イングマール・ベルイマン:スウェーデンを代表する映画監督

(Public Domain/‘Ingmar Bergman filming 1965.’ by Scanpix. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

イングマール・ベルイマンは1918年7月14日スウェーデンのウプサラに生まれた映画監督です。「神の沈黙」「愛と憎悪」「生と死」といったモチーフを扱った作品を制作し、スウェーデンを代表する映画監督となりました。そんなイングマール・ベルイマンの人生と作品について詳しく解説していきます。

■イングマール・ベルイマンとは

(Public Domain/‘Ingmar Bergman (1918–2007), Swedish stage and film director. Photo: Taken during the production of Wild Strawberries (Smultronstället) (1957). Svensk Filmindustri (SF) press photo. Source: Svenska filministitutet.’ by Louis Huch (1896–1961), at SF 1930–60. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

イングマール・ベルイマンは1918年7月14日スウェーデンのウプサラに生まれました。父は牧師、兄は外交官、妹は小説家という一家で、ベイルマンはストックホルム高等学校の文学・美術史学科に入学し、舞台演出の仕事に進むことになります。

1942年にはスヴェンスク・フィルム社に入社し、1944年にはアルフ・シェーベルイ監督の『もだえ』の脚本を手掛けるなど、徐々に頭角を現していきました。1945年には『危機』で映画監督としてデビューし、1952年の『不良少女モニカ』はヌーヴェルヴァーグの映画監督たちから高く評価を受けるようになり、その名前は世界的に知られるようになっていきます。1955年には『夏の夜は三たび微笑む』でカンヌ国際映画祭の特設賞である「詩的ユーモア賞」を受賞。その後も1950年代後半に『第七の封印』や『野いちご』、『処女の湖』といった作品を制作し、その名声を不動のものとしていきました。

1960年代には『鏡の中にあるが如く』や『冬の光』、『沈黙』からなる「神の沈黙」三部作を制作。そうした作品が評価されて、1963年にはストックホルム王立劇場の総監督に就任。1966年にはフォーレ島で生活を始めるなどプライベートも充実していた矢先、1976年には脱税で逮捕されてしまいます。ベルイマンは無実であったため2か月後には釈放されたものの、ショックを受けたベイルマンはスウェーデンを去り、ミュンヘンに居を移すこととなります。

1982年には5時間を超える大作『ファニーとアレクサンデル』を制作したのち、監督業から引退。その後はスウェーデン王立劇場での演出に専念する日々を送っていたものの、2003年に20年ぶりとなる『サラバンド』を発表。長い沈黙を破っての発表だったことに加え、デジタルHD撮影によって制作された作品であったこともあって大きな話題となりました。

そうして晩年は舞台を中心に精力的な活動を送っていたベルイマンでしたが、2007年7月30日にはスウェーデンのフォーレ島で死去。89歳の生涯を閉じることとなります。

■イングマール・ベルイマンの作品

イングマール・ベルイマンは20世紀を代表する映画監督と称されており、ウディ・アレンやクシシシュトフ・キェシロフスキなどは影響を受けた映画監督の一人にベルイマンの名前を挙げています。その形而上学的ともいえる作風から難解な作家と評されることも多いものの、「神の沈黙」や「愛と憎悪」、「生と死」といったテーマに取り組み、映画史に残る作品を制作しました。

そんなイングマール・ベルイマンの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品についてご紹介します。

・『夏の夜は三たび微笑む』 1955年

※画像はイメージです

本作品は1955年に制作された作品で、夏の夜郊外の別荘に集まった男女を描いたロマンティック・コメディ作品です。本作は公開当時からスウェーデン国内でも評価が高く、1956年の第9回カンヌ国際映画祭パルム・ドールにノミネートされ、受賞は逃したものの「詩的ユーモア賞」を受賞し、一躍ベイルマンの名前は知られることになりました。

ある夏の午後。著名な弁護士であるフレデリック・エーゲルマンは、かつて恋人で会った女優デジレ・アームフェルトの母親の別荘を訪れることになります。その際妻のアンと成人した息子ヘンリック、そして息子の思い人である女中ペトラも同行することになります。

その他に招かれたのはエーゲルマン一家のほかには、デジレの愛人であるマルコム伯爵、アンの友人である伯爵夫人シャーロッテなどで、一癖も二癖もある人物ばかりでした。そしてフレデリックはいまだにアンと関係をもてないことに悩みを抱えており、またデジレはフレデリックとよりを戻そうとし、マルコム伯爵はデジレを独占しようとするなど、いずれも現在のパートナーとうまくいっていない状態でした。こうしたそれぞれの思惑が絡み合い、夏の夜は更けていくのでした。

・『第七の封印』 1957年

(Public Domain/‘Inspelning av Ingmar Bergmans Det sjunde inseglet på Gamla Filmstaden i Solna. Ingmar Bergman på brandbilen, Gunnar Fischer på brandstegen’ by Louis Huch. Image via WIKIMEDIA COMMONS)
※撮影風景

本作品は1957年に制作された作品で、土着信仰とキリスト教信仰が混在する中世の北欧を舞台に、騎士と死神の対決を描いた作品です。本作でベイルマンは『夏の夜は三たび微笑む』に続き、1957年のカンヌ国際映画祭パルム・ドールに二年連続でノミネート。受賞こそ逃したものの、審査員特別賞を受賞しました。

十字軍の遠征が終わって間もないころのスウェーデン。騎士のアントニウス・ブロックとその従者であるヨンスは10年にもわたる遠征から帰国するものの、そこで彼らが見たのはペストに蹂躙される祖国の姿でした。

アントニウスはようやく故郷にたどり着いたものの、彼を追ってきた死神から死を宣告されてしまいます。アントニウスは自らの命を懸けてチェスでの対決を申し入れ、その間の猶予を活かして妻の待つ居城へと歩みを進めるのでした。しかし道中家族を疫病で失った少女や犯罪者へ成り下がった聖職者、火炙りの刑に処せられる魔女など神に救いを求め混乱する哀れな民衆の姿を目にすることになります。それでも彼は少女と旅芸人一家、そして鍛冶屋夫妻などを一行に加え、旅を続けるのでした。

しかし城を目前とした夜、ついにアントニウスは死神相手のチェスで敗北してしまいます。しかしどうにか旅芸人の一家を守ることには成功。その後荒れ果てた城で妻と再会し晩餐を取るものの、そこに現れた死神によって命を奪われてしまいます。

・『野いちご』 1957年

(Public Domain/‘Från vänster: Gösta Ekman, Ingmar Bergman och Victor Sjöström vid inspelningen av “Smultronstället” 1957’ by Unknown author. Image via WIKIMEDIA COMMONS)
※撮影現場

本作品は1957年に制作された作品で、名誉学位の授与式に向かう老教授の一日を描いた作品です。同作はベルリン国際映画祭において国際批評家連盟賞とナショナル・ボード・オブ・レビュー賞主演男優賞を受賞。そのほかにも多数の国際的な映画賞を受賞しました。

医学の研究に生涯をささげ、その長年の功績から名誉学位を受けることになったイサク。しかし授賞式前夜に死を暗示する悪夢を見たため、彼の心は晴れずにいました。イサクは現在の住まいのあるストックホルムから式の行われるルンドまで車で向かうことにします。この半日程度の旅行はイサクにとって人生を顧みる機会となり、授賞式の夜は前夜に見た悪夢とは違い満ち足りたものになるのでした。

■おわりに

イングマール・ベルイマンはスウェーデンを代表する映画監督の一人であり、『第七の封印』や『野いちご』、『ファニーとアレクサンデル』といった作品を制作したことで知られています。その作品は形而上的で難解と評価されているものの、ベルイマンに影響を受けた映画監督は多く、映画史に名を残した名監督のひとりといえるでしょう。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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