
スタンリー・ドーネン:『踊る大紐育』『雨に唄えば』を制作した映画監督
※画像はイメージです
スタンリー・ドーネンは1924年4月13日アメリカ合衆国サウスカロライナ州コロンビアに生まれた映画監督です。ミュージカル作品を多く手掛けたことで知られており、『踊る大紐育』や『雨に唄えば』などを制作したことで有名です。そんなスタンリー・ドーネンについて詳しく解説していきます。
■スタンリー・ドーネンとは

スタンリー・ドーネンは1924年4月13日アメリカ合衆国サウスカロライナ州コロンビアに生まれました。両親はともにユダヤ系であり、ドーネンが住んでいた地区ではユダヤ人は少数派であったことからいじめられることも多く、ドーネンはそのために若いころの時間の多くを映画館で過ごすことになります。ドーネンはコメディやスリラーといったジャンルを特に好んでおり、徐々にドーネンは映画製作のキャリアを志すようになっていきました。またドーネンの家族は夏休み中ニューヨークに旅行に行くことが多く、ブロードウェイのミュージカルを見たことで、より舞台への憧れを大きくしていきました。
16歳で高校を卒業すると、サウスカロライナ大学に進学。心理学を学ぶ傍らブロードウェイのオーディションを受けるようになり、コーラスダンサーとして活躍するようになります。その後ドーネンはハリウッドの振付師として活躍するようになり、メトロ・ゴールドウィン・メイヤーで活躍。意気投合したジーン・ケリーとともに制作した『踊る大紐育』や『雨に唄えば』はミュージカル映画の金字塔となりました。

※『シャレード』より
その後も『くたばれ!ヤンキース』や『パリの恋人』『シャレード』といったロマンチックな作品を制作し、1998念にはアカデミー名誉賞を受賞。その挨拶の際に歌とタップダンスを披露し、話題になりました。そうして数多くのミュージカル映画を手がけたスタンリー・ドーネンでしたが、2019念2月21日にはニューヨークのマンハッタンで心不全のため死去。94歳の生涯を閉じることになります。
■スタンリー・ドーネンの作品
スタンリー・ドーネンの作品の特長は、なんといってもミュージカル映画の金字塔となった作品が数多く含まれていることでしょう。特にジーン・ケリーが主演した『雨に唄えば』はミュージカル映画を代表する作品となり、現在もなおファンが多い作品です。
そんなスタンリー・ドーネンの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品についてご紹介します
・『踊る大紐育』 1949年

本作品は1949年に制作された作品で、アドルフ・グリーンとベティ・カムデンの原作音楽劇を脚色した作品です。
24時間の休暇をもらった3人の水兵ゲイビイ、チップ、オジイはニューヨーク見物にきたものの、ゲイビイはポスターの女アイヴィに惚れこんでしまい、ポスターが示す博物館に行ってしまいます。また博物館の教授クレアはオジイにぞっこん。チップはタクシー運転手のブランヒルドから熱をあげられ、2人はそれぞれの恋を楽しみます。そんな中やっとアイヴィを見つけたゲイビイだったものの、たちまちアイヴィはその姿を消してしまいます。実はアイヴィはダンサーであることを恥じらっており、コニィ・アイランドの舞台に逃げ込んでいたのでした。
アイヴィが逃げ込んだ見世物小屋ではブランヒルドを車窃盗の犯人と思い込んで警官隊がやってきて、6人と衝突。大騒ぎになるもののクレアの取り計らいで事なきを得ます。そして翌朝帰艦する3人の水兵に3人の女性たちは熱いくちづけを送って別れを惜しむのでした。
・『雨に唄えば』 1952年

本作品は1952年に制作された作品で、ミュージカル映画の金字塔となった作品です。
ドン・ロックウッドとコスモ・ブラウンは大変な人気者で、ふたりは切っても切れぬ親友でした。ハリウッドにやってきた2人はインペリアル撮影所で仕事を見つけ、ドンは西部劇のスタントマンに採用されサイレント映画のスターになります。相手役のリナは美人だったものの少々抜けたところがあり、ドンは好きになれなかったものの、リナはドンにぞっこんでした。そのためドンが若くて歌も踊りもうまいケーシーと恋仲になると、リナは嫉妬心からケーシーを首にさせてしまい、ケーシーは姿を消してしまいます。
一方で撮影所では最初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』が大ヒット。インペリアル撮影所の社長であるシンプソンもドンとリナの新しい主演映画『決闘の騎士』をトーキーで作ることに決定。そんな中に実はケーシーの姿もありました。そして撮影が進むにつれ、ケーシーの歌声が高く評価されるようになり、ドンとケーシーは再び結ばれることになります。
・『掠奪された七人の花嫁』 1954年

本作品は1954年に制作された作品で、プルタルコスの「サビニの女たちの略奪」に基づくスティーブン・ヴィンセット・ベネットの原作「The Sobbin’ woman」を映画化した作品です。特に「納屋づくり」のダンスシーンが話題になりました。
時は1850年オレゴンの山奥から結婚相手を探しに来たアダムは、レストランのミリーを口説き落とし、農場のある山に連れて帰ることに成功。ミリーはアダムの7人兄弟に会い、散らかし放題の家の中を見て驚くもかいがいしく働くようになります。そんなミリーを見て、兄弟たちも行動を改めるようになっていきました。
そんな兄弟たちは町に行くと喧嘩ばかり。ミリーは女性と交際する際のマナーを弟たちに叩き込み、弟たちを街に連れていきます。それぞれ交際相手を得るものの、街の男が誤ってアダムの頭に板を落としてしまったことで大喧嘩となり、兄弟たちはチャンスを失ってしまいます。
騒動が収まると、アダムは古代ローマ人が街を襲って結婚相手をさらった「サビニの女たちの略奪」の話を教え、兄弟たちは4頭立ての馬車で街を襲い、娘たちを強奪。町の人々は後を追ったものの、雪崩で一本道がたたれてしまい、追跡できない状況に追い込まれてしまいます。その状況に怒ったのはミリーで、ミリーは男たちを納屋に押し込み、娘たちは自分と母屋で暮らすように取り計らい、結果として若者たちも娘たちも憂鬱な冬を過ごすことになるのでした。
春になって街の人々が武器を持って娘たちを取り返しにやってくるものの、娘たちは兄弟をかばい、またミリーに第一子が誕生したことにより騒動がうやむやになり、6組の結婚式が執り行われることになるのでした。
■おわりに
スタンリー・ドーネンはアメリカ映画史において『踊る大紐育』や『雨に唄えば』などミュージカル映画の金字塔を制作したことで知られる映画監督です。その作品の音楽性やコメディカルな内容は実際に舞台に立ったことがあるドーネンの経験から形作られており、不朽の名作となっています。
ミュージカル映画に関心のある方は、ぜひドーネン作品を鑑賞してみてはいかがでしょうか。
※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。