アラン・パーカー:『ミッドナイト・エクスプレス』を制作した映画監督

アラン・パーカーは1944年2月14日にイギリスのロンドンに生まれた映画監督です。コピーライターを経て脚本を執筆するようになり、1968年の『ミッドナイト・エクスプレス』では高い評価を得て、国際的な映画監督として知られるようになりました。そんなアラン・パーカーの人生と作品について詳しく解説していきます。

■アラン・パーカーとは

アラン・パーカーは1944年2月14日イギリスのロンドンに生まれた映画監督です。労働者階級に生まれたパーカーは勉強に明け暮れる毎日を過ごしており、当初は映画に関心をもってはいませんでした。しかし叔父から影響を受けて写真に関心を持つようになり、学校では科学を専攻。その後広告業界で働くために18歳で学校を退学することになります。

パーカーの最初の仕事は広告代理店での雑務ばかりでした。しかしとにかく執筆に強いあこがれを持っていたパーカーは仕事を終えて帰宅すると、エッセイや広告を書くようになり、すぐにコピーライターの仕事に就くようになります。その後1968年ごろには多くのテレビ広告の監督としての仕事を行うようになり、1970年には広告会社を設立。その会社で制作された広告は国内はもちろん、国際的な賞も獲得し、一躍パーカーの名前を有名にしていきました。

その後1971年には友人のデヴィッド・パットナムが映画『小さな恋のメロディ』を制作する際に原作や脚本を担当したことで、映画業界とかかわるきっかけをもち、その後は数々の作品を制作。1978年の『ミッドナイト・エクスプレス』ではアカデミー賞6部門にノミネートされたのち、2部門を受賞するなど映画監督としても高い評価を得るようになっていきました。

■アラン・パーカーの作品

アラン・パーカーの作品の特長は若者や公民権運動などの社会的な問題を扱いながら、広告業界でのキャリアを活かし、印象的な作品を制作している点でしょう。その作品はメッセージ性はもちろん、映像美でも高く評価されています。

そんなアラン・パーカーの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品についてご紹介します

・『ダウンタウン物語』 1976年

※画像はイメージです

本作品は1976年に制作された作品で、出演者の平均年齢は12歳とちびっこギャングの活躍を描いた作品です。

舞台は禁酒法のさなかにあるニューヨーク。ダウンタウンのリトル・イタリアではふとっちょサムとおしゃれのダンの二組のギャング団がまさに決戦の時を迎えていました。しかしダン一味は新型のパイ投げマシンガンを手に入れ、サムの密造酒工場を襲撃。そのためサムは劣勢に強いられ、情婦のタルーラの慰めの言葉も耳に入らないほど追い込まれていました。

そんな中金欠のボクサー、バグジーは売れない歌手のブラウジーと知り合い恋人に。しかしタルーラがバグジーにちょっかいを出したのをきっかけに、ブラウジーとの中は隙間風が吹くようになってしまいます。

その一方サムはうその密告電話に騙され、部下のほとんどを失い壊滅寸前にまで追い込まれてしまいます。ダンとサムの会談が行われることになるものの、そこでサムは絶体絶命のピンチに。しかしそこでバグジーが助けに入り、サムは200ドルの褒美を与えます。バグジーはその200ドルをもって「一緒にハリウッドに行こう」とブラウジーを誘うものの、その直後にバグジーはチンピラに襲われて200ドルはもちろん、無一文になってしまいます。

しかしバグジーはダン一派のマシンガン強奪を企てて、見事成功。サムの酒場に乗り付けたダン一派とサム一派の決戦がはじまります。いつしか飛び交うパイのクリームでサムの酒場は真っ白になり、大人を演じていたはずの子どもたちはいつしか子どもの笑顔を取り戻すのでした。

・『ミッドナイト・エクスプレス』 1978年

※ロケ地のマルタ・聖エルモ砦

本作品は1978年に制作された作品で、祖国から見放され異国の独房で絶望的な日々を送る青年が脱獄するまでの実話を描いた作品です。ビリー・ヘイズが自身の実体験を記した同名の著書を原作としており、タイトルの『ミッドナイト・エクスプレス』は「脱獄」を意味しています。

1970年ニクソン政権下のアメリカでは中東諸国との関係を悪化させており、その関係は険悪なものになっていました。そんな中イスタンブール空港から2キロの麻薬をアメリカに運び出そうとしていたアメリカ人のビリー・ヘイズは麻薬密輸の罪で官憲に逮捕。やがてビリーはセイガルミルカー刑務所に移されることになり、麻薬密輸の罪にもかかわらず重罪人のように扱われる日々に強い孤独と不安を感じるようになっていきます。

そんなビリーを看護してくれたのは、ジミーとエリックでした。ジミーは「この刑務所に入れられたら番病人になるか、深夜特急に乗るかのどちらかだ」と説きます。「深夜特急」とは「脱獄」のことであり、ビリーの投獄を知ったビリーの父親は弁護士と合衆国領事館の手を借りて裁判を開始。しかし国際情勢の厳しさの中で刑期30年という途方もない判決を言い渡されたビリーは、深夜特急に乗るべく画策をはじめるのでした。

・『フェーム』 1980年

本作品は1980年に制作された作品で、ニューヨークのマンハッタンに現存する芸能専門学校を舞台に、有名人になることを夢見て入学してきた若者たちが卒業するまでをドキュメンタリー・タッチで描いた作品です。

音楽、ダンス、演劇の3つのカリキュラムを主体とするニューヨークの芸能専門学校では、秋になり連日入学試験が行われていました。入学者の中には母親に付き添われた内気な少女やガールフレンドとともに会場を訪れた青年など、若者たちは希望と不安に胸を高鳴らせていました。そんな中厳しいオーディションに合格した若者たちが登校。その中にはスラム育ちで美声をもつココやおしゃべりでダンス科のリサ、そして音楽の才能を持つブルーノらが含まれていました。

それぞれが自らの未来に向かって勉学に励む中、ココはダンス科のリロイに惹かれ始めていました。しかしリロイは新入生で金持ちの娘のヒラリーに恋をするようになり、またダンス科のリサは才能がないから辞めるようにと教師に諭され、ショックのあまり自殺まで考えるほど追い込まれていました。そんな中それぞれは自らチャンスをつかみ取り、卒業式を迎えます。若者たちは卒業生の大合唱に参加し、新しいスタートを切ろうとするのでした。

■おわりに

アラン・パーカーはイギリス、ロンドンに生まれ、コピーライターから映画監督に転身した人物です。広告業界に長く身を置いていたこともあって、その映像や作品のメッセージ性は鑑賞者をひきつける魅力であふれており、イギリスを代表する映画監督の一人といえるでしょう。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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