ジョン・スタージェス:『荒野の七人』や『大脱走』を制作した映画監督

ジョン・スタージェスは1910年1月3日にアメリカ合衆国イリノイ州オークパークに生まれた映画監督です。『荒野の七人』や『大脱走』といった作品で知られており、主にアクション映画を撮ってきました。そんなスタージェスの人生と作品について解説していきます。

■ジョン・スタージェスとは

ジョン・スタージェスは1932年に映画編集者としてハリウッドで仕事をしはじめ、第二次世界大戦中には戦争のドキュメンタリーとアメリカ陸軍空軍の訓練映画を撮りました。そして1946年から映画監督として本格的に活動し始め、B級映画から徐々に大作を手がけるようになり、1955年には『日本人の勲章』でアカデミー賞ノミネートされました。

1960年代頃には西部劇やアクション映画で活躍し、日本の映画監督、黒澤明の『七人の侍』をオマージュした作品『荒野の七人』が彼の代表作となりました。その後も精力的に制作活動を行い、1977年の『鷲は舞い降りた』を最後に映画監督を引退しました。

■ジョン・スタージェスの作品

そんなジョン・スタージェスの主要な作品についてご紹介します。

※画像は黒澤明『七人の侍』DVD

『荒野の七人』 1960年

本作品は1960年に制作され、日本の黒澤明監督の『七人の侍』をオマージュした作品だといわれています。

メキシコの寒村イスカトランは毎年収穫期に、野盗の略奪行為に苦しめられていました。子どもたちは飢え、村を去る農民も増えていましたがミゲルという青年と2人の農夫が野盗と戦うことを決意します。そして彼らは、銃を買うためにアメリカとの国境の町にやって来ました。

その辺境の町では原住民の亡骸を誰も弔わずに放置していて、それを見かねた行商人たちが葬式をしようとしていました。しかしその町では原住民の葬式が禁止されていて、住民たちは葬式をしようとする人々を攻撃します。しかし、その計画にガンマンのクリスという男と数人の共感者のガンマンたちが賛成し、激しい銃撃戦の末、住民たちに勝利します。

その戦いでの彼らの勇姿を見たミゲルは「銃の買い方と、撃ち方を教えてくれ」と頼みます。しかしクリスは「銃を買うよりガンマンを雇った方がいい」と答え、彼らと手を組みます。20ドルの報酬で雇われた7人の凄腕ガンマンは野盗たちと戦い、村に平和をもたらしたのでした。

『日本人の勲章』 1955年

本作品は1955年に制作され、主人公を演じたスペイサー・トレイシーは同作で第8回カンヌ国際映画祭男優賞を受賞しました。

第二次世界大戦終結直後の1945年、アメリカ西部の小さな町ブラック・ロックに1人の左腕のない男がやって来ます。その男、ジョン・マクリーディはこの町に住む日本人の男性を訪ねてきていました。マクリーディはホテルの支配人ピートの妹リズから借りたジープで、彼がいるはずの場所に向かいます。しかし彼がいるはずの家は焼き払われて、なくなっていました。

マクリーディは驚いて、ピートに日本人男性に何があったのかを尋ねます。すると、スミスという男に殺されたということが判明します。スミスは、真珠湾攻撃の翌日に軍に志願したものの不合格となり、その腹いせに暴れ回って日本人男性の家に火を放ち、彼をなぶり殺したのでした。

日本人男性の息子は戦時中、二世部隊に入隊しイタリア戦線で戦死しました。彼は自分の命と引き換えにマクリーディを助けたため、死後にも関わらず勲章を授与されていたのでした。今回、マクリーディはその勲章を届けに来たわけでしたが、父である男性も亡くなっていたという事実にショックを受けます。

重大な秘密を知ってしまったマクリーディがスミスに殺されることを恐れたピートは、彼を町から逃がそうとします。しかしスミスの情婦であったリズはマクリーディを罠にはめ、スミスに彼を殺させようとします。そしてスミスはリズすらも射殺し、その後マクリーディも狙いますが反撃され殺されました。

翌日、ブラック・ロックの駅にから特急列車の乗り込もうとするマクリーディ。そんな彼に葬儀屋のドクは、良心を忘れないために勲章を渡してほしいと頼みます。マクリーディはドクに勲章を渡し、特急列車は出発しました。

『戦雲』 1959年

第二次世界大戦のさなか、北部ビルマの密林でゲリラ隊と日本軍が戦っていました。ゲリラ部隊はアメリカ人のトム・レイノルズ大尉とイギリス人のダニーの指揮下にあり、日本軍が優勢であることは明白でした。

インド軍と連絡するためにトムとダニーはカルカッタに向かい、戦略会議をします。そしてそこでイタリアから避難してきたカーラという美しい女と、中年の紳士リガ―スに出会います。しかしリーガスは評判の悪い貿易商で、カーラはなぜか冷ややかな態度でしたが、トムは彼女に惹かれました。

翌日2人は、日本軍の飛行場があり戦略上の拠点となっている北ビルマのウバチを攻撃せよ、という指令を受けます。会議の数日後に、リーガスは自らの屋敷にトムらを招待していました。そこでカーラは自身のことについて語ります。彼女は、初めての結婚で生まれた娘が日本にいて戦争が終わったら子どもを連れ戻してやるとリーガスに言われていて、彼との関係を清算できずにいたのです。

あるとき、カルタッタの病院に護送されたトムの元にカーラが現れ、彼女は、リーガスとの関係を終わらせるから娘を頼むとトムに告げます。そしてウバチへの攻撃は成功しますが、ダニイは戦死。トムはカーラに見送られて再び戦地に向かうのでした。

『大脱走』 1963年

本作品は1963年に制作されました。当時ドイツ軍の捕虜であったポール・ブリックヒルが、送られた捕虜刑務所で企てた脱走計画の詳細をまとめた「The Great Escape」を元にした作品です。スタージェスは同作を読んで、すぐに映画化権を買いとりました。

第二次世界大戦下のドイツ。朝霧の中、イギリス軍を中心とした連合国の捕虜が送られてきます。捕虜の中には脱走常習犯が多数含まれており、ドイツ軍は絶え間なく発生する脱走に手を焼いていました。そのため常習犯だけを集めて、脱走が極めて難しい収容所を作りました。所長のフォン・ルーガーは「この収容所から脱走することは不可能だ」と述べるものの、連合国捕虜のラムゼイ大佐は「脱走して敵軍を混乱させるのは将兵の義務である」と屈することはありませんでした。

ラムゼイ達は何回も脱走を成功させてきた強者であり、今回も協力して脱走計画を進めます。戦争映画なのにも関わらず戦闘シーンがないため、異色の作品だと評されることもしばしばあります。

■おわりに

ジョン・スタージェスはアメリカ陸軍空軍の訓練用映画を制作したこともあり、戦争に関連したものを多く撮りました。特に日本には影響を受けていて、作品の中でもよく日本の戦争に対する姿勢が描かれています。スタージェスは1992年に82歳でその生涯を閉じますが、彼を尊敬する若手監督は多く、その制作スタイルは引き継がれていくことでしょう。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧