シドニー・ポラック:『トッツイー』『愛と悲しみの果て』を制作した映画監督

シドニー・ポラックは1934年7月1日にアメリカ合衆国インディアナ州ラファイエットに生まれた映画監督です。俳優としてキャリアをはじめたのち、1965年からは映画も監督するようになり、『トッツイー』や『ひとりぼっちの青春』はアカデミー賞にノミネートされるなど高い評価を得ました。そんなシドニー・ポラックの人生と作品について詳しく解説していきます。

■シドニー・ポラックとは

シドニー・ポラックは1934年7月1日アメリカ合衆国インディアナ州ラファイエットで生まれました。ポラックは17歳で高校を卒業し、演技を学んで俳優として活動するようになります。1958年には2年間の兵役を終えて舞台に戻ることとなり、1959年にはテレビ出演も再開。1965年には映画も監督するようになり、『ひとりぼっちの青春』や『追憶』、『トッツイー』などで高い評価を得てアカデミー賞にもノミネートされました。そして1958年の『愛と悲しみの果て』ではアカデミー作品賞とアカデミー監督賞を受賞。名実ともにアメリカを代表する映画人の一人と称されています。

■シドニー・ポラックの作品

ポラックの作品の特長は、社会問題と娯楽性を共存させている点にあるといえます。『スクープ・悪意の不在』や『ザ・ファーム/法律事務所』などはそうした表現の作品であり、実にポラックらしい作品と言えます。

そんなシドニー・ポラックの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品についてご紹介します。

・『雨のニューオリンズ』 1966年

※画像はイメージです

本作品は1966年に制作された作品で、テネシー・ウィリアムズによる一幕劇『財産没収』を原作とする作品です。

孤児のウィリーがひとりで「Wish me a rainbow」をうたいながら線路の上を歩いて遊んでいると、トムという少年に出会います。ウィリーはトムに昔家族がいた頃の話をはじめるのでした。

ニューお綸子からミシシッピ州にあるドッドスンという小さな町にやってきたオーエンはスター下宿屋に宿泊することに。下宿屋ではスター家の母親ヘイゼルの誕生パーティが開かれており、多くオン鉄道員が集まっては盛り上がっていました。ウィリーの姉アルバは魅力的な女性で、ヘイゼルは金持ちの中年男性ジョンソンと結婚させようとしたものの、アルバはオーエンに一目ぼれ。しかしオーエンが興味を示すことはありませんでした。

翌日オーエンは駅に向かい、鉄道従業員の人員削減のための調査を行うと通知。町中の鉄道従業員からにらまれるオーエンだったものの、アルバはオーエンにさらに惹かれていき、オーエンも徐々にアルバに惹かれていくようになっていきました。そんな中オーエンが解雇通知を出された従業員から袋叩きにされてしまう事件が発生。アルバが手当てをするなか、オーエンは彼女をニューオリンズに誘うものの、ヘイゼルによって妨害されてしまいます。

アルバは母への反抗心から勢いで解雇された従業員JJと結婚すると告げ、そのまま翌日には一人でニューオリンズを訪れます。そこでオーエンからプロポーズされたものの、母ヘイゼルからの妨害によって二人は引き裂かれ、アルバは町の女に成り下がっていくのでした。

・『ひとりぼっちの青春』 1969年

※画像はイメージです

本作品は1969年に制作された作品で、ホレス・マッコイ原作の小説『彼らは廃馬を撃つ』を映画化した作品です。第42回アカデミー賞で9部門にノミネートされ、ギグ・ヤングが助演男優賞を受賞したほか、第35回ニューヨーク映画批評家協会賞主演女優賞、第27回ゴールデングローブ賞5部門ノミネートなどの快挙を重ね、ポラックの代表作としても知られています。

1932年、大恐慌時代のアメリカ。ハリウッドに近い海辺のダンスホールでダンス・マラソン大会が開催されたものの、それは1時間50分踊って10分休憩し、昼夜関係なく踊り続けて最後に残ったものに賞金が与えられるという過酷なものでした。しかし金目当ての人々には大人気の催しであり、その中には老水兵やスター志望の女優、そしてロバートとグロリアが含まれていました。

ロバートとグロリアは成り行きでパートナーを組むことになり、へとへとになりながら踊り続けるものの、優勝したとしても賞金から諸経費を引かれて大した金額にはならないことが判明し、2人の精神状態はついに限界に達してしまいます。

・『追憶』 1973年

※画像はイメージです

本作品は1973年に制作された作品で、脚本家アーサー・ローレンツが大学時代に体験した学生運動がテーマとなっています。

理想主義的な左翼思想に傾倒するケイティ―と政治にはとらわれない考えを持つハベル。ふたりは大学で出会い、卒業後はそれぞれの道を進んでいたものの、第二次世界大戦中偶然ニューヨークで出会ったことをきっかけに恋人同士に。ハベルの友人たちはブルジョワ気質であり、その点ケイティ―はなじめず二人は別れそうになったものの、戦後結婚し、ハベルは脚本家としてハリウッドで徐々に認められるようになっていきました。

しかしマッカーシズムの時代が幕を開けると、ハベルらがよく集まる映画監督の家に赤狩りの盗聴器が仕掛けられるようになり、そのことがケイティ―の政治思想に火をつけることになってしまいます。ケイティ―は妊娠中にもかかわらず政府に抗議に出かけ、そのことでハベルの仕事にも影響を及ぼすようになっていました。ケイティ―に辟易としていたハベルはふとしたきっかけで昔の彼女と浮気してしまい、2人の関係は絶望的に。ケイティ―が無事女児を出産したことを見届けてハベルはケイティ―のもとを離れてしまうのでした。

それから時がたち、2人は偶然ニューヨークで再開。ハベルはケイティ―の知らない女性と再婚し、ケイティ―も再婚したものの熱心に政治活動を続けていました。ケイティ―は娘が健やかに成長していることを告げ、夫婦同伴で遊びに来てと誘うものの、ハベルはそれを断り抱擁して別れるのでした。

・『コンドル』 1975年

※画像はイメージです

本作品は1975年に制作された作品で、ジェイムズ・グレイディの『コンドルの6日間』を原作とする作品です。

ニューヨークにあるアメリカ文学史協会はCIAの外郭団体として世界各国の雑誌書籍の情報分析を行う機関で、協会職員はCIA分析官で構成されていました。ある日協会は銃で武装した男3人により襲撃され、職員は次々と射殺されてしまいます。たまたま外出していたコードネーム「コンドル」ことジョセフ・ターナーはCIA本部に緊急連絡し、CIA次官のヒギンズからの支持で第17課長のウィクスと落ち合ったものの、そのウィクスから銃撃を受け孤立状態に。コンドルは偶然知り合った女性写真家キャサリン・ヘイルを巻き込んで、真相を暴こうとするのでした。

■おわりに

シドニー・ポラックはアメリカ合衆国インディアナ州ラファイエットに生まれ、俳優としてキャリアをはじめたのち監督業に転身した人物です。その作品はアカデミー賞をはじめとした数々の映画賞を受賞しており、アメリカ映画界を牽引した人物といえるでしょう。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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