ボブ・ディラン:そのキャリアと文学性について

ボブ・ディランってどんな人?

ボブ・ディラン(1941年5月24日~)は、アメリカ合衆国ミネソタ州生まれのミュージシャン。1962年にデビュー以来、伝統的なフォークミュージックを軸としつつも、時代に応じた意欲的なアルバムを次々と発表する。フォークやロックの先駆者、世代の代弁者として象徴的な存在となり、その活動はセールスもさることながら、様々な分野からの賞賛や尊敬を集める。グラミー賞受賞多数。ロックの殿堂入り。2008年、ピューリッツァー賞特別賞を受賞。2016年、ノーベル文学賞を受賞した。

ボブ・ディラン  その音楽スタイルについて

ここではボブ・ディラン(以下、ディランと記す)のキャリアと文学性についての言及を進めます。ディランの歌は、深遠かつ物事の本質を捉えたメッセージ性の高いものとして、特に彼の黄金期である60年代、70年代を牽引してきました。

曲の多くは、アコースティック・ギターによる弾き語りか、ギターを中心としたフォークロックスタイルです。近年はアメリカのルーツミュージックやスタンダードナンバーをプレイすることもあります。

ボブ・ディラン 音楽的魅力

ディランを聴くにあたり、一番の特色であり、また人によっては一番苦手とされるのが、その独特の、鼻にかかったしわがれ声です。一般的な音楽的価値観から言って美声とは言えないでしょうし、聴きやすいキャッチ―な音楽ではないかもしれません。

それでもなお、ディランの歌には抗い難い魅力があります。歌詞の多くはライム(韻を踏む)で構成され、それがディランの独特な声とあいまって不思議なビートとなっています。音としての言葉は、流れるようでありながらも、時に衝突し、ひっかかりながら、うねりとなり、意味としての言葉はどこまでも自由な広がりを見せながら不思議な世界観を構築していきます。

例えば、「Love Minus Zero/No Limit」(邦題 ラヴ・マイナス・ゼロ)という、世間の思うディラン像からはちょっと違う、とてもかわいらしい曲があります。冒頭のほんの一節だけを引用します。

My love she speaks like silence Without ideals or violence
(ぼくの恋人、彼女は沈黙のように話す 理想や暴力なしで)
She doesn’t have to say she’s faithful Yet she’s true, like ice, like fire
(彼女は誠実だなんて言わなくてもいい 彼女は正しい 氷のように 火のように)

My love she speaks like silence Without ideals or violence

引用:アルバム『Love Minus Zero/No Limit』(1965年リリース)より

・Sの音がメロディの中でひっかかりとなり、ディランの歌唱の中でちょっともたついたような独特なアクセントとなります。

  • silence(沈黙) ⇔ violence (暴力)が 韻を踏んでおり、また意味的には対義語に近いものとなります。
  • she speaks like silence  (沈黙のように話す)もまるで話すという行為自体を打ち消すような面白い表現だし、Without ideals or violence (理想や暴力なしで)というのも両極端をぶつけて中立にするような表現です。
  • She doesn’t have to say she’s faithful (彼女は誠実だなんて言わなくてもいい) は、一息で早口に歌われ、
  • Yet she’s true, like ice, like fire (彼女は正しい 氷のように 火のように)はiの音を重ねながら、今度は一転、確かめるようにゆったりと歌われます。また、ice(氷)とfire(火)の対義語での修辞がなされます。

冒頭の一節ですが、この曲は、「ぼくの彼女はね…、」といったディランからの個人的な語りかけのようにささやかに始まりながらも、聴いていくうちに、言葉のビートや、対義語同士をぶつけながら、そして、意味を超えて、No Limit、無限の中に到達するような不思議な歌なのです。そして、そのとき、リスナーは「Love Minus Zero/No Limit」(愛-ゼロ ÷ 無限大)というよくわからない曲名について、色々と想像してみるのです。ディランは一体、何を考えているのだろう、と。

ボブ・ディラン の曲とその影響

アメリカのみならず世界中で、直接的にせよ、間接的にせよ、彼の影響を受けていないソングライターはいないでしょう。例えば、<ジョン・レノン>はビートルズ時代にそのソングライティングに強い影響を受けました。最も顕著なものは、アコースティック・ギターをかき鳴らしながら歌われる「You’ve Got To Hide Your Love Away」(邦題 悲しみはぶっとばせ)や「I’m a Loser」(邦題 アイアム・ア・ルーザー)です。ジョン・レノンはビートルズの中期から後期に向けて次第に、重層的な意味を持ち、かつ内省的な歌詞にシフトしていきます。

ディランの影響はポップ・ミュージックの分野にとどまらず、芸術全般やその時々の文化に波及しました。「Blowin’ in the Wind」(邦題 風に吹かれて)や「A Hard Rain’s A-Gonna Fall」(邦題 はげしい雨が降る)、「The Times They Are a-Changin’」(邦題 時代は変わる)等のプロテストソング(政治的抗議のメッセージを含む歌)の一節は過去の反戦運動や公民権運動にて引用され、これらの歌のテーマは現代でもその輝きを失っていません。

「Blowin’ in the Wind」(邦題 風に吹かれて)は、

How many roads must a man walk down Before you call him a man? ~The answer, my friend, is blowin’ in the wind The answer is blowin’ in the wind 
(人間と呼ばれるまでにいったい幾つの道を歩いていかなくてはならないんだ? ~ その答えは、友よ、風に吹かれている 答えは風に吹かれている) 

引用:アルバム『Blowin’ in the Wind』(1963年リリース)より

という有名な詩です。60年代のモダン・フォークグループの<ピーターポール&マリー>や、また、ゴスペル・ソウルシンガーの<サム・クック>のカバーでも有名です。

また、彼がエレクトリック・ギターを持った後の「Like A Rolling Stone」(邦題 ライク・ア・ローリングストーン)に見られるような、何かに対する強烈なアンチテーゼを持った攻撃的な歌。歌詞は上流階級の女性が没落する内容ですが、リスナーは(How does it feel?  どんな気がする?)という繰り返される問いかけに様々な意味を込めて聴きます。スネアドラムとハモンドオルガンの強烈な一撃から始まるこの曲は、60年代の怒りにも似た熱気を内包しています。

ボブ・ディラン の曲のカバー

前述した「Blowin’ in the Wind」(邦題 風に吹かれて)以外にも、音楽ジャンルや人種を超えた優れたカバーが多数あります。

60年代のフォークロックグループ、<バーズ>は、「Mr. Tambourine Man」(邦題 ミスター・タンブリン・マン)や、「My Back Pages」(邦題 マイ・バック・ページズ)をカバーしました。12弦のリッケンバッカー(エレクトリックギター)がまるで教会の鐘のように鳴り響く独特のサウンドです。

「My Back Pages」(邦題 マイ・バック・ページズ)での有名なフレーズ。

Ah, but I was so much older then I’m younger than that now.
ああ、だけどその時、ぼくはとても歳をとっていた、今のぼくのがずっと若い)

引用:アルバム『My Back Pages』(1955年リリース)より

抽象的な描写の羅列の中で、ぼんやりと過去の自身への批判が見えてきます。過去に歳をとっていて、今の自分の方がずっと若い、と歌われます。

また、そのテクニックや存在感ともに魔術的だった天才ギタリスト、<ジミ・ヘンドリックス>がカバーした、「All Along the Watchtower」(邦題 見張塔からずっと)、その歌詞は、旧約聖書のイザヤ書(バビロンの崩壊)を下敷きにし、新たな寓話にアレンジし直したものです。その奥行のあるギターサウンドと詩で、世界の終わりの予感と、閉塞的な状況への焦燥感が表現されます。暗示的に現代への警鐘が鳴らされます。

90年代に入ってからは、ハードロックバンドの<ガンズ・アンド・ローゼズ>が、「Knockin’ on Heaven’s Door」(邦題 天国への扉)をカバーしています。この歌はうってかわって詩の文字数が少なく平易で、むしろ歌うことよりも、歌っていない部分に抑制された哀しみが漂います。いわばハードボイルドな表現です。視界が暗くなっていき、死んでいくガンマンの心境が乾いたタッチで綴られます。

Mama, take this badge off of me  I can’t use it anymore
(ママ、このバッジを外してくれ もう使えないから)

It’s gettin’ dark, too dark to see  I feel like I’m knockin’ on heaven’s door
(暗くなってきた、暗くて見えない 天国への扉をノックしてるみたいだ)

Knock, knock, knockin’ on heaven’s door
(天国への扉をノックしてる)

引用:アルバム『Knockin’ on Heaven’s Door』(1973年リリース)より

このように音楽ジャンルや人種を超えたカバーが存在します。

ボブ・ディラン ~ノーベル文学賞の受賞に際して

さて、2016年にディランのノーベル文学賞の発表がされた際には、周囲から様々な賛否の声が上がりました。やはりその実績の高さから見て受賞は当然だという評価が支配的でしたが、一方でなぜ作家でなくシンガー・ソングライターである彼が受賞なのかという意見や、またノーベル賞の政治的なメッセージや権威に反する姿勢として受賞を断固拒否するべきだ、といった、まるでかつて反体制の象徴だった頃のディランを求めているような少々大袈裟な主張までありました。

ノーベル文学賞受賞の理由としては、「偉大なるアメリカ音楽の伝統の中で新たな詩的表現を生み出した功績による」という、解るようでその実、曖昧でよく解らないような理由です。後述しますが、おそらくディラン自身もそう思い、また戸惑いがあったようなのです。

それから受賞発表後、マスコミやノーベル財団も含め、当人との連絡が取れなくなります。授賞式にも「先約がある」という前代未聞の理由で欠席した為にディランは受賞を拒否するのではないか、との憶測が高まりました。ノーベル賞の選考委員からは、「無礼で傲慢だ」との苦言もありました。長い沈黙の結果、<受賞の記念講演>をすることにより、晴れて受賞となったのですが、このあたりの周囲をあまり気にせず、ときに期待を裏切る在り方が実にディランらしく思えます。

ディランの写真はいつも気難しく見え、眉間に皺を寄せて探究する哲学者のようです。近年でこそ自身や作品について率直に語りますが、元々はマスコミ嫌いでインタビュアーを煙に巻くところがありました。そして、それが彼の神秘性を高め、また決して本意ではなかったでしょうが、彼の神格化を押し進めてしまった経緯があります。

ボブ・ディラン ノーベル文学賞 受賞の言葉

公開された講演音声では、受賞に際しての、ディランの戸惑いや、また自身の歌についてのとても正直な思いが吐露されました。ディランの思いは、スピーチの以下に表れています。

「ノーベル文学賞を受賞した時、最初はなぜ、私の歌が文学に関係あるのか戸惑ったが、それについてじっくりと考え、文学と私の歌がどう繋がっているのか理解したいと思った。そして今からその答えについてお話をしようと思う」

「我々の歌は生きている人々の世界でこそ生きるものだ。だが、歌は文学とは違い、歌われるべきものである。シェイクスピアの戯曲の言葉が舞台で演じられる為にあるように。歌詞は歌われるためにあり、読むためのものではない。そして、歌われる歌の歌詞を皆が聞くことを願っている。コンサートでもレコードでも、あるいは何か最近の音楽の聴き方でも無論構わない。」

Bob Dylan – Nobel Lecture. NobelPrize.org. Nobel Media AB 2020. Tue. 6 Oct 2020. 

講演音声の中では、自身のスタイルが、フォークやロック、また文学的な伝統や歴史の上に成り立っていることを改めて強調しました。バディ・ホリー、レッドベリー、メルヴィルの「白鯨」、ルマルクの「西部戦線異常なし」、ホメロスの「オデュッセイア」等を引き合いに出しています。

今回その中では直接言及されていませんでしたが、ディランに影響を与えた人物として、放浪のフォークシンガー、ウディ・ガスリーがいます。初期のプロテストソングやトーキング・ブルース(話すように歌う手法)は彼の模倣とされています。

また、ビートジェネレーションの作家、アレン・ギンズバーグはポエトリー・リーディング(詩の朗読)で、詩集「HOWL」(吠える)を発行し、ジャック・ケルアックは、自動筆記というモダンジャズのような即興性の高いアプローチでタイプライターを叩き続け、「オン・ザ・ロード」(路上)をいう長編小説を書き上げます。どちらも若いディランに多大なる影響を与えたと言われています。

彼にとって詩というものは、紙の上で死んだ文字ではなく、今、この瞬間に生きている、声や歌なのです。

ボブ・ディラン:そのキャリアと文学性について まとめ

ディランのキャリアと文学性というタイトルで書いてきた文章もそろそろ終わりを迎えますが、そもそもこんな風に分析をするという行為が全くのナンセンスでした。こういう机上での分析をされたくないから、ノーベル文学賞を躊躇したのだろうと思います。ディランは昔から詩が文字だけで解釈され、深読みされるのを嫌っていたふしがあります。最近のCDには歌詞カードが付いていません。これはあくまでも聴いて欲しいという意思の表れだと言われています。

もしもまだディランを聴いたことのない方がいたらぜひ聴いてみて欲しいです。聴いても踊りたくはならないでしょうし、あなたのiphoneに同期させてもジョギングやワークアウトには多分使えません。彼のライブに行けば、毎度全然違ったメロディで歌うことが殆どで、アレンジも異なり、部分的に詩を変えたりもするので、例え大好きな歌であろうと、フック(サビ)の部分まで来ないと何なのか判別できないような場合が多々あります。好きな人と二人で聴いても愛が盛り上がることはあまりないでしょう。それどころか、一人孤独な夜に何か人生の答えが欲しくて聴いても、得られるのは答えではなく、無数の問いです。曲中にアファリズム(箴言)はありますが、答えは風に吹かれてしまいます。

しかし、それでもやはり、ディランの音楽を聴く度に新たな発見があり心が震えます。彼の音楽を聴くのは他のアーティストでは決して替えのきかない体験です。その作品に触れるとき、通常の音楽鑑賞とは違う豊かで濃密な時間がそこにはあります。きっとそれは(今こんな風にくどくど書いているように、)分析すればする程に本質から遠くなってしまう何かです。私たちは、ただ彼の紡いだ言葉の連なりと音を全身で浴びながら、そこにある何かを感じるだけでいいと思うのです。

(了)

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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