セシル・B・デミル:映画創世記にもっとも活躍した映画製作者

(Public Domain/‘Publicity portrait of Cecil B. DeMille. On the back has been written: “Cecil B. DeMille, director of special productions for Artcraft Pictures”’ by Albert Witzel. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

セシル・B・デミルは1881年8月12日アメリカ合衆国マサチューセッツ州アシュフィールドに生まれた映画監督です。20世紀前半の映画創世記にもっとも成功した映画製作者の一人と言われており、映画史に残る作品を制作するとともに、多くの映画人を育て上げました。そんなセシル・B・デミルの人生と作品について詳しく解説していきます。

■セシル・B・デミルとは

(Public Domain/‘Photograph of Cecil B. DeMille as a young man. Paired with a photo of William C. de Mille”’ by Unknown photographer. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

セシル・B・デミルは1881年8月12日マサチューセッツ州アシュフィールドにオランダ移民の父とイギリスからアメリカに渡ったドイツ系ユダヤ移民の母親の間に生まれました。デミルの両親は脚本家であったものの、デミルが12歳の時に父親が死去。母は生計を立てるために女学校と劇団を設立することになります。そんな両親に育てられたデミルは自然と演劇に関心を持つようになり、演劇学校で演技を学んだ後、1900年には舞台俳優としてデビュー。その後12年間は俳優として働く傍ら、母親の劇団のマネジメントを手がけました。

その後1913年には映画監督としてデビュー。また映画プロデューサーのジェシー・L・ラスキーが設立した映画会社にてハリウッド発の長編映画を制作し人気を呼び、その後は第一次世界大戦後の好景気を背景にヒット初を連発していきました。

(Public Domain/‘Poster for the 1927 film King of Kings.’ by Pathe. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

また1923年には『十戒』を制作。旧約聖書を主題としたのにもかかわらず大ヒットし、制作費を越える収益を上げたため、『キング・オブ・キングス』や『暴君ネロ』『クレオパトラ』といった歴史ものを制作。また1930年代後半には西部開拓をテーマとした作品を制作し、アメリカ国民の愛国心を鼓舞するような作品を制作し、大衆の支持を得ました。

第二次世界大戦後にはテレビが大衆に広まったことにより、映画は下火になっていました。そんな映画の復権を目指すようになったデミルは1956年に75歳にしてかつての自身の作品『十戒』を撮り直し、第29回アカデミー賞では作品賞にノミネート。そうして映画業界の再興を図るべく尽力していたものの、1959年には心臓疾患のために死去。77歳でその生涯を閉じることとなります。

■セシル・B・デミルの作品

セシル・B・デミルの作品の特長は作中で用いられる小道具の品々に多額の予算をつぎ込み、徹底的なリアリティを狙った点でしょう。女優達が身に着ける豪勢な宝石はすべて本物であり、絢爛豪華な衣装はデミルの映画の代名詞となりました。こうした派手な演出は女性たちを魅了し、夫やボーイフレンドを連れた女性たちがデミルの映画を見に行くきっかけをつくりました。そう言った意味ではデミルは鑑賞者を一番に意識していたといえるかもしれません。

そんなセシル・B・デミルの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品についてご紹介します

・『クレオパトラ』 1934年

(Public Domain/‘Screenshot of Claudette Colbert from the trailer for the film Cleopatra.’ by Trailer screenshot. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1934年に制作された作品で、1930年代に制作された歴史的大作のひとつです。

時は紀元前48年。ローマ執政をつとめるジュリアス・シーザーは世界制覇の偉業に王手をかけており、インド遠征の途中エジプトに大軍を率いて上陸。このころエジプトの女王クレオパトラは兄トレミー王と勢力争いの真っただ中にいました。シーザーが上陸したという知らせを聞いたクレオパトラはシーザーを味方にするべく単身シーザーの元を訪れ、シーザーもまたそんなクレオパトラの容姿と豪胆さに心動かされクレオパトラを支援することになります。

こうした経緯を経てエジプトはローマの勢力下におかれることになり、シーザーはクレオパトラを携えてローマに凱旋。しかしブルータスをはじめとしたローマの重鎮たちはシーザーが王位に手を駆けようとしているのではないかとシーザー暗殺の計画を練るようになるのでした。

・『十字軍』 1935年

(Public Domain/‘The Crusades 1935. Copie d’écran d’après DVD. – Henry Wilcoxon : Richard Cœur de Lion (à droite).’ by Cecil B DeMille. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1935年に制作された作品で、『クレオパトラ』に続くデミルの歴史的大作のひとつといえます。

12世紀の末、聖地エルサレムはサラディンの率いるサラセン人に支配され、キリスト教徒の男は幽閉、女は奴隷に売られるという憂き目にあっていました。この惨状を見た修道士はヨーロッパ各地を遍歴し、聖地エルサレムを奪還するべく十字軍の運動を起こします。

最初にフランス王フィリップが賛同したものの、王の腹心コンラッドはイギリスの獅子王リチャードがフランスを併合するのではないかと恐れ、許婚である妹アリスと結婚することを進言。しかしリチャードはアリスとの結婚を望んでおらず、十字軍に加われば現世の約束は放棄されると聞いて結婚から逃れるために従軍に参加するのでした。

・『サムソンとでリラ』 1950年

(Public Domain/‘Original theatrical release poster of the Cecil B. DeMille film Samson and Delilah (1949).’ by Paramount Pictures. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1950年に制作された作品で、旧約聖書の「サムソンとデリラ」の一説を主題とし、巨額を費やしたことで有名な作品です。

怪力で知られるダン族のサムソンはペリシテ人の娘セマダールに求婚。しかしサムソンの男らしさに牽かれた姉デリラは2人の仲を邪魔するべく、結婚式でサムソンを侮辱。サムソンは怒りのあまり暴れだし、混乱の中でセマダールと父は亡くなってしまいます。デリラは太守の妃となって太守をそそのかし、サムソンを捕えたもののサムソンは脱走。デリラはさらにサムソンに毒を飲ませた挙句怪力の元である髪の毛を切ってしまい、目をくりぬいてしまいます。

・『十戒』 1957年

(Public Domain/‘Poster for the American theatrical run of the 1956 film The Ten Commandments.’ by Illustrated by Macario Gómez Quibus. “Copyright © 1956 Paramount Pictures Corporation.”. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1957年に制作された作品で、1923年に制作された『十戒』の再映画化作品にあたります。制作費1350万ドルを費やしたことでも大変な話題になりました。

エジプトのラムセス1世は新しく生まれるヘブライの男の子をすべて殺害せよという命令を出し、モーゼは母親の手でナイルの大河に流されることになります。しかし幸運にもモーゼが乗ったゆりかごは王女の足元にたどり着き、王女は哀れに思ってモーゼを引き取り育てることになるのでした。成長したモーゼはエジプト王子として勢力を得て、実の王子であるラムセスと世襲争いを行っていました。王位を得るためには王女ネフェルタリと結婚しなくてはならず、モーゼは気の置けない日々を過ごしていました。

ある日モーゼはヘブライ人奴隷が重労働を課せられているのを目撃。それをきっかけとして自らはヘブライ人であることを知り、またそれが王に伝わってしまったことによりモーゼは砂漠に追放されてしまいます。モーゼは荒野をさまよった挙句、ジェスローと出会いやがてジェスローの長女セフォラと結婚。モーゼは幸せな日々を過ごしていたものの、シナイ山で神の声を聴き、ヘブライの人々を開放するべく立ち上がるのでした。

■おわりに

セシル・B・デミルはアメリカの映画創世記にもっとも活躍した映画監督の一人であり、膨大な制作費をつぎ込んで歴史的大作を制作したことで知られています。映画創世記の作品を鑑賞してみたい方は、ぜひデミル作品を鑑賞してみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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