ジュールズ・ダッシン:『日曜はダメよ』や『トプカピ』を制作した映画監督

(Public Domain/‘American-born French singer Joe Dassin helping his father, American director Jules Dassin walking on crutches. Paris, 1970.’ by Agenzia Pitre, published in Bolero Teletutto Magazine. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

※ジュールズは写真右

ジュールズ・ダッシンは1911年12月18日アメリカ合衆国コネチカット州ミドルタウンに生まれた映画監督です。戦前はフィルム・ノワールを中心とした作品を手がけていたものの、戦後ヨーロッパに渡るとその才能を開花させ、数々の映画賞を受賞しました。そんなジュールズ・ダッシンの人生と作品について詳しく解説していきます。

■ジュールズ・ダッシンとは

※画像はイメージです

ジュールズ・ダッシンは1911年12月18日アメリカ合衆国コネチカット州ミドルタウンに生まれました。両親はウクライナのオデッサからの移民であり、ユダヤ系ロシア人だったといわれています。ダーレムはハーレムで育ち、ブロンクス・モリス高校に進学し、ニューヨークのイディッシュ・プロレタリアン・シアターの俳優としてそのキャリアをはじめることになります。

1940年にはハリウッドに移り、アルフレッド・ヒッチコック監督の『スミス夫妻』などで助監督を務めたのち、1942年には映画監督としてデビュー。1947年には刑務所を舞台にした『真夏の暴動』を制作。同作は社会派映画としても知られる映画であり、ダッシンは同作の制作を通して新聞記者出身のマーク・へリンジャ―と出会うことになります。

その後はフィルム・ノワールを中心とした作品を手がけたもの、赤狩りが盛んになった1950年代のアメリカにおいてダッシンはブラックリストに載せられてしまいます。これはダッシンが演劇界に身を置いていた際、共産党主義者であったことも影響しているといわれています。その後若いころに演劇修業をしたヨーロッパに渡ることになり、極めて難しい状況に追い込まれたものの、ヨーロッパに身を置いたことが功をなし、1955年にフランスで制作した『男の争い』ではカンヌ国際映画祭監督賞を受賞。また1960年の『日曜はダメよ』ではアカデミー賞にノミネートされるなど、徐々に評価を得るようになっていきました。

そうして旺盛な制作意欲の元制作に励んでいたダッシンでしたが、2008年にはギリシア・アテネの病院でインフルエンザの合併症のため死去。96歳の生涯を閉じることになります。

■ジュールズ・ダッシンの作品

ジュールズ・ダッシンの作品の特長は自身の舞台俳優の経験を活かして、さまざまな映像表現に取り組んでいることでしょう。本人も『男の戦い』では重要な脇役であるイタリア人金庫破り師を、また『日曜はダメよ』ではアメリカ人富豪を演じるなど、監督でありまた俳優としても作品にとりくんだことは、より作品を重厚なものにしているといえるでしょう。

そんなジュールズ・ダッシンの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品についてご紹介します

・『死んでもいい』 1962年

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本作品は1962年に制作された作品で、第35回アカデミー賞衣装デザイン賞、第20回ゴールデングローブ賞最優秀女優賞にノミネートされたことでも話題になった作品です。

ギリシア海運王の娘フェードラは船舶業者として働くタノスと結婚し、生まれた男の子は5歳になっていました。タノスはフェードラを溺愛していたものの、先妻との間には息子アレキシスがおり、そのことはフェードラの気がかりとなっていました。アレキシスはロンドンで経済学を勉強しているものの、近頃は絵画制作にいそしんでおり、フェードラが迎えに行くことになります。アレキシスと対面したフェードラは10歳も年下の義理の息子に恋してしまい、アレキシスもまた義理の母に魅入られてしまいます。

ふたりはパリに向かいすべてを忘れて数日を過ごしたものの、所詮は叶わぬ恋であり、アレキシスはロンドンへ、フェードラは屋敷に帰らなくてはならないことになります。アレキシスへの恋心と罪の意識に悩まされるフェードラでしたが、タノスはそんな妻の心も知らず、義兄の娘エルシーとアレキシスを結婚させ、両家の縁を更に強いものにしようとしていました。フェードラは嫉妬に燃え上がり、絶望のあまりアレキシスを愛しているとタノスに継げてしまいます。タノスは驚きと激しい怒りからアレキシスを力の限り殴打し、アレキシスもまた家を出て行ってしまいます。フェードラはその後睡眠薬をあおり自殺。アレキシスもまたスポーツカーのハンドルを切り損ねて、断崖を転がり落ちていくのでした。

・『女の叫び』 1978年

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本作品は1978年に制作された作品で、エウリピデスの「メディア」を題材として、国際派の女優と子供を殺害して服役中のアメリカ人女優を対比させながら女性の心の内を描いた作品です。

ギリシアの大女優であるマヤはエウリピデスの悲劇「メディア」の大役を得て、連日全身全霊でリハーサルを送っていました。ただマヤのメディアはあまりに自信に満ちた姿であり、嘆かわしさというよりも正当な怒りを表現していました。演出家のコスタはマヤのメディアは自分が演出したいと思っているメディアとは異なることに、満足いかずにいました。

その一方マヤは大スターであるプライドから、より脚光を浴びるようなイベントを開きたいと考えていました。そこでディレクターのマーガレットと相談し、「グリファダのメディア」としてギリシア中の新聞を騒がせた子殺しの女ブレンダと会見することになります。しかしブレンダはマヤを憎悪と屈辱からなじるばかり。しかしマヤはブレンダから学ぶべきものがあると確信し、新聞社や犯行現場となったブレンダの家を訪れ、ブレンダの心の内を探っていきます。

・『トプカピ』 1964年

(Public Domain/‘Trailer screenshot of Topkapi.’ by Topkapi trailer. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1964年に制作された作品で、1964年にエドガー賞長編賞を受賞したエリック・アンブラ―原作の小説『真昼の翳』を映画化した作品です。

美しい女泥棒エリザベスはイスタンブールのトプカプ宮殿博物館に陳列されているスルターンの件の強奪を計画。愛人でベテラン泥棒のウォルターとともに仲間を集め、計画を実行することにします。ふたりは観光客を装ってギリシアに赴き、トルコまで武器を運搬させるためイギリス人ガイドのアーサー・シンプソンを雇います。しかし国境の検問所で武器を発見されたため、シンプソンはテロリストと誤認されてしまいます。しかし当局はシンプソンを逮捕せず、スパイとして泳がせることにします。

■おわりに

ジュールズ・ダッシンは1911年12月18日アメリカ合衆国コネチカット州ミドルタウンに生まれた映画監督で、『男の争い』や『日曜はダメよ』などを制作したことで知られている映画監督です。またダッシンはもともと俳優としてキャリアをはじめたことから、映画監督としての仕事にも俳優経験が活かされており、より作品を重厚なものに仕上げています。

ハリウッドのブラックリストに載せられたこともあったダッシンですが、その苦境を乗り越えてさまざまな作品を制作したことは極めて特異な例といえるでしょう。お時間のある際には、ぜひダッシンの作品を鑑賞してみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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