain /‘Divorzio all’italiana (1961) – Stefania Sandrelli e Marcello Mastroianni’ by Pietro Germi. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・『イタリア式離婚狂騒曲』 1961年

本作品は1961年に制作されたコメディ映画で、1961年のアカデミー賞で脚本賞を受賞したことでも話題になりました。「イタリア式コメディ」というジャンルは本作から命名され、現在では映画の主要な一ジャンルとなっています。

シチリアの貴族であるフェルディナンドは17歳のアンジェラと恋に落ち、再婚したいと考えています。しかし、当時のイタリアでは離婚は違法であったため、フェルディナンドは悶々とした日々を送っていました。そんな中彼は、自身の妻が不倫をすれば彼女を殺しても「名誉の殺人」として罪が軽くなることに気が付き、妻ロザリアが他の男性と恋に落ちるように仕向けていきます。

(Public Domain /‘Screenshot del film Sedotta e abbandonata (1964) di Pietro Germi.’ by Gawain78. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・『誘惑されて棄てられて』 1964年

本作品は1964年に制作されたコメディ映画で、「イタリア式コメディ」を代表する作品の一つといわれています。

著名な採石場経営者ヴィンチェンツォ・アスカローネの娘であるアグネーゼを中心に、物語は展開していきます。姉のマティルドの婚約者に誘惑されたアグネーゼは、彼と関係を持ってしまい、それを告白して後悔しようとします。しかし、アグネーゼの両親が全てを知った後、父であるヴィンチェンツォはすぐにペッピーノという男に娘との結婚を要求します。その後も劇中では、おかしなことが続いていくのです。

(Public Domain /‘Screenshot del film Un maledetto imbroglio (1959) di Pietro Germi.’ by Gawain78. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

■おわりに

ピエトロ・ジェルミは1914年にイタリア・リグーリア州、ジェノヴァに生まれた映画監督です。ネオレアリズモの作品を数多く制作したほか、寓意的コメディを扱う「イタリア式コメディ」というジャンルを確立しました。

また、映画監督以外に俳優としても活躍しました。駆け出しの女優であったステファニア・サンドレッリを演技派女優に育て上げるなど、さまざまな点から映画業界に貢献した人物であるといえるでしょう。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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