アルフレッド・ヒッチコック:「サスペンス映画の神様」

(Public Domain/‘Studio publicity photo of Alfred Hitchcock.’ by Ante Brkan. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

アルフレッド・ヒッチコックは1899年8月13日ロンドンに生まれた映画監督です。ヒッチコックはアメリカを拠点として『レベッカ』や『サイコ』、『鳥』といった作品を制作し、「サスペンス映画の神様」とも呼ばれました。そんなアルフレッド・ヒッチコックの人生と作品について詳しく解説していきます。

■アルフレッド・ヒッチコックとは

(Public Domain/‘Photo of Alfred Hitchcock on the set of his new television program, Alfred Hitchcock Presents.’ by CBS Television. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

アルフレッド・ヒッチコックは1899年8月13日ロンドンのレイトンストーンに生まれました。一家はアイルランドのカトリック教徒であり、ヒッチコックもカトリックの寄宿学校に入学。その後はセント・イグナチウスカレッジで学んでいたものの、14歳の時には父親が亡くなったため学校を去ることになります。その後はケーブル会社の技術部門で働きながらロンドン大学の美術学科で絵の勉強をし、広告宣伝部に移動。アメリカの映画会社に採用されたのちは、サイレント映画のタイトルデザインなどを手掛け、徐々に脚本や助監督といった仕事も手掛けるようになっていきました。

1927年には切り裂きジャックをモデルにした『下宿人』を公開。その後は次々と作品を発表していき、徐々にハリウッドからも注目されるようになっていきました。そうしてアメリカに渡ったヒッチコックは、1940年に『レベッカ』を発表。1940年のアカデミー最優秀賞を受賞したことでセンセーショナルなデビューを飾ります。

1950年代になるとヒッチコックの黄金時代となり、『めまい』や『ダイヤルMを回せ!』『北北西に進路を取れ』といった代表的な作品が発表されるようになり、ヒッチコックはアメリカを代表する映画監督のひとりに数えられるようになっていました。そうして「サスペンス映画の神様」と称されるほどの活躍を見せたヒッチコックでしたが、1976年の『ファミリー・プロット』が遺作となり、1980年1月3日に死去。次回作として小説家ロナルド・カークブライドのスパイ小説『みじかい夜』の映画化を予定していたものの、実現することはありませんでした。

■アルフレッド・ヒッチコックの作品

ヒッチコックの作品はそのストーリーもさることながら、高度な映画技法を駆使しながら作られていることで知られており、そのテクニックは演出上必要な場所に適切に使われているため、ヒッチコック作品をより魅力的なものにしています。特にスティーブン・スピルバーグはヒッチコックの演出テクニックを参考にしていると語っており、その後の若手映画監督たちにも多大な影響を与えたといえるでしょう。

そんなアルフレッド・ヒッチコックの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品についてご紹介します。

・『レベッカ』 1940年

(Public Domain/‘Theatrical poster for the American release of Alfred Hitchcock’s 1940 film Rebecca.’ by © 1939 by United Artists Corporation. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1940年に制作された作品で、ダフニ・デュ・モーリエの『レベッカ』を原作とした作品です。ヒッチコックがアメリカにわたってからはじめて制作された作品であり、第13回アカデミー賞でアカデミー賞最優秀賞、撮影賞の2部門を受賞しました。

ヴァン・ホッパー夫人の付き人としてモンテカルロのホテルにやってきた「わたし」は、そこでイギリスの大金持ちであるマキシムと出会い、2人は恋に落ちます。マキシムは1年前ヨット事故で前妻レベッカを亡くしていたものの、「わたし」を妻として迎え入れることにし、大邸宅に連れて帰ります。多くの使用人がいる邸宅で控えめにやっていこうとする「わたし」だったものの、レベッカの使用人であったダンヴァース夫人にはなかなか受け入れられることはなく、次第に「わたし」は追い込まれるようになっていきました。

(Public Domain/‘A screenshot of Judith Anderson and Joan Fontaine in Rebecca’ by Trailer screenshot. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

そんな「わたし」にダンヴァース夫人は窓から身を投げるようにとささやき、ついに自殺を図ろうとしてしまうものの、その時偶然上がった花火の音で「わたし」は正気を取り戻します。その花火の音は難破船が見つかったことを知らせるものであり、その船はレベッカのヨットであり、船の中でレベッカの死体が発見。実はレベッカは嵐の夜にヨットで遭難し、すでに葬られた後でした。そのため改めてレベッカの遺体が調べられることになったものの、レベッカの従兄と名乗るジャックはマキシムによる殺害を主張。「わたし」はマキシムに詰め寄ってしまいます。

実はかねてよりレベッカの豪華な生活悩まされていたマキシムはレベッカに詰め寄り、その拍子にレベッカは転倒し頭を打って死んでしまっていたのです。マキシムはその遺体をヨットに運び込みヨット事沈めたものの、実はレベッカはがんに侵されており、自殺を決意したレベッカは自らの病を隠したままマキシムに自分を殺させようとしていたのでした。

レベッカの呪縛からようやく解き放たれたふたりだったものの、真相を知ったダンヴァース夫人によって屋敷は火をつけられ、焼け落ちていくのでした。

・『めまい』 1958年

(Public Domain/‘Theatrical poster for the film Vertigo. Restored by Adam Cuerden. Work done: Long fold (?) marks removed. Minor blobs fixed.’ by Copyrighted by Paramount Pictures Corporation. Incorporates artwork by Saul Bass , See Curry, Adrian (2012-08-03 Restored by Adam Cuerden. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1958年に制作された作品で、フランスのミステリー作家ボワロー=ナルスジャックの『死者の中から』を映画化した作品です。

ジョン・ファーガソン刑事は犯人を追跡中に同僚を死なせてしまったショックで、高所恐怖症によるめまいに襲われるようになっていました。とても仕事を続けられる状態ではないと悟ったファーガソンは警察を辞職。そこに学生時代の友人エルスターが現れて、不審な行動をするマデリンを調査してほしいとの依頼を受けることになります。

ファーガソンはマデリンを尾行するうちに、彼女の先祖で不遇の死を遂げたカルロッタを知り、マデリンがカルロッタの上方から首飾りまであまりにそっくりな姿をしていることからカルカッタの亡霊にとりつかれているのではないかと考えるようになります。

尾行を続けているとマデリンは突然海に飛び込み、投身自殺を図ってしまいます。ファーガソンはマデリンをどうにか救い出し、2人は恋に落ちます。どうにかマデリンを救いたいと考えたファーガソンはマデリンが夢で見たスペイン風の村に向かうものの、マデリンはカルロッタの自殺した教会へと走っていき、自殺を遂げてしまうのでした。

■おわりに

アルフレッド・ヒッチコックはアメリカを代表する映画監督であり、「サスペンス映画の神様」と称される人物です。その作品は高度な映画技術で作られており、スティーブン・スピルバーグをはじめとした構成映画監督たちにも大きな影響を与えました。

80歳まで現役であり続けたヒッチコックですが、その旺盛な制作意欲は映画史においても類まれといえるでしょう。サスペンス映画に関心のある方は、ぜひ鑑賞してみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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