セルゲイ・パラジャーノフ:グルジアを代表する映画監督

※グルジア・トビリシにあるパラジャーノフの記念碑

セルゲイ・パラジャーノフは1924年1月9日にグルジア・ソビエト社会主義共和国に生まれた映画監督です。『火の色』や『ざくろの色』など独特の表現の作品を制作した一方、映画監督のほかにも脚本家や画家、工芸家など多彩な活躍を見せ、グルジアを代表する映画監督として知られています。そんなセルゲイ・パラジャーノフの人生と作品について詳しく解説していきます。

■セルゲイ・パラジャーノフとは

※アルメニア・エレヴァンにあるパラジャーノフ博物館

セルゲイ・パラジャーノフは1924年1月9日グルジアのトビリシで生まれました。父親は皇帝軍の士官であったものの、革命後は古美術と中古品をあつかう店を経営しており、パラジャーノフ自身もバイオリンや歌、バレエ、絵画などのクラスを受講しており、芸術的に恵まれた環境で育つことになります。

そんなパラジャーノフが関心をもったのは映画であり、1946年にはモスクワの全ソ国立映画大学の監督科に入学。アレクサンドル・ドヴジェンコやイーゴリ・サフチェンコ、ミハイル・ロンムなどのもとで映画製作を学ぶことになります。1951年には初の短編を制作、1954年にはモルダヴィアの詩人エムリアン・ブーコフの物語を脚色した初の長編『アンドリエーシ』を発表し、注目されるようになっていきました。

1964年にはウクライナの作家ミハイルコテュビンスキイの誕生百年祭のための『忘れられた祖先の影』の制作をキエフの映画スタジオから依頼され、同作は1965年にマール・デル・プラタ国際映画祭でグランプリを受賞。しかしモスクワでの評判は今一つであったため、全国的な配給にいたることはありませんでした。

その後も数多くの作品を制作するも、パラジャーノフの作風は社会主義政権とそぐわなかったこともあり、1973年にモスクワに旅行に赴いた際にはキエフで検挙。これはウクライナの歴史家ヴァレンチン・モロツの裁判でソ連当局への批判的かつ挑戦的な発言を繰り返したことが問題視されたためと考えられており、1974年には有罪、5年の懲役を言い渡されることとなります。国際的な映画祭を通じて著名な映画監督となっていたパラジャーノフを救済するためにロベルト・ロッセリーニやジャン=リュック・ゴダールといったヨーロッパ中の映画人が抗議活動を行ったものの、ソ連当局からは危険人物と見なされる日々が続きました。

※アルメニア・エレヴァンにあるパラジャーノフの像

転機となったのは1985年のミハイル・ゴルバチョフ書記長就任によって行われたペレストロイカであり、その時パラジャーノフは64歳にしてようやく出国を許され、自由な映画製作が許されることなります。1989年には自伝的作品『告白』を準備していたものの、左肺に癌が見つかり、1990年には肺炎で滞在先のボルドーで入院。その後も化学療法を受けたものの、肺炎により66歳でその生涯を閉じることとなります。

■セルゲイ・パラジャーノフの作品

セルゲイ・パラジャーノフの作品の特長は、そのあざやかな色彩と独特の構成といえるでしょう。特にフェデリーニやパゾリーニ、ゴダールといった監督たちはパラジャーノフから影響を受けたといわれており、映画史上類のない作品を制作した映画監督といえるでしょう。

そんなセルゲイ・パラジャーノフの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品についてご紹介します。

・『火の馬』 1964年

※画像はイメージです

本作品は1964年に制作された作品で、ムィハーイロ・コツュブィーンシクィイによる同名の小説『忘れられた祖先の影』を映画化した作品です。

西ウクライナのカルパチア山地チョルノホーラでは山岳民族フツルの民が昔ながらの生活を続けていました。そんなフツルの村ではパリイチュークとフテニュークという二つの家が対立しており、パリイチュークの息子の葬儀中に起きた決闘でパリイチューク自身がフテニュークの斧で殺害されたことで、その対立は決定的なものになっていました。パリイチュークは死の直前真っ赤な火となった馬が天をかけていくのを目撃し、パリイチュークの妻はフテニューク羊が死に絶えるように呪いの言葉をかけるなど、その関係は凄惨なものになりつつありました。

しかしその一方パリイチュークの家に残された最後の息子となったイヴァ―ンは決闘の日に出会ったフテニュークの娘マリーチュカと親しくなり、やがて成長した2人は恋に落ち結婚を誓い合う仲に。しかしある事件をきっかけにマリーチュカは亡くなってしまい、イヴァ―ンは悲しみに暮れることになります。みかねた村人たちはパラーフナという新しい花嫁をあてがうものの、イヴァ―ンの悲しみが言えることはなく、ふたりの家には夜な夜なマリーチュカの霊が訪ねてくるようになるのでした。

そんなイヴァンに絶望したパラーフナはユールコという魔術師と公然と浮気をするようになったものの、イヴァ―ンはそんなパラーフナに気が付く様子もありません。イヴァ―ンは徐々に精神を混乱させていき、決闘でユールコに額を傷つけられたのをきっかけとしてマリーチュカが亡くなった崖に転落。そんなイヴァ―ンを導いたのは水の聖霊ルサールカとなったマリーチュカでした。

イヴァ―ンの葬儀の日、村人たちは悲しみにひたるものの、パラーフナは悲しみに浸ることもできず、晴れ晴れしい気持ちになることもできず、ひとりの夜を過ごすことになるのでした。

・『ざくろの色』 1991年

※画像はイメージです

本作品は1991年に制作された作品で、アルメニアの詩人サヤト・ノヴァの生涯にオマージュをささげた作品です。8章から構成される本作はセリフがほとんどない作品であり、絵画的な美しさを誇っています。

雨に濡れた膨大な書物を干して乾かす日常の風景。そんな中を行き来するサヤト・ノヴァには書物への愛が芽生えつつありました。やがてサヤト・ノヴァは宮廷詩人となり、王妃に恋をするようになります。ことの才能を活かして愛の歌を王妃のために捧げたものの、王妃との恋は悲恋に終わり、サヤト・ノヴァは修道院に幽閉されてしまいます。修道院では日々婚礼や宴で催される聖歌が奏でられており、サヤト・ノヴァの心は慰められていくのでした。

そして老いたサヤト・ノヴァはやがて寺院を去ることを決意。死の天使と出会い、彼方へ続く一本の道を手探りで進んでいきます。サヤト・ノヴァは天使に導かれてこの世を離れるものの、その詩の才能は不滅であり続けるのでした。

■おわりに

セルゲイ・パラジャーノフは1924年にグルジア・ソビエト連邦社会主義共和国トビリシに生まれた映画監督であり、その独特の色彩感覚や構成で同時代の映画監督たちに多大な影響を与えた人物です。体制に批判的な発言を繰り返したことから逮捕され制作活動を制限されることもあったものの、その作品には現在もファンが多く、映画史でも屈指の映画監督といえるでしょう。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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