フランコ・ゼフィレッリ:『ロミオとジュリエット』『ナザレのイエス』などを制作した映画監督

フランコ・ゼフィレッリは1923年2月12日イタリアのトスカーナ州フィレンツェに生まれた映画監督です。ウィリアム・シェイクスピアの作品をいくつも映画化したことで有名であり『ロミオとジュリエット』や『じゃじゃ馬ならし』などは高い評価を得ました。そんなフランコ・ゼフィレッリの人生と作品について詳しく解説していきます。

■フランコ・ゼフィレッリとは

(Public Domain/‘Franco Zeffirelli’ by Pierluigi. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

フランコ・ゼフィレッリは1923年2月12日イタリア王国トスカーナ州フィレンツェに生まれました。フィレンツェに住むイギリスの上流階級の人々のコミュニティで育ったことから、英語に堪能であり、第二次世界大戦の際にはイギリス陸軍の通訳としても働いていました。

その後演劇界でのキャリアを夢見るようになったゼフィレッリは、ルキノ・ヴィスコンティのスタッフとして働くようになり、美術や装置などの仕事を担いました。その後ヴィスコンティが映画に進出するにしたがってゼフィレッリもまた映画業界入りし、古典劇を中心とした作品を制作するようになっていきました。

またオペラ演出家としても知られており、ウィーン国立歌劇場、ミラノ・スカラ座、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場、ロンドン・ロイヤル・オペラハウスなど世界各地の歌劇場で演出を行っており、特に自国イタリア出身のヴェルディやプッチーニの作品を扱っていることで有名です。

また2016年にはイタリアの歴史研究家によって行われたレオナルド・ダ・ヴィンチの血縁者を探す調査において、その血縁者約35名の中に含まれていることも判明しています。

そうして晩年にいたるまで旺盛な制作意欲のもと制作活動に励んでいたゼフィレッリでしたが、2019年6月15日にローマにある自宅で死去。96歳の生涯を閉じることになります。

■フランコ・ゼフィレッリの作品

フランコ・ゼフィレッリの作品の特長は古典劇をベースとした青春映画を制作したことでしょう。特にゼフィレッリを有名にしたのは1968年の『ロミオとジュリエット』であり、原作に忠実にオリビア・ハッセーやレナード・ホワイティングといった10代の役者を起用。世間を驚かせました。また1972年の『ブラザー・サン シスター・ムーン』では聖フランチェスコの物語をテーマとして、信仰に目覚めた青年の内面を描き、大きな反響を呼びました。

そんなフランコ・ゼフィレッリの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品についてご紹介します

・『ロミオとジュリエット』 1968年

本作品は1968年に制作された作品で、イギリス・イタリア・アメリカの合作で制作された作品です。ウィリアム・シェイクスピアの著名な戯曲を映画化した作品であり、より実年齢に近づけたキャスティングが行われ、レナード・ホワイティングやオリビア・ハッセーが演じたことで話題になりました。

舞台は14世紀のイタリアの都市ヴェローナ。モンタギュー家とキャピュレット家は代々対立しており、争いが絶えない状況でした。そんな中モンタギュー家の一人息子であるロミオはロザラインへの片思いに苦しんでおり、気晴らしにとキャピュレット家のパーティーに忍び込みます。そこでキャピュレット家の一人娘ジュリエットに出会ったふたりはたちまち恋に落ち、修道僧ロレンスのもとでひそかに結婚。ロレンスは2人の結婚が両家の争いを止めることを願うようになります。

しかしその直後ロミオは争いに巻き込まれ、親友であるマキューシオを殺されたことに逆上。キャピュレット夫人の甥であるティボルトを殺害してしまいます。この事態を重く見たヴェローナの大公エスカラスはロミオを追放することにし、ジュリエットは大公の親戚パリスと結婚することを命じられてしまいます。

ジュリエットに助けを求められたロレンスはなんとか2人の円を取り持つべく、仮死状態になる毒を使って周囲を欺く計画を立てます。しかしこの計画がロミオに伝わることはなく、ジュリエットが死んだと思い込んだロミオは墓の前で毒薬を飲んで自殺。その直後に仮死状態から目覚めたジュリエットもまたロミオの死に衝撃を受け、短剣で後追い自殺してしまいます。

・『ジェイン・エア』 1996年

※画像はイメージです

本作品は1996年に制作された作品で、シャーロット・ブロンテの同名小説を映画化した作品です。

舞台は19世紀のイギリス。生後すぐに両親を失ったジェイン・エアは叔父のリードの屋敷で育てられていましたが、リードの死後夫人と子どもたちはジェインを厄介者扱いするようになり、10歳のときには事前学校のローウッド学院に追いやられてしまいます。

19世紀の女性としては珍しく率直に発言するジェインは、厳格なローウッド学院でも反抗的だと虐げられてしまいます。しかし優しいテンプル先生と同級生のヘレンとともにジェインは健やかに育っていくのでした。その後学院で教師として務めたあと、ジェインは家庭教師の職を得てフランスに渡ることになります。フランスの貴族ロチェスターからアデールという少女の教師として雇われたジェインは、優しいテンプル先生に別れを告げ学院を去ることになります。

そんなロチェスターとアデールが住むソーンフィールド邸は豪華なものの、時折不気味な笑い声が響き、不審火や客のメイソンが何者かに挿される事件が起こるなど、不可解な事件が続いていました。しかしその度ジェインはロチェスターを助け、ロチェスターはそんなジェインに心惹かれるようになっていき、ついにジェインに結婚を申し込みます。

※画像はイメージです

ついに結婚式が行われることとなり、ジェインは純白の花嫁衣装で結婚式に臨むものの、メイソンが妹のバーサこそがロチェスターの妻であると主張。実はロチェスターは父親に強制された政略結婚で、精神に異常があるバーサを妻としていたのでした。バーサが今も館に幽閉されていることを知ったジェインは館を後にし、牧師の一家であるリヴァース家に身を寄せることになります。

そんな中実はジェインは亡き父の弟から莫大な遺産を相続しており、静かな新生活の中で穏やかなひと時を過ごしていました。しかしロチェスターがどうしても忘れられないジェインは幻聴で彼の声を聴くようになり、たまらずソーンフィールド邸に戻ることにします。しかしソーンフィールド邸では火事が起こり、そのためロチェスターは失明していました。ジェインはロチェスターに変わらぬ愛を語り、館に戻ることにするのでした。

■おわりに

フランコ・ゼフィレッリはイタリア・フィレンツェに生まれた映画監督であり、『ロミオとジュリエット』や『ジェイン・エア』など古典作品を扱ったことで有名な人物です。原作に忠実に演出するそのスタイルは、当時の人々を驚かせ、また後世の映画監督たちにも多き影響を与えました。ぜひこれを機に、ゼフィレッリの作品を鑑賞してみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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