ダニエル・シュミット:オペラ演出家にして映画監督も務めた多彩な人物

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ダニエル・シュミットは1941年12月26日にスイスのグラウビュンデン州フリムス=ヴァルトハウスに生まれた映画監督です。『ラ・パロマ』や『ヘカテ』といった作品を制作したことと共に、オペラ演出家としても高い評価を得ていることで知られています。そんなダニエル・シュミットの人生と作品について詳しく解説していきます。

■ダニエル・シュミットとは

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ダニエル・シュミットは1941年12月26日スイスのグラウビュンデン州フリムス=ヴァルトハウスに生まれました。14歳から映画館に通い始めマックス・オフュルスなどの作品に傾倒したほか、オペラにも熱中しマリア・カラスをはじめとする歌手たちに魅せられバイクで各地のオペラハウスをめぐる旅をしていました。1962年にはドイツのベルリン自由大学に入学し、1971年にはライナー・ヴェルナー・ファスビンダーとともに映画会社「タンゴ・フィルム」を設立。以降映画製作の仕事に没頭していくことになります。

1970年にはテレビ映画『主人の蝋燭を節約するためにすべてを暗闇のなかで行うこと』で映画監督としてデビュー。1972年にシュバイツァー・ホテルで撮影した長編第一作『今宵限りは…』がルキノ・ヴィスコンティに絶賛され、ヴェネツィア国際映画祭新人監督賞を受賞。その後も『ラ・パロマ』や『天使の影』『ルートヴィッヒⅡ世のためのレクイエム』といった作品を制作し、高い評価を受けました。

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1980年代にはポール・モランの小説を映画化した『ヘカテ』のほかダグラス・サークの晩年とフィルモグラフィーを撮影した『人生の幻影』をはじめとしたドキュメンタリー映画を制作するようになりました。またオペラ演出家として活動し始めたのもこのころで、ジャック・オッフェンバックの『青髭』やアルバン・ベルクの『ルル』、ヴェンチェンツォ・ベッリーニの『夢遊病の娘』といった作品の演出の仕事に携わりました。

こうして精力的に制作活動に励んでいたシュミットでしたが、2006年8月5日にはフリムス=ヴァルトハウスで癌により64歳で死去。2010年にはパスカル・ホフマンとベニー・ヤーベルグによるドキュメンタリー『ダニエル・シュミット―思考する猫』が制作され、話題になりました。

■ダニエル・シュミットの作品

ダニエル・シュミットの作品の特長は、演劇的・オペラ的な要素が取り入れられている点といえるかもしれません。シュミットは1980年代からオペラ演出家として活動していますが、そもそも幼いころからオペラに傾倒しており、映画にも音楽や演出などの点でそうした要素が見られるのは当然のことかもしれません。

そんなシュミットの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品についてご紹介します。

・『ヘカテ』 1982年

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本作品は1982年に制作された作品で、フランス植民地のある北アフリカの砂漠の町にある領事館に赴任してきた若い外交官と人妻との恋を描いた作品です。

舞台は1942年のスイス・ベルン。フランス大使館主催のパーティーで、ある男が物思いにふけっていました。その男ジュリアン・ロシェルは10年前北アフリカのフランスの植民地に外交官として赴任。秘書や生活に必要なものはすべてそろっていたものの、暑い日差しのせいもありロシェルは退屈な毎日を過ごしていました。

そんなある日ジュリアンはパーティーで風に吹かれている一人の女性に目を奪われます。シルクのドレスを着たその女性クロチルドはジュリアンの視線に気が付き、それ以来ふたりは乗馬や食事をともにし、徐々に恋心を持つようになっていきました。クロチルドはジュリアンにとってまさに理想の女性でした。

しかしクロチルドがその町の少年と深い関係を持っていることを知ったジュリアンは激昂。嫉妬心からその少年を虐待してしまいます。その事件が明るみに出るとジュリアンは辞任を迫られることになり、シベリアに赴任することになります。

・『ラ・パロマ』 1974年

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本作品は1974年に制作された作品で、青年貴族と娼館の歌姫ラ・パロマとの幻想的な恋を描いた作品です。

マダム・リリーの娼館では美少女や美少年を相手にしながら、客たちが退廃的な一夜を過ごしていました。そんな娼館に評判の歌姫ヴィオラ、またの名を「ラ・パロマ」が「シャンハイ」をうたいながら現れます。そんなヴィオラの姿をじっと見つめる男の姿がありました。

男の名前はイジドールといい、連日ヴィオラの楽屋に黄色のバラをもって尋ねるものの、酒浸りのヴィオラに激しく拒絶されて染みます。ある日ヴィオラは深酒のためにあと数週間の命と宣告されてしまい、イジドールの求愛を受けることを決意します。イジドールに連れられてヨーロッパの病院を転々としたヴィオラは奇蹟的に回復し、ヴィオラはイジドールの居城で幸せな毎日を過ごしていました。

ある日イジドールの親友ラウルが訪ねてきますが、ラウルは絶世の美青年だったためヴィオラは一目で恋に落ちてしまいます。しかしイジドールがそんなヴィオラを許すわけがなく、ヴィオラはある復讐を実行することにします。ヴィオラはやせ衰えて病床に就き、イジドールに遺書を残して他界。廃人のような日々を送るイジドールは、3年経ってラウルとともに遺書を開封する日を迎え、そこには「亡骸を掘り起こし骨壺に収めて礼拝堂に祀ってほしい」と書かれていました。墓を掘り起こすとそこには生前のまま美しいヴィオラが横たわっており、人々はそれに驚き逃げ惑います。しかしイジドールはヴィオラの肉体を切り刻み、ヴィオラの遺言を全うしようとするのでした。

・『カンヌ映画通り』 1981年

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本作品は1981年に制作された作品で、カンヌ映画祭に潜り込もうとする主人公の姿をドキュメンタリータッチで描いた作品です。

カンヌ映画祭関係者が大勢集まるホテルに滞在しているベティはなんとか映画祭に参加しようと事務局に問い合わせるものの、ベティは映画関係者でもジャーナリストでもないため、取り合ってもらえません。ある日偶然ニジンスキーの娘キーラ・ニジンスキーの記者会見に潜り込んだベティは、その語り口に感動し、ボブ・ラフェルソン監督やジャック・ニコルソン、ジェシカ・ラングといった大スターたちのインタビューに潜り込もうとします。

■おわりに

ダニエル・シュミットは1941年にスイスのグラウビュンデン州フリムス=ヴァルトハウスに生まれた映画監督であり、映画のほかにもオペラ演出や脚本の仕事でも活躍しました。映画作品にはシュミットのオペラ的なセンスが活かされており、独特の世界観を楽しむことができます。

2006年には癌で64歳の生涯を閉じることとなるシュミットですが、より長い人生を歩んでいたらどのような作品を送り出していたのでしょうか。シュミットの意志を継ぐスイスの若手映画監督たちの今後が期待されます。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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