ロベール・ブレッソン:『スリ』『ラルジャン』を制作した映画監督

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ロベール・ブレッソンは1901年9月25日にフランスのピュイ=ド=ドーム県ブロモン=ラモトで生まれた映画監督です。当初は画家、写真家として活躍していたものの、1934年に映画監督としてデビュー。のちに「カイユ・デュ・シネマ」の母体となる「オブジェクティフ49」の創設に関わるなど、フランス映画の意志杖を築きました。そんなロベール・ブレッソンの人生と作品について、詳しく解説していきます。

■ロベール・ブレッソンとは

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ロベール・ブレッソンは1901年9月25日フランス・ピュイ=ド=ドーム県ブロモン・ラモトで生まれました。当初は画家、写真家として活動していたものの、数本の作品に助監督、脚本家として参加し始めたのをきっかけとして1934年には『公共問題』で映画監督デビュー。その後は第二次世界大戦に従軍するもののドイツ軍の捕虜となってしまい、その収容先で知り合った司祭から映画の制作を依頼されたことで終戦後に『罪の天使たち』を制作。またジャン・コクトーらとともに「カイユ・デュ・シネマ」の母体ともいえる組織「オブジェクティフ49」を創設するなどの功績を残しました。

■ロベール・ブレッソンの作品

ロベール・ブレッソンの作品の特長は、職業俳優を一切使わないという点といえます。ブレッソンは芝居がかった演技を嫌い、プロの俳優の人工的な演技を嫌ったため、その作品限りの素人ばかりを採用するのが基本でした。音楽はほとんど使用せず、感情表現も抑えた作風となっており、フランス映画界において特異な存在といえるでしょう。

そんなロベール・ブレッソンの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品についてご紹介します。

・『罪の天使たち』 1943年

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本作品は1943年に制作された作品で、元服役囚を受け入れているドミニコ会女子修道院を舞台に修道女たちの葛藤や苦しみ、友情を描いた作品です。

ブルジョワ出身のアンヌ=マリーは修道女になるため、自ら望んでドミニコ会の修道院に入ることになります。その修道院では刑務所で服役していた女性たちも受け入れていました。刑務所を訪れることになったアンヌ=マリーは若くて反抗的なテレーズという受刑者に出会い、テレーズに関心を抱くようになり出所したら修道院に来るようにとテレーズを勧誘。しかし熱い信仰心をもったアンヌ=マリーと不幸な犯罪に手を染めたテレーズのふたりは、修道院で修道女たちの葛藤や憎しみ、友愛を目にしていくことになります。

・『レジスタンス 死刑囚の手記より』 1956年

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本作品は1956年に制作された作品で、フランスのアンリ・ドヴィニ大佐の手記に基づいてフランス軍人が監獄から脱獄する経過を描いた作品です。

1943年、ドイツ占領下のリヨン。レジスタンス派のフォンテーヌ中尉はドイツ軍にとらえられ、拷問された挙句モントリュックの監獄に投げ込まれてしまいます。彼に下された判決は死刑だったものの、スプーンを研いでナイフを作り、何日もかかって扉の板を外すなどひそかに脱出計画を進行していました。そんな中16歳のドイツ軍の服を着た脱走兵がフォンテーヌの部屋に投げ込まれ、フォンテーヌは最初自分を監視するおとりだと思ったものの、意を決して脱走計画を告白。いよいよ決行の夜ふたりは飛田を開けて屋根の上によじ登り、脱走を果たすのでした。

・『スリ』 1960年

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本作品は1960年に制作された作品で、フランスの第一回「新しい批評賞」で最優秀フランス映画賞を受賞した作品です。

ロンシャン競馬場で女のバッグから金をかすめ取ったミシェル。彼は貧乏な学生で、母から離れ安アパートで暮らしていました。母にその金を届けたあと、仕事に行くために地下鉄に乗ったものの、そこでスリの反抗を目撃。その手先の動きに惹き付けられてしまったミシェルは毎日練習を続け、手練れのスリになっていきました。

やがてスリのグループに目を付けられるようになったミシェルは共同でのスリを計画。しかしその帰りミシェルの母が危篤だという手紙を目にします。ミシェルは母が亡くなったのちもスリを重ね、ついにはイギリスにわたって二年間スリの生活を送ることになります。

・『バルタザールどこへ行く』 1964年

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本作品は1964年に制作された作品で、バルタザールと名付けられた一匹のロバを主人公に人間の本能と罪悪を描いた作品です。1966年ベネチア国際映画祭審査員特別賞を受賞したことでも話題になりました。

ピレネーの農場の息子ジャックと教師の娘マリーは生まれたばかりのロバを拾ってきて、バルタザールを名付けます。それから十年家畜として過酷な日々を逃げ出したバルタザールは、幼いころ可愛がってくれたマリーのもとに帰ってくるのでした。久しぶりの再会に喜んだマリーはその日からバルタザールに夢中になってしまいます。それに嫉妬したパン屋の息子ジェラールたち不良グループはことあるごとにバルタザールをいじめるのでした。

そのころ十年ぶりにジャックが戻ってきたものの、マリーの心はジャックから離れ始めていました。しかしマリーの父親と牧場主との間には訴訟問題が持ち上がっており、バルタザールはジェラールの家に譲渡されてしまいます。バルタザールの身を案じてジェラールの家を訪れたマリーはジェラールに誘惑され、そして不良グループの一員になってしまうのでした。

その後訴訟はもめた末、マリーの父親の敗訴で決着したものの、ジャックは問題の善処を約束し、マリーに求婚。マリーはすぐにジェラールたちに話を付けに行ったものの、仲間4人に暴行され、村から姿を消してしまいます。マリーの父親は落胆のあまり死んでしまい、ジェラールの密輸の手伝いをさせられていたバルタザールもまた逃げ遅れ、心優しい羊の群れの中で静かに息を引き取るのでした。

・『やさしい女』 1969年

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本作品は1969年に制作された作品で、ドストエフスキーの同名短編小説を映画化した作品です。

パリで質屋を営む男のもとに若い女がやってきます。最初は古いカメラを、次には全く価値のないパイプを持ち込み、男が高く払うというとその金を引き取り、帰ってしまうのでした。3度目に来た時彼女ははじめて口をきき、冬の動物園で男は彼女にプロポーズ。結婚式ののち、つつましやかな生活が始まったものの、ある日常連客の老婦人のカメラに彼女がとんでもない高値を付けたことから2人の間には亀裂が生じていきます。

■おわりに

ロベール・ブレッソンは画家、写真家として活動したのち映画監督に転向した人物で、寡作であるもののその作品は世界中の映画賞を受賞し、フランス映画を牽引した人物と言えます。極力演出を廃して制作された作風はその後の映画監督たちにも多大な影響を与えており、映画の哲学を作り上げた人物とも言えるかもしれません。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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