アタリ:ゲーム黎明期を代表するゲームメーカーの歴史と代表作品

アタリ(Atari)はコンピュータゲームを初めて商業化して成功したアメリカの会社です。
スティーブ・ジョブズが在籍していたことがある会社としても有名ですね。
この記事ではアタリという会社の歴史や代表的なゲームなどをご紹介したいと思います。

アタリの歴史

アタリの創業から分裂まで

アタリの創業者はノーラン・ブッシュネルという人物です。
ゲーム業界では「ビデオゲームの父」として知られていますね。

ブッシュネルは大学生の頃、マサチューセッツ工科大学の学生(スティーブ・ラッセル)達が作成した「スペースウォー!」というゲームをプレイしています。
当時、既にいくつかゲームは作られていましたが、その目的は研究でした。
「これは商売に使える」と考えたブッシュネルは他の会社へ勤務しながら準備し、1970年に「コンピューター・スペース」というゲームを発売します。
しかし、これは人気が出ず失敗。

これで諦めなかったブッシュネルは1972年に「アタリ」を創業。
1972年に発売した「ポン」というゲームが大ヒットし、アタリは一躍有名になります。
そのブレイクはすさまじく、資本金500ドルから始まったアタリは1年で320万ドル以上の売り上げを記録しました。
その後もヒット作を作ったアタリは僅か3、4年の間に大企業と呼べるまでに成長していきます。

1976年、アタリは「Atari 2600」という家庭用ゲーム機製作のための資金を調達するため、ワーナーコミュニケーションズに買収され傘下に入りました。
しかし、アタリにとってこれが凋落の始まりでした。
まず、買収による資金援助でようやく発売にこぎつけた「Atari 2600」の不振です。
当時アーケードが主流だったアメリカでは「Atari 2600」は当初思うように売れず、苦戦を強いられます。

この苦戦により創業者のブッシュネルはワーナーの経営陣と意見が食い違うようになっていきました。
ワーナー経営陣はあくまで売れない「Atari 2600」を押そうとしていましたが、ブッシュネルは「今はアーケードに力をいれるべきだ」と主張したのです。
その結果、ブッシュネルは買収の僅か2年後に解任、それ以外のアタリ社員も自由な社風がワーナーの意向によって変わっていったことから多くの人が会社を離れることになりました。

ただその後、日本で大ブレイク中だったゲーム「スペースインベーダー」を移植したことで、一気に「Atari 2600」は売れ始め、3年で1000万台の売り上げを達成します。
しかし、これが次なる悲劇の始まりでした。

1982年末のワーナー株の暴落と、ゲームソフトが売れなくなる「アタリショック」が起こってしまったのです。
その結果、ワーナーコミュニケーションズは家庭用ゲーム・パソコン部門を切り離し、ワーナーが親会社を継続するアタリゲームズ(アーケード部門)と切り離されたアタリコープ(家庭用機・パソコン部門)の2つの会社に分裂することになります。

アタリショック

さて、「Atari 2600」が売れ行き好調だったにも関わらず、なぜ唐突にワーナー株の暴落、ゲームソフトの売り上げ不振が起きたのでしょうか?
それは「Atari 2600」を含め、ゲーム市場が急激に発展したための反作用とも言える現象でした。

アタリの急成長を目の当たりにした企業は「ゲームは儲かる」と思い、様々な企業がゲーム業界に参入しました。
そしてこぞって売れている「Atari 2600」向けのソフト(サードパーティー製ソフト)を次々とリリースしたのです。
が、元々ゲーム作りのノウハウがない会社・個人が作るゲームは当たり外れが大きく、買ってみないと面白いかどうか分からない質の低いソフトが市場に多く出回ることになりました。
消費者にすれば、安くてもクソゲーが多いと分かっているソフトをわざわざ買いたいと思いませんよね。
消費者の信用を失ってしまったサードパーティー製のソフトやアタリは急激に勢いを失っていき、こうして起こったのがアタリショックだったのです。

アタリショックの代名詞とも言えるソフトが当時の大ヒット映画をモチーフにしたアタリ社製ソフト「E.T.」。
このソフトは「史上最悪のクソゲー」とも言われ、全然面白くないにも関わらず、アタリ(ワーナー)は500万本も製造してしまいました。
結果的にソフトは150万本程度しか売れず、アタリには「E.T.」の在庫が山のように残りました。
350万本もの在庫を抱えたアタリはその在庫を、ニューメキシコ州アラモゴードの埋立地に廃棄。
この噂はその後「ビデオゲームの墓場」として都市伝説化していましたが、2014年に製作されたドキュメンタリーにて実際にその場を掘り返したところ、「E.T.」などのソフトが発掘され、都市伝説が事実だったことが明らかになりました。

一方、日本ではアタリショックの影響はありませんでしたが、任天堂は「第2のアタリショック」をかなり警戒していたようで、ファミコンではサードパーティーの販売するソフトを徹底的に管理することにし、それが後年の家庭用ゲーム機にも引き継がれていくことになります。

分社後の2つのアタリ

アタリショック後、分割されたアタリの名を冠する2社は全く違う道を歩むことになります。

ワーナーコミュニケーションズの元にあったアタリゲームズは、その後「マーブルマッドネス」「ガントレット」などの人気作品に恵まれ、経営を立て直し始めました。
そして、人気の出たアーケードゲームを家庭用ゲーム機に移植するため、1986年「テンゲン」という子会社を立ち上げます。
移植するハードは当時発売されたばかりだったアメリカ版ファミコン(NES)でした。

しかし移植の条件を巡って米国任天堂との確執が生まれ、テンゲンはNESチップのコードを盗み出し正式ではない形でNES用ソフトを販売する、という行為に及びます。
このことに起こった任天堂に裁判を起こされ、結局任天堂有利な形で和解することになりました。
これによって再びアタリゲームズは傾くことになります。

その後、経営権はワーナーからナムコに売却されるなど、次々と親会社が移り変わることになりました。
2009年以降は再びアタリゲームズはワーナー傘下のブランドとなっていますが、ワーナーは自社ブランドでゲームを開発しており、アタリゲームズ名義のゲームは販売されていません。

一方のワーナーコミュニケーションズから切り離された方のアタリコープはホビーパソコンや家庭用ゲーム機をいくつかリリースしますが、最終的に上手くいかず、数社を経て2000年にフランスのインフォグラム・エンターテインメントに買収され、アタリブランドは一旦なくなりました。
しかし、その後2001年にインフォグラムはアタリブランドを復活させ、2009年にはインフォグラムという会社名自体もアタリ(Atari SA)に変更。
こちらのアタリは2019年7月に「Atari VCS」という往年のアタリゲームと最新のゲームが遊べる家庭用ゲーム機を発売する予定になっています。

アタリの代表的なゲームソフト

「ポン(PONG)」

アタリが創業して最初に作った卓球を題材にしたゲームです。
画面の真ん中にセンターライン、上部に得点が表示されており、左右にプレイヤーが動かすラケット(短い棒)があり、一応卓球を見下ろしたような視点になっています。

プレイヤーは飛んでくるボールを、ラケットを上下に動かして打ち返し、相手が打ち返せず後ろに逸らしたら1ポイント。
15ポイント先取で勝利となります。
「ポン」の大ヒットを受けてアタリを含めた様々な企業が、「ポン」を模したクローン作品を発表し、任天堂のゲーム機「カラーテレビゲーム」シリーズでも「ポン」のクローン作品が沢山収録されています。

「ブレイクアウト(Breakout)」

アタリにとって2作目のヒットとなった作品で、今で言うブロックくずしです。
作品のイメージは、囚人がテニスの壁当てをするフリをしながら刑務所の壁を壊す、というまさかの脱獄ゲームでした。

このゲームはスティーブ・ジョブズが関わったことことでも有名な作品です。
社長のブッシュネルから回路を減らすことを命じられたジョブズは、後にアップルを一緒に立ち上げることになるスティーブ・ウォズニアックを勝手に社内に招き入れ、ウォズニアックに20〜30個も回路を減らしてもらうことに成功します。
しかし、この構造がウォズニアックにしか分からないほど難解で、ジョブスは手直しを求められオロオロ…。
結局またウォズニアックに泣きつき事なきを得た、という何とも情けないエピソードです。

しかもこの仕事の成果報酬を山分けすると約束していましたが、アタリから出た報酬5,000ドルに対し、ウォズニアックには350ドルしか渡さなかったそうです。

「マーブルマッドネス」

アタリゲームズから発売されたアーケードゲーム(後にPCや家庭用ゲーム機にも移植)です。
ゲームとして初めてC言語で開発された、初めてBGMがモノラルからステレオになった、初めてFM音源が使われたなどゲームの歴史的に重要な一作として知られています。

ゲームの内容はビー玉のような球体を操作して、様々な障害物や段差のあるコースを制限時間以内にクリアするというものです。
2人同時プレイもでき、競争することもできました。
日本ではPCやメガドライブで発売されましたが、メガドライブ版は本家から大きく改変されていたようです。

「ガントレット」

アタリゲームスから発売されたアーケードゲームで、日本ではナムコから発売されています。
今で言う見下ろし視点のTPSで、次々と襲ってくるモンスターを倒しながら、延々とダンジョンを潜っていくゲームです。
最大4人までの協力プレイができ、4つの職業(戦士・女戦士・魔術師・妖精)をそれぞれ1人が担当しますが、それぞれステータスや攻撃方法に違いがあります。
この作品は続編も製作され、2005年までシリーズが継続していました。

「ピットファイター」

アタリゲームズから発売されたアーケードゲームで、日本ではこちらもコナミから発売されています。
対戦格闘ゲームで実写を取り込んだ初めての作品で(ゲーム全体では2作目)、その後の実写取り込み作品に大きな影響を与えた作品とされています。
日本でもそれなりにヒットし、メガドライブに移植もされていますが、「残虐行為手当」「タフすぎてソンはない」などの独特すぎる日本語センスでネタにされる作品でもあります。

アタリが発売したゲーム機

ホーム・ポン(HOME-PONG)

大ヒットした「ポン」を家庭用ゲーム機化したものです。
アタリの初めての家庭用ゲーム機で、既に発売されていた「オデッセイ」などと合わせてゲーム機の第1世代と呼ばれています。
この時代のゲーム機は最初から入っているゲームしかプレイできず、「ホーム・ポン」も「ポン」専用のゲーム機でした。

Atari 2600(Atari VCS)

アタリが1977年に発売した、カートリッジを差し込むことで様々なゲームが楽しめる第2世代ゲーム機です。
当初は通称として「Atari VCS」と呼ばれていました。

発売当初はあまり売れずに苦戦しますが、日本で大ヒットしていた「スペースインベーダー」を移植することで注目を集め、その後もアクティビジョンなどのサードバーティーのソフト参入もあってアメリカで爆発的人気となり、第2世代では最も人気のあったゲーム機です。
しかし、アタリショックによって市場が崩壊し、次世代機であるAtari 5200への引継ぎも上手く行かなかったことで、アタリのゲーム機はどんどん売れなくなっていきます。

Atari 400 /? Atari 800

アタリが1979年に発売した、ホビーパソコンです。
「8ビット・コンピュータ」などとも呼ばれています。

元々アメリカでは家庭用ゲーム機は一過性のブームと捉えられており、その後流行するのはホビーパソコンだと分析されていました。
実際にアタリショック後、アメリカではゲーム機からホビーパソコンに流れる人が増えるのですが、そんなホビーパソコンとしてアタリから売り出されたのがAtari 400とAtari 800です。
400と800はメモリサイズの違いによるもので(初期400は8Kバイト、800は16KバイトのRAMを搭載)基本設計は同じ物。
このシリーズは累計400万台売れ、Atari 2600には遠く及ばないものの、商業的には一応成功を収めています。

アタリ・リンクス(Atari Lynx)

アタリ・リンクスはアタリコープから発売された携帯型ゲーム機です。
1989年発売とゲームボーイと同時期の発売でありながら、4,096色カラー液晶、スプライトの拡大縮小回転のハードウェア処理、通信ケーブルを用いた8人同時参加プレー、PSPのような時代を先取りしたデザインなどスペック自体はゲームボーイよりも遥かに優れた物でした。
しかし、駆動時間が短く、大きさや重さも携帯ゲーム機史上最大という欠点を抱え、強みだったカラー液晶という特徴もセガのゲームギアが登場したことでなくなってしまいます。
結局世界で200万台の売り上げにとどまり、アタリ・リンクスは1994年に販売終了しています。

アタリ・ジャガー(Atari Jaguar)

アタリ・ジャガーはアタリコープから発売された据え置き型ゲーム機です。
ニンテンドー64やプレイステーション、セガサターンなどと同時期に発売された家庭用ゲーム機で、この時期はゲーム機戦争とも呼ばれ、上記3機種以外にも様々なゲーム機が発売されていました。
そんな激しいゲーム機戦争に満を持して投入したアタリ・ジャガーでしたが、結果は世界で25万台しか売れず、世界で3番目に売れなかったゲーム機とされています。

また、ゲーム機自体の評価も低く、“64ビットシステム”と売り込まれていたにも関わらず「実質32ビット機」だったり、コントローラーが独特すぎる形状で「最悪なコントローラーTOP10入り」、コントローラーと本体の接続が外れやすく「ネズミが家のどこかで屁をしたら抜け落ちる」と散々な評価を受けました。
これ以降アタリコープはゲーム機事業から撤退し、2017年の「Atari VCS」の発表までアタリの名を冠するゲーム機は姿を消すことになります。

ゲーム業界のレジェンド、アタリは再浮上できるのか?

世界初のゲーム会社として、初期はものすごい成功を収めたアタリですが、それ以降はなかなかうまくいかない会社という感じがしますね。
成功も豪快なら失敗もかなり豪快で、話題に事欠かない会社です。

でも失敗しても失敗しても会社名が消滅しないというところは、やはりゲーム業界にとってレジェンドといったところ。
2019年に久々にアタリの名を冠する「Atari VCS」が発売されますが、これは果たして上手くいくのでしょうか…?
日本では話題になっていない「Atari VCS」ですが、ちょっと注目してみたいですね。

Atari VCS: Atari Vault Games Teaser.

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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