クエンティン・タランティーノ:犯罪や暴力を主題とした作品を制作している映画監督

クエンティン・タランティーノは1963年3月27日にアメリカ合衆国テネシー州ノックスビルに生まれた映画監督です。『キル・ビル』や『パルプ・フィクション』と言った作品を制作したほか、アカデミー脚本賞やカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞したことでも有名です。そんなクエンティン・タランティーノの人生と作品について詳しく解説していきます。

■クエンティン・タランティーノとは

クエンティン・タランティーノは1963年3月27日アメリカ合衆国テネシー州ノックスビルに生まれました。母のコニー・ザストゥーピルは大の映画ファンであり、タランティーノ自身母と共に映画を見て育ったことから、徐々に映画業界でのキャリアを志すようになっていきました。

1971年タランティーノ一家はロサンゼルスに引っ越し、ホーソン・クリスチャン・スクールに進学しますが、その際14歳のときには最初の脚本となる『ジ・アメージング・アドベンチャー・オブ・ミスター・リー』を執筆。16歳のときには高校を中退してジェームズ・ベストの劇団に加わり、演技を学ぶようになります。また22歳のときにはマンハッタン・ビーチのビデオショップ「マンハッタン・ビーチ・ビデオ・アーカイブ」の店員となり、客と映画について語り合う日々を過ごしていました。

※画像はイメージです

そうして細々と俳優としてキャリアをはじめたタランティーノでしたが、ハリウッドのパーティでローレンス・ベンダーに出会い、脚本を書くように薦められたことから、1987年には『My Best Friend’s Birthday』 を監督。『レザボア・ドッグス』では脚本家、映画監督としてデビューを果たし、カンヌ国際映画祭でも出品されたことからカルト的なヒットにつながりました。加えて監督に作目となる『パルプ・フィクション』ではカンヌ国際映画祭パルム・ドールをはじめとした数々の賞を受賞し、アメリカ映画界でも注目されるようになっていきました。

その後『キル・ビル』シリーズを制作したのち、2009年にはブラッド・ピットが主演を演じたことで話題になった第二次世界大戦中の架空のナチス殺し舞台を描いた『イングロリアス・バスターズ』を発表。また2012年に黒人奴隷が主役の西部劇『ジャンゴ つながれざる者』が公開され、第85回アカデミー賞では脚本賞を受賞しました。

■クエンティン・タランティーノの作品

クエンティン・タランティーノの作品は、タランティーノ自身がビデオショップ店員であった際に大量の映画に埋もれながら脚本を書くというまさに映画漬けの毎日を送っていたことが影響していると言われています。特にアジアを中心としたマニアックな映画や日本のアニメーションなどに精通しており、作品の各所にはそうした影響を見て取ることができます。

そんなクエンティン・タランティーノの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品についてご紹介します

・『レザボア・ドッグス』 1992年

本作品は1992年に制作された作品で、タランティーノは監督・脚本・主演の3役をつとめました。2005年にはインディペンデント映画50において1位にランクインしたことでも話題になりました。

強盗のために集められた6人はコードネームとしてお互いに色の名前を付け、宝石強盗計画を実行。しかし事前に警察が宝石強盗を把握していたことからMr.ホワイトと重傷を負ったMr.オレンジは命からがらアジトに逃げ帰ることになります。そこにMr.ピンクがアジトに到着し、「この中に裏切り者がいる」と発言。メンバーは騒然とします。

・『パルプ・フィクション』 1994年

※画像はイメージです

本作品は1994年に制作された作品で、ギャングをテーマとしてオムニバス形式でまとめられている作品です。1994年のアカデミー賞では7部門にノミネートされ脚本賞を受賞。またカンヌ国際映画祭ではパルム・ドールを受賞したことから大きな話題となりました。

あるレストランで話しているパンプキンとハニー・バニー。ふたりは強盗の常習犯であり、2人が話していたのはこれから実行に移そうとしている強盗計画でした。パンプキンは今すぐこのレストランを襲おうと切り出し、ふたりは拳銃を抜き、計画を実行に移します。

その一方ギャングの殺し屋であるヴィンセントとジュールスはくだらない話をしながら、組織を裏切った青年の部屋を訪れていました。組織の取引の品である黒いアタッシュケースを取り戻しますが、ギャングのボスであるマーセラスから愛妻ミアの世話を頼まれてしまいます。ヴィンセントはミアが望むままに食事に連れて行ったり、ダンスを踊ったりして過ごしていたものの、帰りにミアが薬物の過剰摂取で心臓停止に陥ってしまいます。

・『キル・ビル』 2003年

※マダム・タッソー蝋人形館にあるユマ・サーマンの蝋人形

本作品は2003年に制作された作品で、タランティーノの代表作とも言える作品です。

妊娠を機に殺し屋稼業から足を洗ったザ・ブライドは結婚式のリハーサルの最中、所属していた組織のボスであるビルとその配下である4人の殺し屋から襲撃を受けます。婚約者である夫や参列者たつも殺害され、ブライド自身も凄惨なリンチによって4年間の昏睡状態に陥るほどの重傷を負わされた挙句、胎内の子どもも奪われてしまいます。昏睡状態から目を覚ましたブライドは、ビルと4人の殺し屋への復讐に燃え、計画を実行に移すことになります。

・『イングロリアス・バスターズ』 2009年

本作品は2009年に制作された作品で、第二次世界大戦中ドイツ国防軍占領下にあるフランスにおいて暗躍する暗殺者たちを描いた作品です。

1941年フランスはドイツ軍占領下にあり、「ユダヤ・ハンター」の異名をとるナチス親衛隊のランダ大佐は行方不明になっているユダヤ人一家の手掛かりを得るために酪農家のラパディットを尋問します。床下に一家がかくまわれていることを突き止めたランダ大佐は部下に命じて床板越しにマシンガンで皆殺しにさせたものの、娘のショシャナのみは逃げ出すことに成功するのでした。

そして時は過ぎ1944年6月、ショシャナは亡くなった叔父夫妻から経営を引き継いだ身寄りのない若い女性映画館オーナーという別人に成りすましていました。ある日ショシャナの映画館でヒトラーをはじめとしたナチス高官たちが集められて作品が上映されることとなり、ショシャナはこれを機に復讐を考え始めます。

■おわりに

クエンティン・タランティーノは1963年にアメリカ合衆国テネシー州ノックスビルに生まれた映画監督であり、脚本家やビデオショップの店員を経て映画監督となった人物です。その作品は犯罪や暴力などがテーマとなっており、その背景にはタランティーノが傾倒する日本映画の影響が大きいといわれています。

今後タランティーノはどのような作品を私たちに送り届けてくれるのでしょうか。今後が期待されます。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧