アガサ・クリスティ:「ミステリーの女王」

アガサ・クリスティは1890年9月16日に生まれた小説家で、「ミステリーの女王」と称される人物です。名探偵ポワロやミス・メープルといったユニークな登場人物と共に読み手をあっと驚かせるようなストーリー展開は大きな話題となり、現代においても読み継がれています。そんなアガサ・クリスティの人生と作品について詳しく解説していきます。

■アガサ・クリスティとは

(Public Domain/‘Childhood photo of English author Agatha Christie promoting the 1977 book An Autobiography, by Agatha Christie.’ by The press-materials are presumed to have been distributed by Dodd, Mead Publishing House, which was the publisher of the book.. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

アガサ・クリスティは1890年9月15日イギリスのデヴォン州トーキーに生まれました。父フレデリックはアメリカ人のフレデリック・アルヴァ・ミラーとその妻クララ・ベーマーの次女として生まれました。父フレデリックは事業家だったものの、ビジネスの才能はなく、祖父の残した遺産を透視かに預けて自分は働かずに暮らしていました。その一方母クララは少々変わった価値観をもつ女性で少女時代のアガサに7歳になるまでは字が書けないほどが良いという信念の元家庭教育を施すといった生活を送っていました。

(Public Domain/‘Агата Кристи в 1910-х годах’ by Unknown author. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

同世代の子どもがパブリックスクールで教育を受けていたのにもかかわらず、アガサは学校に入ることを許されなかったため、アガサは使用人やメイドと遊んだり、家の庭園で空想上の友人と一人遊びするなどして過ごしていました。しかし1901年には父が死去。また1914年にはアーチボルド・クリスティ大尉と結婚するも離婚するなど、その生涯は決して平たんなものではなかったものの、徐々に小説家として名前を知られるようになっていきました。

1920年には数々の出版社で不採用になったのち、『スタイルズ荘の怪事件』を出版し、ミステリー作家としてデビュー。また1930年には中東旅行で知り合った14歳年下の考古学者マックス・マローワンと再婚。また作家としては、ミステリーの女王として数々の名作を発表していきました。

そうして執筆活動に励んでいたアガサだったものの、1976年1月12日には高齢だったことに加え、風邪をこじらせたことにより、静養先のイギリス・ウォリングフォードの自宅で死去。85歳の生涯を閉じることになります。

■アガサ・クリスティの作品と作風

アガサ・クリスティの作品はユニークな登場人物や大胆なトリック、意外な真犯人を登場させることにより、読者をあっと驚かせるような展開が作り上げられており、現代においても読み継がれています。その中には『アクロイド殺し』などある種アンフェアとも思わせる作品もあり、論争を起こすこともあったものの、その作品の質の高さはさすが「ミステリーの女王」といえるものになっています。

そんなアガサ・クリスティの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介いたします。

・『スタイルズ荘の怪事件』 1920年

※画像はイメージです

本作は1920年に発表された作品で、エルキュール・ポワロ・シリーズの長編第一作にあたります。1916年に書き上げた原稿であったものの、当初なかなか採用されず、応募の事実さえも忘れたころボドリー・ヘッド者のジョン・レーンによって見いだされ、出版にこぎつけることとなりました。

この中で第一次世界大戦中薬剤師の助手として働いた際の経験が活かされており、出版後調剤学の専門誌から薬物に関する知識を褒められたコメントが寄せられたことをクリスティ自身はもっともうれしかったことのひとつに挙げています。

第一次世界大戦中負傷してイギリスに帰国したアーサー・ヘイスティングスは、旧友ジョンの招きでエセックスにあるスタイルズ荘を訪れることになります。ある夜、20歳年下の男と再婚したジョンの義母エミリーは突然発作を起こし、一度は持ち直したもの、再び発作に襲われた際命を落としてしまいます。その死に疑問を抱いたヘイスティングスは旧友エルキュール・ポワロに事件の捜査を依頼。ポワロは持ち前の観察眼と「灰色の脳細胞」によって事件を解決していくのでした。

・『アクロイド殺し』 1926年

本作は1926年に発表された作品で、クリスティ6作目の長編、かつエルキュール・ポワロ・シリーズとしては3作目にあたります。この作品はポワロの隣人によって書かれた手記という形をとるものの、実はその隣人自身が犯人であったという結末になるため、この作風が果たして読者に対してフェアかどうかという「フェア・アンフェア論争」を引き起こすことになりました。

キングズ・アボット村のフェラーズ夫人が亡くなる事件が発生。しかし夫人は村のもう一人の富豪ロジャー・アクロイドと再婚が噂されていたこともあり、周囲は不自然に感じていました。「わたし」は睡眠薬の過剰摂取と判断したものの、噂好きの姉キャロラインはあれこれと聞き出した結果、夫人の死は自殺だと主張するのでした。

その後外出した「わたし」は行き会ったロジャーから相談したいことがあるといわれて有色に誘われます。その際ロジャーは再婚を考えていたフェラーズ夫人から「1年前に夫を毒殺した」ことを告白され、しかも夫人はそのことで何者かから恐喝を受けていたというのでした。そこにフェラーズ夫人からの手紙が届き、ロジャー読み始めたところ、そこに恐喝者の名前が書かれていました。そしてその晩ロジャーは刺殺され、フェラーズ夫人の手紙は亡くなってしまいます。

ロジャー殺害事件を調べ始めた警察は、その相続人であるラルフを有力な容疑者として捜索を開始。そんな中ロジャーの姪フローラは探偵を引退して村に引っ越してきていたエルキュール・ポワロに助けを求め、真犯人を捕まえてほしいと依頼するのでした。その依頼を受けたポワロは「わたし」を助手に任命。早速調査を始めることになります

・『オリエント急行の殺人』 1934年

※画像はイメージです

本作は1934年に発表された作品で、クリスティの作品としては14作目、エルキュール・ポワロ・シリーズとしては8作目にあたります。

シリアでの仕事を終えたポワロは、イスタンブール発カレー行きのオリエント急行に乗り、イギリスに戻ることになります。そんな中アメリカ人の富豪サミュエル・ラチェットはポワロに話しかけ、脅迫状を受け取り身の危険を感じていることから護衛をしてほしいという依頼をしてきます。しかしポワロはラチェットの態度によい印象を持たず、その依頼を断ってしまいます。

ポワロが乗ったオリエント急行は雪の吹き溜まりにはまり立ち往生してしまい、またその翌朝にはラチェットの死体が寝室で発見される事件が発生。死体には刃物による12カ所の刺し傷があり、燃えさしの手紙には「小さいデイジー・アームストロングのことを忘れ」という文章が残されていました。

■おわりに

アガサ・クリスティはイギリスに生まれ、エルキュール・ポワロ・シリーズやミス・マープル・シリーズを執筆。「ミステリーの女王」として今も親しまれている人物です。その内容は今読んでも新鮮さを感じさせるものになっています。ぜひこれを機にアガサ・クリスティの作品を読んでみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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