チャールズ・チャップリン:「喜劇王」と呼ばれた映画監督

(Public Domain/‘Portrait of Charles Chaplin.’ by Strauss-Peyton Studio. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

チャールズ・チャップリンは1889年4月16日イギリスのロンドンに生まれた映画監督です。バスター・キートンやハロルド・ロイドと並んで「世界の三大喜劇王」と呼ばれた人物であり、『キッド』や『モダン・タイムス』といった映画史に残る作品を残しました。そんなチャップリンの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品についてご紹介します

■チャールズ・チャップリンとは

(Public Domain/‘Screenshot of Charlie Chaplin in Kid Auto Races at Venice (1914)’ by Keystone Studios. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

チャールズ・チャップリンは1889年4月16日イギリス、ロンドンのケニントン地区で生まれました。両親はともに俳優であったものの、1歳の時に離婚。以降は母親の元で育てられることとなります。チャップリンが5歳の時、舞台に立っていた母ハンナは喉を傷めてしまい、その代役としてチャップリンが急遽舞台に立つことになります。これがチャップリンの初舞台となり、大喝さいを浴びました。しかしそれをきっかけにして母親は二度と舞台を絶つことができず、1896年ごろには精神に異常をきたし施設に入れられることになってしまいます。

チャップリンはその後親戚のもとや孤児学校を渡り歩き、あらゆる職を転々とした後、俳優あっせん所に通い、1899年には木靴ダンスの一座「エイト・ランカシア・キッズ」に加わり俳優としてデビューすることになります。1913年には映画プロデューサーであるマック・セネットの目に留まり、カリフォルニアの映画会社キーストン・スタジオに入社。1914年には『成功争ひ』で映画デビューすることになるものの、そこで「面白い格好をしろ」と要求されたため、山高帽に窮屈な上着、だぶだぶのズボンというその後チャップリンのトレードマークとなる扮装が完成することになります。

(Public Domain/‘Twenty_Minutes_of_Love.’ by Keystone Studios. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

チャップリンのユーモアはたちまち観客たちを魅了し、『恋の20分』では監督、脚本をつとめるまでになり、監督としても知られるようになっていきました。1916年にはアメリカ大統領の年俸の7倍にあたる年額67万ドルという破格の契約金でミューチュアル・フィルムに迎えられ、映画史に残る作品を数多く制作しました。

そうして制作活動にいそしんでいたチャップリンだったものの、1950年代からはジョセフ・マッカーシー上院議員の指揮のもとアメリカは赤狩りに入り、共産主義的であるとされて何度も召喚命令を受けました。また1952年にはトルーマン政権の司法長官ジェームズ・マグラネリーから事実上の国外追放命令を受け、アメリカから追放されてしまいます。アメリカの一般国民はこのチャップリンの追放について激しく抗議し、国務長官の元には数万通にも及ぶ抗議の手紙が殺到し、政府は対応に追われました。

(Public Domain/‘Charlie Chaplin receiving an Honorary Academy Award from Jack Lemmon’ by Associated Press photographer. Image via WIKIMEDIA COMMONS)
※チャップリンは写真右

その後制作活動はめっきり減ったものの、1972年にはアカデミー賞名誉賞に選ばれるという名誉を得ることになります。20年ぶりにアメリカを訪れた際には、会場にいるすべての者はチャップリンをスタンディング・オベーションで迎えたほどでした。そうして晩年に名誉を取り戻したチャップリンでしたが、1977年のクリスマスの朝にはスイスのコルズィエ=スュール=ヴェヴェイの自宅で死去。88歳の生涯を閉じることとなります。

■チャールズ・チャップリンの作品

チャールズ・チャップリンはハリウッドにおいて極めてマルチな才能を示した人物であり、俳優、映画監督としても活動するほか、脚本家、作曲家、そしてプロデューサーとしても活躍しました。かつチャップリンは徹底した完璧主義で知られており、コメディの中にも社会風刺や庶民の喜びや怒りといった感情が表現されています。その背景にはチャップリンの幼いころの貧しい暮らしが影響しているのかもしれません。

そんなチャールズ・チャップリンの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品についてご紹介します。

・『黄金狂時代』 1925年

(Public Domain/‘Chaplin the gold rush boot’ by Keystone Studios. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1925年に制作された作品で、喜劇王と呼ばれたチャップリンの作品の中でも特に傑作と呼ばれている作品です。

雪深い山に金鉱を探し求めてやってきたチャーリー。猛吹雪の中ようやく転がり込んだ小屋にはお尋ね者のブラック・ラーセンや金鉱探しのビッグ・ジム・マッケイもやってきて、避難生活を送ることになってしまいます。しかし徐々に寒さと上がピークに達し、ビッグ・ジムにはチャーリーがニワトリに見え、やがて靴を食べるまでになっていました。

そんな中ビッグ・ジムと別れてふもとの町にやってきたチャーリーは、酒場であったジョージアに一目ぼれ。最初はチャーリーの片思いだったものの、ジョージアも徐々にチャーリーに思いを寄せるようになっていました。その後酒場で偶然再会したビッグ・ジムと共についに金鉱を探し当てたチャーリーは百万長者となり、めでたくジョージアと結ばれることになります。

・『モダン・タイムス』 1936年

(Public Domain/‘Original poster for Charlie Chaplin’s 1936 film Modern Times.’ by Unknown author. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1936年に制作された作品で、資本主義社会や機械文明を題材にした作品です。労働者の個人の尊厳が失われ、機械の一部分になっていくさまをユーモアとともに鋭い社会風刺で描いており、チャップリンの作品の中でも名作といわれています。

大きな製鉄工場で働くチャーリーはスパナを手にひたすらベルトコンベアーに流れる部品にねじを回し続けるという単純作業を繰り返していました。休む間もなく働かされていた挙句、労働者の食事時間を節約するために作られた自動求職マシーンの実験台にされたチャーリーは発狂し、精神病院送りになってしまいます。

ようやく退院の日を迎えた日、トラックから落ちた赤旗を拾い運転手に返そうと追いかけていくうちに、なぜか労働者のデモ隊の先導を切ってしまい、逮捕されて拘置所に。その後脱獄囚を撃退した鉱石として造船所の仕事を照会されるものの、うまくいかずまたあてもなく街をうろつく生活に陥ってしまいます。

そんななかたまたまあった浮浪少女と意気投合したチャーリーは2人のために家を建てるという夢をもち、一念発起して働きだします。工場の技師の助手やキャバレーのウェイターの仕事を転々としたもののうまくいかず、少女は落ち込んでしまいます。しかしチャーリーは力強く励まし、自由な生活のために歩き始めるのでした。

■おわりに

チャールズ・チャップリンはイギリス・ロンドンに生まれた映画監督で、『黄金狂時代』や『モダン・タイムス』といった映画史に残る作品を制作した映画監督です。チャップリン自身俳優、映画監督、映画プロデューサーなどマルチな才能を発揮して数々の作品を制作していたものの、赤狩りの際にはアメリカから追放。しかし20年後になってスタンディングオベーションで迎え入れられた点を考えると、チャップリンのユーモアはアメリカに深く根付いたといえるでしょう。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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