ルネ・クレマン:『禁じられた遊び』や『太陽がいっぱい』を制作した映画監督

ルネ・クレマンは1913年3月18日にフランス・ボルドーに生まれた映画監督です。サスペンス、コメディ、恋愛とさまざまなジャンルの作品を制作し、『禁じられた遊び』や『太陽がいっぱい』といった映画史に残る代表作を残しました。そんなルネ・クレマンの人生と作品について詳しく解説していきます。

■ルネ・クレマンとは

ルネ・クレマンは1913年3月18日フランス・ボルドーに生まれた映画監督です。少年時代から映画に熱中しており、パリの美術学校で建築学を学ぶ傍ら、16ミリフィルムで短編映画を制作するようになり、18歳のときには短編映画を発表するなど、青年時代から旺盛な制作意欲をみせていました。戦時中は陸軍映画班に所属し記録映画の制作に従事、除隊後はカメラマン、助監督として映画製作に携わるようになり、アニメーション映画や記録映画などを手掛けるようになっていきました。

その後ジャック・タチ脚本・主演の『左側に気をつけろ』をはじめとした7本の短編作品を制作したものの、第二次世界大戦が勃発したことにより再度軍事映画に従事することになります。軍事活動委員会によって制作された作品は、第二次世界大戦中ナチス占領下の鉄道従業員組合のレジスタンスを描き、1945年になって『鉄路の闘い』として発表されました。同作は第1回カンヌ国際映画祭で国際審査委員賞と監督賞に輝くことになり、クレマンは国際的に評価されるようになっていきました。

そして1951年には代表作となる『禁じられた遊び』を発表し、ヴェネツィア国際映画祭サン・マルコ金獅子賞とアカデミー名誉賞を受賞。また1955年にはエミール・ゾラの小説を映画化した『居酒屋』をはじめ、映画史に残る傑作を制作し、世界的な巨匠にまで上り詰めることとなりました。

その一方当時のフランスではヌーヴェルヴァーグが勢力を増しており、クレマンは『太陽がいっぱい』の大ヒットによって商業映画の監督として認知されるようになっていきました。その後も作品を制作し、1996年にモナコのモンテカルロで死去。82歳の生涯を閉じることになります。

■ルネ・クレマンの作品

ルネ・クレマンの特長はサスペンスやコメディ、反戦、恋愛映画とさまざまなジャンルの作品に取り組んだことでしょう。幼い子どもたちを通して戦争の残酷さを訴えた『禁じられた遊び』や犯罪映画『太陽がいっぱい』などいずれも大ヒットし、クレマンを世界的な巨匠に押し上げました。そうしたさまざまなジャンルに取り組みながらいずれも高い評価を受けており、クレマンは稀なる才能を持った映画監督であったといえるでしょう。

そんなクレマンの主要な作品についてご紹介します。

・『禁じられた遊び』 1952年

本作品は1952年に制作され、フランソワ・ボワイエの小説『Les Jeux inconnus』が原作になります。アカデミー名誉賞およびヴェネツィア国際映画祭サン・マルコ金獅子賞を受賞し、クレマンを世界的な名監督に押し上げた作品といえます。

1940年6月、戦闘機による機銃掃射によって、少女ポーレットは両親と愛犬を失ってしまいます。ポーレットは亡くなった愛犬を抱きながら川沿いの道を彷徨っていると、少年ミシェルと出会います。ミシェルの家庭は貧しかったものの、両親を亡くしたポーレットを哀れに思い、暖かく迎え入れます。

ポーレットは幼いため死というものがよく分かっていませんでした。ミシェルから命を落とした者にはお墓を作ると教えられたポーレットは水車小屋に愛犬を埋葬し、祈りを捧げます。しかし愛犬がひとりぼっちだと思ったポーレットはもっとお墓を作ってやりたいと言い出し、ミシェルはその願いを叶えてやるためにさまざまな動物の死体を集め、埋葬していきました。さらに他のお墓から十字架を盗んで自分たちのお墓に使おうと思い立つのです。

参照:禁じられた遊び – Wikipedia アクセス日:2021年7月6日

・『太陽がいっぱい』 1960年

本作品は1960年に制作され、原作はパトリシア・ハイスミスの『才人リプリー君』です。フランスの二枚目俳優として知られるアラン・ドロンが一躍スターとして認められるきっかけとなった作品でもあります。

大富豪の息子フィリップはナポリで婚約者マルジュと、豪華絢爛な生活を送っていました。マルジュは画家フラ・アンジェリコについての調査をしており、フィリップはそんなマルジュに付き添いながら毎日のように遊び惚けていました。

一方、貧しく孤独な青年トム・リプリーはフィリップの父親からフィリップをアメリカに連れ戻すように依頼を受け、報酬として5000ドルの約束でナポリに足を運びます。しかし当のフィリップはアメリカへ戻る気もなく自由奔放な暮らしを続けていました。フィリップは次第にトムを使い走りとして扱い、トムは貧富の差に嫉妬心や怒りを覚えるようになっていました。そうして思いつめたトムはやがてフィリップに成りすまして彼の財産を手に入れるための計画を練るようになっていきます。

・『パリは燃えているか』 1966年

本作品は1966年に制作され、レジスタンスと自由フランス軍によるパリの解放を描いています。

1944年8月7日から8月19日のレジスタンス蜂起、そして8月25日にパリの解放に至るまでを描いた作品であり、レジスタンスのアンリ・ロル=タンギー大佐やジャック・シャバン・デルマス大佐、アメリカ軍のジョージ・パットン将軍などが登場し、レジスタンス運動が展開されていきます。

降伏前にパリを破壊しろというアドルフ・ヒトラーの命令が下るものの、最終的にコルティッツ将軍は命令に従うことはなく、連合国に無条件降伏。パリは破壊から逃れることとなりました。

■おわりに

ルネ・クレマンは1913年にフランスのボルドーに生まれた映画監督で、幼いころから映画製作に取り組み、軍事映画の仕事に取り組んだのち、『禁じられた遊び』や『太陽がいっぱい』といった映画史に残る作品を制作しました。

サスペンスやコメディ、反戦、恋愛映画などさまざまなジャンルで高い評価を受け、また俳優アラン・ドロンの出世作を制作するなど、映画史におけるクレマンの貢献は多大なものといえるでしょう。フランス映画史に関心のある方は、ぜひクレマン作品を鑑賞してみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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