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アレクサンダー・マッケンドリック:『成功の甘き香り』『サミー南へ行く』などを制作した映画監督

※画像はイメージです

アレクサンダー・マッケンドリックは1912年9月8日アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンに生まれた映画監督です。漫画家としてキャリアをはじめ、脚本家やドキュメンタリー制作の仕事に就くようになり、1949年には映画監督デビュー。数々の作品を制作しました。そんなアレクサンダー・マッケンドリックの人生と作品について詳しく解説していきます。

■アレクサンダー・マッケンドリックとは

※アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン

アレクサンダー・マッケンドリックは1912年アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンに生まれました。両親はスコットランド人だったため、第一次世界大戦の後父親を亡くすと祖父と共にグラスコーに引っ越し、幼年時代を過ごすことになります。

1929年には漫画家として広告代理店に就職。フリーランスで脚本を執筆したのち、イギリス情報省でドキュメンタリー制作の仕事に就くようになっていきました。第二次世界大戦の折にはイギリス軍の情報戦の一端を担う仕事に就いていたものの、戦後はイーリング・スタジオで脚本執筆やストーリーボード作成などを担当。こうした功績が評価されて、1949年には初の長編映画『Whisky Galore!』で監督デビューし、イーリング・スタジオを拠点として作品を制作していきました。

※カリフォルニア芸術大学

イーリング・スタジオがBBCに売却されたのちには、アメリカにわたり『成功の甘き香り』や『サミー南へ行く』『海軍大将』といった代表作を制作。そうして制作活動に没頭する一方で、1969年から1993年まではカリフォルニア芸術大学映画学部で教鞭をとり、若手映画監督たちを輩出していきました。

そうして映画監督としても教育者としても映画界に貢献し続けたマッケンドリックでしたが、1993年にはロサンゼルスで肺炎のため死去。81歳の生涯を閉じることになります。

■アレクサンダー・マッケンドリックとは

アレクサンダー・マッケンドリックの作品の特長は、その方法論を確立している点でしょう。マッケンドリックは『成功の甘き香り』で不動の地位を確立したものの、興行的には失敗したことにより制作はむずかしいものになっていきました。そんな中マッケンドリックはカリフォルニア芸術大学で教鞭をとることで、自身の映画論ともいえる手法を確立し、映画監督を目指す若者たちに享受していきました。そうした方法論は「マッケンドリックが教える映画の本当の作り方」として出版され、映画監督を目指す若者必携の書となっています。

そんなアレクサンダー・マッケンドリックの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品についてご紹介します。

・『死せる恋人に捧ぐ悲歌』 1949年

※画像はイメージです

本作品は1949年に制作された作品で、英国王室をめぐる陰謀と争いを描いた作品です。本作品でマッケンドリックは脚色を担当しました。

ドイツ・ハノーヴァー選帝侯の妃ソフィーは英国王室の血を引く由緒正しい家柄の出身であったものの、それだけでは飽き足らず国王の地位を狙っていました。そこで長男ジョージの妃としてウィリアム公の娘ドロテアを迎え、さらなる興隆の足掛かりとするのでした。しかしジョージは放蕩な性格で、ドロテアもまた16歳という若さであったことから結婚生活は苦しいもので、やがて生まれた子どもをのみ慰めとしていました。

そのころスウェーデンの軍人ケーニヒスマルク伯爵が選帝侯の宮廷を訪れていたものの、伯爵は多額の賭博の負債を抱えていました。選帝侯の愛人であるプラーテン伯爵夫人は賭博の負債を肩代わりする代わりに、彼を愛人とする契約をし、さらには陸軍司令長官の座に付けようと画策するのでした。しかし伯爵は外国人がその任につくべきではないと拒否し、近衛大佐として従軍。そこで偶然にもドロテアを顔を合わせることになり、ふたりは恋におちていくのでした。

・『マダムと泥棒』 1956年

※画像はイメージです

本作品は1956年に制作された作品で、若手脚本家ウィリアム・ローズの脚本を原作とする作品です。

ロンドンのキングス・クロス駅近くに住むウィルバーフォース夫人は30年前に夫を亡くし、3匹のオウムと共にのんびりと暮らしていました。夫人はひとり暮らしの寂しさから二階の部屋を貸し出すことにし、マーカス教授となのる男が友人たちとやっている弦楽五重奏団の練習場にしたいと申し出ます。しかしそれは大ウソで、実は5人は泥棒グループだったのでした。

何日かして5人は白昼堂々現金輸送車を襲い、莫大な紙幣を強奪。早々に部屋を引き払おうとしたもののチェロのケースが扉に挟まれた瞬間中に入っていた紙幣が紙吹雪のように舞ってしまい、5人が強盗であることが夫人の知るところとなってしまいます。5人は夫人を殺そうとしたものの、少佐が亡くなったことをきっかけにつぎつぎと仲間割れして5人の男は姿を消し、莫大な紙幣だけが夫人のもとに残されたのでした。

・『成功の甘き香り』 1957年

(Public Domain/‘Theatrical poster for the American release of the 1957 film Sweet Smell of Success.’ by Copyright 1957 United Artists Corp.. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1957年に制作された作品で、コスモポリタン誌に掲載されたアーネスト・リーマンの小説からクリフォード・オデッツとアーネスト・リーマンが共同脚色して制作された作品です。

ブロードウェイのプレス・エージェントであるシドニー・ファルコは自分の成功のためなら両親さえ切り売りすることをいとわない性格。そんなファルコを巧みに利用してきたのは、ブロードウェイに大きな勢力を持つジャーナリスト、ハンセッカーでした。ファルコの役目はハンセッカーの妹のスーザンと俳優スティーブ・ダラスの仲を引き裂くことで、ある歌手が麻薬中毒で共産主義者だという記事をライターに書かせ、スティーブを失職に追い込んでいきます。

しかしスーザンは愛するスティーブのことを信じて疑わず、麻薬所持の疑いでスティーブが逮捕された際もその心が揺らぐことはありませんでした。ファルコはついに自身がハンセッカーのたくらみで行ったことだと吐露。スーザンは兄との決別を決意し、愛するスティーブの元に急いでいくのでした。

■おわりに

アレクサンダー・マッケンドリックはマサチューセッツ州ボストンに生まれ、『成功の甘き香り』『や『サミー南へ行く』などの作品を制作したことで知られる人物です。またその功績として最も大きいのは、カリフォルニア芸術大学映画学部で教鞭をとったことであり、その映画論はのちに「マッケンドリックが教える映画の本当の作り方」として出版され、映画監督を目指す若者必携の書となりました。そう言った意味では、教育者として多大な貢献を残した人物といえるでしょう。

映画製作に関心のある方は、ぜひマッケンドリックの著書と共にマッケンドリック作品を鑑賞してみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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