ピエル・パオロ・パゾリーニ:謎の死を遂げた20世紀における伝説的な映画監督

(Public Domain/‘Foto di Pier Paolo Pasolini durante le riprese de “Il vangelo secondo Matteo”’ by Unknown author. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

ピエル・パオロ・パゾリーニは1922年3月5日イタリアのボローニャで生まれた映画監督です。監督業のほか、脚本家、小説家、詩人、劇作家、評論家など多様な活躍を見せており、後世の映画監督たちにも多大な影響を与えたといわれています。そんなパゾリーニの人生と作品について詳しく解説していきます。

■ピエル・パオロ・パゾリーニとは

(Public Domain/‘Pier Paolo Pasolini2’ by Unknown author. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

ピエル・パオロ・パゾリーニは1922年3月5日イタリアのボローニャで生まれました。父カルロはムッソリーニを救ったことで有名なファシストであり、母スザンナは元教師で芸術家気質な人物でした。そんな母の影響を受けたパゾリーニは徐々に芸術ン関心を持つようになり、1939年ボローニャ大学に入学した際には文学を専攻するも、映画に関心を持つようになっていました。

終戦後の1947年には中学校の教師に着任しするも、1949年には未成年の青年への淫行の容疑を駆けられ教職を追われてしまいます。1950年には母と共にローマにわたり、そこで執筆活動を始めるようになりました。1954年には脚本家としての活動をはじめ、1955年には初の小説『生命ある若者』を発表。1961年には長編映画処女作『アッカトーネ』を発表し、1964年には『マタイによる福音書』を忠実に再現した『奇跡の丘』を発表したことで第25回ヴェネツィア国際映画祭審査員特別賞と国際カトリック映画事務局賞を受賞。国際的な名声を得るようになっていきました。

その後も『オイディプス王』を映画化した『アポロンの地獄』やエウリピデスの悲劇『メディア』を映画化した『王女メディア』を発表するも、相次ぐ不評に見舞われてしまいます。1970年代にはボッカッチョの同名小説を映画化した『デカメロン』や『千夜一夜物語』を映画化した『アラビアンナイト』などを発表。こうした作品は「生の三部作」と呼ばれるようになり、好評を博しました。

(Public Domain/‘Pier Paolo Pasolini pendant le tournage d’Accattone.’ by Unknown author. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

そして1975年マルキ・ド・サドの『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』を原作とした『ソドムの市』の制作に着手するも、ネオファシスト運動への批判を織り込んだ作品であったため勢力から強い反発を受けることになります。1975年11月2日にはパゾリーニ自身がローマ近郊のオスティア海岸で激しく暴行を受けた上に車で引き殺され、53歳の生涯を閉じることとなります。この際『ソドムの市』に出演した17歳の少年ピーノ・ペロージが容疑者として出頭し、同性愛者だったパゾリーニから性的ないたずらをされ、殺害のうえ死体を遺棄したと証言したものの、少年による単独犯としては無理のある内容だったためネオファシストによる犯行と疑われていました。

■ピエル・パオロ・パゾリーニの作品

ピエル・パオロ・パゾリーニの作品の特長は『オイディプス王』や『メディア』、『デカメロン』といった古典的作品をあつかいつつも舞台を当時のイタリアに移し、社会的なメッセージを織り込むといった手法を取っている点でしょう。そうした手法は時に過激なものであり、そのためにパゾリーニは短い生涯を遂げることになってしまったのかもしれません。

そんなピエル・パオロ・パゾリーニの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品についてご紹介します。

・『奇跡の丘』 1964年

(Public Domain/‘Screenshot tratto dal film Il Vangelo secondo Matteo’ by DMarx22. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1964年に制作された作品で、「マタイによる福音書」を忠実に再現しキリストの生涯を描いた作品です。

ヘロデ王の時代、預言通りマリアは聖霊によって懐妊し、生まれた子供はイエスと名付けられました。幼児虐殺を逃れるため一家は一時エジプトに避難していたものの、ようやくイスラエルに戻ったイエスはヨハネのもとで洗礼を受けることになります。その時点から声が響き渡り、イエスが神の子であることを告げます。イエスは荒野で40日間の断食を行い、さらには悪魔と対決。自らの足でガラリや全土を巡り歩いては、神の福音を説き時には数々の奇蹟を行っていきました。

しかしそんなイエスの活躍を長老や司祭たち、律法学者は苦々しく思っており、どうにかイエスを始末しようと策を講じていました。そんな動きをイエスは知っており、また彼らによって殺されることを知っていたものの、それでも恐れずにエルサレムを目指して布教の旅を続けます。そんなイエスを待っていたのは弟子の裏切りと、磔刑、そして3日目の復活なのでした。

・『王女メディア』 1969年

(Public Domain/‘Screenshot tratto dal film Il Vangelo secondo Matteo’ by DMarx22. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1969年に制作された作品で、ギリシア神話の『メディア』を原作とする作品です。イタリア・オペラの名プリマ、マリア・カラスを配薬したことでも話題になりました。

半人半馬の賢者ケンタウロスに育てられたイアソンはギリシア有数の英雄となり、異父弟から王位を奪還するべくイオルコスに向かうことになります。たくましく成長した甥をみたペリアスはイアソンの主張を受け入れたものの、その条件として繁栄を約束する金毛羊皮を手に入れてくるようにと要求。しかし金毛羊皮はコルキス王アイエーテスのもとにあり、さっそくイアソンはコルキスのもとに向かうことになります。

そこでイアソンは国王の娘メディアに出会い、メディアはイアソンを一目見て失神。狂熱の愛に捕らえられてしまいます。イアソンはメディアの力を借りて金毛羊皮を盗み出し、メディアとともに祖国に戻るもペリアスからは約束を破られてしまい、結局コリントス王国に居を構えることになります。英雄として名を馳せたイアソンはコリントス王クレオンにみこまれ、王女グラウケーの夫にと望まれるようになり、それに浮かれたイアソンは徐々にメディアをないがしろにするようになっていきました。追い立てるようにクレオン王によってメディアは子どもと共に国外に追放され、メディアは激しい憎悪から巫女の柄らを使い王と王女を死に追いやってしまいます。それを知ったイアソンはメディアのもとに駆け付けたものの、すでに時遅く、2人の子どもを殺した挙句、わが家に火を放った後でした。愕然とするイアソンを前に、燃え盛る炎の中でメディアは呪いの一瞥をイアソンに投げつけるのでした。

■おわりに

ピエル・パオロ・パゾリーニはイタリア・ボローニャに生まれた映画監督であり、特異な作風から後世に大きな影響を与えた映画監督です。その独特の世界観に加えて、謎の死を遂げたこともあり、20世紀の映画史における伝説的な存在と考えられており、今もファンが絶えません。イタリア映画に関心のある方は、ぜひ鑑賞してみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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