アルトゥル・シュニッツラー:『アナトール』『夢小説』を執筆した小説家

(Public Domain/‘Austrian author Arthur Schnitzler’ by Ferdinand Schmutzer. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

アルトゥル・シュニッツラーは1862年5月15日オーストリアのウィーンに生まれた小説家です。「青年ウィーン」の一員としてウィーン世紀末文化を感じさせる新ロマン主義的な小説を執筆したことで知られており、特に恋愛と死をテーマとしてオーストリア文学史に残る作品を執筆しました。そんなアルトゥル・シュニッツラーの人生と作品について詳しく解説していきます。

■アルトゥル・シュニッツラーとは

(Public Domain/‘Arthur Schnitzler (1862–1931), Austrian author and dramatist.’ by Josef Székely. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

アルトゥル・シュニッツラーは1862年5月15日オーストリア帝国ウィーンのレオポルトシュタットに生まれました。父は咽喉科の医師ヨハン・シュニッツラー、母ルイーゼもまた医師の娘で、経済的にも恵まれた家庭でした。1871年から1879年まではギムナジウムに通い、1879年には卒業試験に合格。その後ウィーン大学で医学を専攻し、医学博士号を取得しています。

1885年から1888年まではウィーン市総合病院の医師として働き、その後は父の助手として働いていたものの、このころからシュニッツラーは執筆に関心を寄せるようになっており、作家活動に力を入れていました。1880年にはミュンヘンの雑誌『フライエ・ラントボーテ』で作家デビュー。その後も『ブラウエ・ドナウ』や『モデルネ・ディヒトゥング』といった作品を発表していきました。

1893年に父ヨハンが亡くなると、ウィーン第1区インネレシュタットのブルクリング1番地に診療所を開設。1890年頃からはフーゴ・フォン・ホフマンスタールやリヒャルト・べーア=ホフマンらとともにウィーンの代表人物として文学に関する議論を深め、世紀末のウィーンにおいて重要な批評家のひとりとしてみなされるようになっていきました。

(Public Domain/‘Arthur Schnitzler (1862–1931), Austrian author and dramatist.’ by Aura Hertwig. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

しかし第一次世界大戦がはじまると次第にシュニッツラーは、文学作品への関心は薄れさせていきます。また1921年に発表された『輪舞』が20年も前に発表された戯曲であったのにもかかわらず上演許可を取り消されたこともあり、そのモチベーションを失っていきました。

1931年には脳出血のために死去。69歳の生涯を閉じることになります。その亡骸はウィーン中央墓地の旧ユダヤ人墓地に埋葬されました。

■アルトゥル・シュニッツラーの作品

アルトゥル・シュニッツラーの作品は戯曲と散文を主に執筆しましたが、特に登場人物の内面性を重視し、かつそうした心境にいたった社会背景も執筆している点が大きな特徴と言えます。その中でタブーなどによって抑圧されてきた人間性にも着目しており、世紀末ウィーンの文学を代表する作品となっています。

そんなアルトゥル・シュニッツラーの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介いたします。

・『輪舞』 1900年

※画像はイメージです

本作は1900年に発表された戯曲で、ウィーンを舞台に2人の男女の情事前の会話劇が中心となる作品です。シュニッツラーは1896年11月か同作を執筆していたものの、当時の社会状況を露骨に批判した作品であったため、友人らとの私的な集まりで朗読するのみにとどめていました。しかし1900年に200部限定で自費出版を行い知人に配ると評判が高まり、1903年にはウィーン書房から出版され、またその後映画化されたことも話題になりました。

舞台は1900年のウィーン。売春婦は兵に恋をしており、強引に誘惑しようとするものの、そこから逃げ出した兵は小間使いをだまして純潔を奪ってしまいます。小間使いの主人は彼女にちょっかいを出した後上流階級出身の人妻のもとを訪れ、関係をもちます。その結果人妻はより一層美しくなり、その夫は有頂天に。また夫もまた不倫相手がおり、その不倫相手には後を追う男たちがいました。そんな中にうぬぼれ屋の詩人がいたものの、彼が本当に恋心を抱いていたのは女優でした。彼女はさまざまな男性からアプローチを受けていたものの、特に彼女をのぼせ上げたのは若い金持ちの伯爵士官でした。彼は女優とともに一晩中遊びまわり、朝目が覚めると売春婦の部屋にいたのでした。

・『夢小説』 1926年

※画像はイメージです

本作は1926年に発表された作品で、医師フリドリンが一晩のうちにウィーンの街で経験した夢と現実のような出来事を描いた作品です。1999年にスタンリー・キューブリック監督により『アイズ・ワイズ・シャット』として映画化されたことでも話題になりました。

医師フリドリンと妻アルベルティーネは仮面舞踏会に出席し、別のパートナーと楽しいひと時を過ごしたことをきっかけに浮気をしたことで互いに険悪になってしまいます。そんなフリドリンに亡くなった患者の娘マリアンネは愛の告白をするもののフリドリンは断り、また学生組合のアレマン団に肘打ちされたことで意気消沈した彼は17歳の娼婦ミッツィのもとを訪れることになります。

夜になってもフリドリンは家に帰る気が起こらず、友人のピアニストナハティガルとともに謎の仮面舞踏会に潜入することになります。その際見知らぬ女から帰れと忠告を受け、また合言葉を知らなかったことで窮地に追い込まれることに。しかし見知らぬ女がとりなしてくれ、フリドリンはどうにか帰宅するのでした。その翌朝アルベルティーネが見た奇妙な夢の話を聞くと、アルベルティーネは恋人に抱かれて裸の男女の仲におり、フリドリンに死刑宣告が下されるというもので、アルベルティーネが笑っていたことからフリドリンは彼女を憎むようになります。

■おわりに

アルトゥル・シュニッツラーは1862年オーストリア帝国のウィーン、レオポルトシュタットに生まれた小説家で、医師としての仕事の傍ら『輪舞』や『アナトール』『夢小説』といった作品を執筆しました。こうした作品は登場人物たちの内面を細かに描き切っており、またその印象主義的な技法はウィーン世紀末文化、あるいは新ロマン主義から育まれたものと考えられています。

第一次世界大戦に翻弄され、徐々に文学作品からは離れていったシュニッツラーであるものの、その作品は世紀末ウィーンを代表する作品として高く評価されています。その遺稿は1938年3月のナチスドイツによるオーストリア併合の前にケンブリッジ大学に移され、その後カリフォルニア大学ロサンゼルスル校やアルトゥール・シュニッツラー研究会、またドイツのフライブルグ大学に移管されています。関心のある方はシュニッツラーの作品を読むとともに、こうした遺稿に触れてみるのも作品の読み方を一段と面白くするかもしれません。

アルトゥール・シュニッツラーのIMDb

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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