エドウィン・S・ポーター:西部劇の元祖

(Public Domain/‘Photograph of Edwin S. Porter’ by Unknown author. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

エドウィン・S・ポーターは1879年4月21日アメリカ合衆国ペンシルバニア州コネルズビルに生まれた映画監督です。アメリカ映画の基礎を築いた一人とされており、代表作『大列車強盗』はアメリカ映画としてはじめてストーリーをもつ映画としてアメリカ映画を代表する一作となっています。そんなエドウィン・S・ポーターの人生と作品について詳しく解説していきます。

■エドウィン・S・ポーターとは

※画像はイメージです

エドウィン・S・ポーターは1870年4月21日ペンシルバニア州コネルズビルに生まれました。高校卒業後電気に関心を持ったポーターは、21歳でランプレギュレーターの特許を取得。その後アメリカ海軍に電気技師として3年兵役につくものの、1900年にはエジソン社にカメラマン兼映写技師として入社。エジソンスタジオで映画の制作の仕事に就くようになります。

最初はトリック映画や喜劇映画を制作していたものの、1901年には風刺喜劇『Terrible Teddy,the Grizzly King』やジョージ・S・フレミングとの共同制作である『ニューヨーク23通りで何が起こったか』などを制作。また1903年の『アメリカ消防士の生活』ははじめてストーリーをもった映画の一つであり、映画史の残る作品として高く評価されています。また同年には『大列車強盗』を発表。12分ほどの作品であったものの、初の西部劇としてこちらも歴史的な作品と見なされています。

その後1909年にはエジソン社の元を離れレックス社を立ち上げたものの、3年で売却。同年にはアドルフ・ズッカーのオファーを受けてフェイマス・プレイヤーズ・フィルム・カンパニーの監督となり、1915年の『国民の創生』の大ヒットに対抗して大作『永遠の都』を制作したものの、1916年には会社を退職。その後は映写機の製造会社を経営したりなどしていたものの、1941年4月30日にはニューヨークのホテルで71歳の生涯を閉じることとなります。

■エドウィン・S・ポーターとは

エドウィン・S・ポーターはアメリカ映画の基礎を築いた人物として有名です。ポーターはエジソン社で映画製作に携わった際、ストーリーのある作品や初の西部劇とされる作品を制作。こうした作品はのちのアメリカ映画史の基盤となりました。映画の黎明期であったこともありその作品は短く、簡素なものであることが多いものの、ポーターがアメリカ映画史に築いた功績は大きいといえるでしょう。

そんなエドウィン・S・ポーターの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品についてご紹介します。

・『ニューヨーク23番通りで何が起こったか』 1901年

(Public Domain/‘What Happened on Twenty-third Street, New York City is a 1901 American short film depicting Florence Georgie walking over a grate, the hot air lifting her skirt.’ by Edwin S. Porter (Cinematography). Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1901年に制作された作品で、鉄格子の上を歩く女性のスカートが熱風に持ち上げられる様子をコミカルに描いた作品です。

タイトルでは「23通り」とされているものの、実際に撮影されたのはニューヨークのテンダーロイン地区であり、この地域は1870年代商業的に栄えるとともに、犯罪の巣窟としても知られていました。また街角には強い風が吹く場所が何カ所もあったため、男性たちは女性のスカートが風で持ち上がることを期待して街でふらついていたといわれています。こうしたニューヨークの事情から警官たちは「Twenty-three skidoo」、すなわち「出ていけ」という言葉をそうした男性たちに使うようになったため、当時の人々にとっては刺激的なタイトルでもありました。

また女性のスカートが持ち上がるシーンとしては1955年に制作された『七年目の浮気』でマリリン・モンローが演じるシーンが有名ですが、アメリカ議会図書館のウェブサイトでは『ニューヨーク23番通りで何が起こったか』との比較研究が行われるなど、アメリカ映画史を代表する作品と言えます。

・『アメリカ消防士の生活』 1903年

(Public Domain/‘Screenshot from Life of an American Fireman, made by Edwin S. Porter for the Edison Manufacturing Company. Released in 1903.’ by Thomas Edison/Edwin S. Porter. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1903年に制作された作品で、燃え盛る建物から女性と子供を救う消防士の姿を描いた作品です。ポーターの代表作のひとつであり、アメリカの物語映画としては最初期の作品にあたります。また当時の消防士の社会的役割が変化しつつあったことを示す作品でもあり、当時のアメリカ社会を表した作品としても注目されています。

本作品は1890年から1910年にかけて誕生した複数の新しい映画技術を統合しており、ポーターは7つのシーンからなる9つのショットを異時同図的に映画いています。例えば火事に襲われる女性と子どもとその二人を思い浮かべる消防士、というようにふたつのシーンをひとつにまとめるなど、物語の時間の流れを無視し繰り返し見せることで、最後の場面での母子救出が強調される結果となっています。こうした表現をポーター自らが生み出したわけではないものの、効果的に作中で用いたという点では評価されており、1903年の『大列車強盗』ではその利用はより推し進められています。

・『大列車強盗』 1903年

(Public Domain/‘Screenshot from The Great Train Robbery (1903)’ by Edwin Stanton Porter. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1903年に制作された作品で、初の西部劇映画、かつアメリカ映画としては初めて本格的なプロットを持った作品です。

当時の映画はワンシーンワンショットが当たり前であり、本作品もワンシーンワンショットで撮影されているものの、ロケーション撮影やパン撮影といった新しい映画技術が用いられ映画文法を用いた最初の映画の一つとなりました。そのため「アメリカ映画の古典」と呼ばれており、1990年にはアメリカ国立フィルム登録簿に登録されています。

作品はとなる駅の電信室にピストルを持った2人の強盗が押し入り通信員に列車を止めるよう強迫するシーンから始まります。通信員は到着した列車の車掌に偽の書類を渡して列車を止めさせるものの、その後強盗はピストルで通信員を殴り、縛り上げて出て行ってしまいます。

停車した列車に4人の強盗はこっそりと乗り込み、そして列車は出発。貨物車両で働いている郵便配達員は強盗が侵入したことに気が付き、配達員は貴重品が入った箱の鍵を外に投げ捨ててしまいます。そこに強盗が押し入り、銃撃戦となって配達員は志望。強盗は鍵のかかった貴重品の箱をダイナマイトで吹き飛ばし、車両から出て行ってしまいます。

その一方電信室では少女が縛られている通信員の姿を見つけ、通報によって保安官が駆け付ける事態に。警察隊によってひとり、またひとりと強盗は撃たれていき、ついに最後の一人も打たれ倒れてしまいます。ラストシーンは強盗のリーダーがカメラに向かって発砲するシーンで、幕を閉じます。

■おわりに

エドウィン・D・ポーターはアメリカ合衆国ペンシルバニア州に生まれた映画監督であり、アメリカ映画の基礎を築いたといわれる人物です。ポーターは新しい映画技術や文法を用いたことにより、アメリカ映画に革新をもたらしました。アメリカ映画に関心を持たれている方は、ぜひポーターの作品を鑑賞してみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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