アベル・ガンス:ヨーロッパのグリフィス

アベル・ガンスは1889年10月25日にフランスのパリに生まれた映画監督です。フランスのサイレント映画における名監督といわれており、「ヨーロッパのグリフィス」と呼ばれるなど、多くの名作を残しました。そんなガンスの人生と作品について詳しく解説していきます。

■アベル・ガンスとは

(Public Domain/‘Il regista francese Abel Gance nel 1924’ by Unknown author. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

アベル・ガンスは1889年10月25日フランスのパリに生まれました。医師である父アベルフラマンと母フランソワーズの息子として生まれたガンスは、学校を中退後弁護士事務所の事務員として働いていましたが、徐々に演劇に関心を示すようになり、俳優としてキャリアをスタートさせます。初舞台は19歳の時で、その時に出会ったブレーズ・サラドラールはのちのガンスの協力者となりました。

1909年にパリに戻ったガンスは俳優として映画デビューも果たし、その傍らシナリオも書き作品制作に取り組むようになっていました。1911年には制作プロダクション「ル・フィルム・フランセ」を設立。しかしガンス自身は劇作家となって舞台に携わることを望んでいたことから、映画からは足を遠のかせることになります。

1915年にはフィルム・ダール社の脚本家として採用され、『アークル城の惨劇』を監督して興行的に成功。その後も凹面鏡を使った歪んだ映像を採用した『チューブ博士の狂気』などを発表するも、1917年には第一次世界大戦で招集されて毒ガス製造工場に配属。その後結核を患って除隊することになります。

その後第二次世界大戦後も長く活動を続けていたものの、1981年には結核のため死去。92年の長い人生に幕を閉じることになります。

■アベル・ガンスの作品の特長

ガンス作品の特長は長い上映時間と実験的な試みを用いている点といえるでしょう。監督デビュー作品にあたる『La dique』はサラベルナール主演の悲劇ものであったものの、上映時間が5時間という長い作品で、1919年に制作された『戦争と平和』も3時間、また1927年の歴史的対策『ナポレオン』は12時間にもおよんでいます。その一方で凹面鏡を使った映像を採用したり、加速的なモンタージュを取り入れたりするなど、実験的な試みを用いる映画監督でもありました。

そんなアベル・ガンスの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品についてご紹介します。

・『戦争と平和』 1919年

(Public Domain/‘American advertisement for the French film J’accuse! (1919), ad consists of a drawing and text with no stills from film, on page 18 of the November 12, 1921 Exhibitors Herald.’ by Pathé Frères / United Artists (U.S. distribution). Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1919年に制作された作品で、映画史上普及の傑作にあげられている作品のひとつです。平和なフランスの農村が戦禍によって蹂躙されていくという悲惨な戦争について描いた作品で、回想形式で語られていきます。

平和主義の詩人ジャン・ディアスは出征軍人の妻エディトと恋仲であったものの、第一次世界大戦中出征を余儀なくされてしまいます。そして戦線における上官はエディトの夫であったものの、その夫は戦死してしまいます。ジャンは戦争の最前線でその残虐さを身をもって痛感し、またエディトはドイツ兵に凌辱されてしまいます。そしてジャンは死の直前戦死者を地下からよみがえらせ、「私は糾弾する」とさけび、物語は幕を閉じます。

・『世界の終わり』 1930年

※画像はイメージです

本作品は1930年に制作された作品で、ガンスが自ら脚本を執筆し、監督、そして主演も務めた作品です。

近代文明は極度に発達し、人々の生活は便利になる一方、世界は混乱に陥り戦乱と破滅の道をたどっていました。そんな中兄のマルチアルは天文学を研究し、弟のジャンは愛を唱えて、この世の救済を願っていました。ジャンには天文学者ミュルシーの娘でジュヌヴィエーヴという名の恋人がいたものの、兄マルチアルもジュヌヴィエーヴを愛していると知って身を引いてしまいます。そんなジャンには愛の福音を解いていた際に頭に石を投げつけられ、やがて自らが発狂する運命であることを知ります。

その一方マルチアルはある彗星が地球に向かって突進しつつある事実を発見。全世界は大混乱に陥り、銀行家ショーンブルグは金の力でミュルシーを誘いジュヌヴィエーヴを己のものにしてしまいます。対して大銀行家ウュルステルはマルチアルとともに人生救済の理想と世界建設に努力を重ねていきます。こうした大混乱にあってジャンは発狂。ジュヌヴィエーヴは自らの不実を詫びたものの、世界破滅の最後に享楽の時を過ごすべくショーンブルグのもとに戻っていってしまいます。

マルチアルとウェルステルは詐欺的な投機によって莫大な金をだまし取ろうとしているショーンブルグの計画をエッフェル塔上から暴露する計画をたて、それを知ったショーンブルグは大乱闘の跡墜落死してしまいます。

そしていよいよ彗星が間近に迫ったとき、ある人は乱倫に走り、ある人は祈りを捧げ、ある人は五までけなげに尽くすなどさまざまでしたが、幸いにして彗星は地球と衝突せずに外れ、地球には再び愛と幸福の生活が届けられることになります。

・『ナポレオン』 1927年

※画像はイメージです

本作品は1927年に制作された作品で、12時間にもおよぶ歴史的対策と言われています。当初ガンスは本作品を第一部としてナポレオンの全生涯を描こうとしていたものの資金的あるいは技術的な面で問題が生じ、短縮されて上映されることになりました。

舞台はフランス革命直前のフランス。フランスのブリエンヌ兵学校では雪合戦が行われており、そこでは若きナポレオン・ボナパルトは勇敢に指揮をとり、率先して敵陣に攻め込むなど勇敢な性格を見せていました。その後1789年にはフランス革命が勃発。パリでの政治的動乱を尻目に、ナポレオンは故郷コルシカに戻ったものの、コルシカ独立を唱えるナポレオンをよく思わない反対派の反撃を避けるため暴風の海に小舟を出して脱出することになります。そしてフランス本土に就いたナポレオンにはトゥーロン要塞派遣の命令が下されることになります。

ナポレオンがトゥーロンから戻るとパリでは恐怖政治がピークを迎えており、マラーは暗殺、そしてダントンもギロチンの犠牲となっていました。その後テルミドールの反動でロベスピエールやサン・ジュストは断頭台に送られ恐怖政治の時代は幕を閉じます。恐怖政治が去ったことでパリでは舞や華やかな舞踏会が開かれるようになり、そこでナポレオンは以前から心惹かれていたジョセフィーヌに再会。2人は結ばれたものの、1796年にはイタリア遠征軍司令官に任命されアルプスに向かうことになります。

■おわりに

アベル・ガンスはフランス・パリに生まれた映画監督であり、「ヨーロッパのグリフィス」と呼ばれ、数々の名作を残しました。『ナポレオン』や『世界の終わり』といったガンスの代表作はその長さやストーリーの壮大さが特長であり、後世の映画監督たちに大きな影響を及ぼしました。

ガンスは1981年に92歳でその生涯を閉じることになりますが、もし現在の映像技術を目にしていたら、どのような作品を制作していたでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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