ヴィック・ムニーズ:アートの素材はゴミでも何でも

※リオ・デ・ジャネイロのスラムに住まう女性

ヴィック・ムニーズは、ブラジルの芸術家。作品を作り上げる素材は、ダイアモンド、砂糖、糸、チョコレート、ゴミなどを使い創り上げる。彼のアート活動を映画化した「ゴミアートの奇跡」というドキュメンタリー映画が2010年に発表され、アート作品で社会を変えるという取り組みが世界から注目を集めた。

世界最大の貧富が生み出す犯罪。

ブラジルには世界最大の貧富の差があるといわれています。6割の国民が平均所得の1/2以下という貧困層であり、さらに毎月最低賃金である70ドルの半分以下で生活する極貧困層が3割、約5000万人いるという数字もあります。この最も大きい理由の1つには、「地域」による問題があります。ブラジルの南東部は豊かな地域ですが、北部では干ばつなどが起こり、未開発の地域が多くあります。こういった問題は多くの社会問題を引き起こしており、教育機会が与えられない15歳以下の子供が2000万人にものぼるとされているのです。こういった貧困の問題はストリート・チルドレンの増大や犯罪を呼び起こし、リオ・デ・ジャネイロでは犯罪被害者が人口の4割というとてつもない治安の悪さを作りだす大きな原因ともなっています。政府もこうした状況に対して格差の縮小させる政策を打ち出しています。2003年から導入された「ボウサ・ファミリア」という児童手当もその1つで、一定の子供に教育機会を提供しています。しかしながら、このブラジルの貧困問題にはまだ根本的な解決策が示されているとは言い難い状況にあります。

ジャウジン・グラマーショのカタドール

かつてブラジルには「ジャウジン・グラマーショ」という世界最大のゴミ処理場がありました。巨大都市リオ・デ・ジャネイロなどからゴミがこのジャウジン・グラマーショに集まってきていました。その広大さは圧倒的であり、かつてはこの土地にトラックが次々とやってきてはゴミを置いていきました。そのゴミはほとんど分別されておらず、ゴミの山にどんどん積み上げられていきます。ここで働くのが「カタドール」というゴミの分別を行う人々です。かつてフィリピンのマニラにあった「スモーキー・マウンテン」のようにストリート・チルドレンが行うようなものではありません。カタドールは敷地内にあったバラックで生活を行う正規労働者であり、賃金をもらって生計を立てていました。社会的な役割をしており、自治組織を立ち上げて相互扶助の関係性もありました。もちろん、貧しい生活ではありますがしっかりとした主張を持っており、この境遇から抜け出すための方法を考え、何が必要なのかという模索を行っていました。彼らは日々、そのゴミの山からペットボトル・金属・紙などのリサイクル可能な素材を拾い集めます。「乞食でも売春婦でもない」という微かな誇りがカタドールにはあります。「自分の仕事は環境汚染が防ぐことにつながる」「私たちは麻薬や売春などに手を染めずに生活をしている」しかしながら、カタドールはリオ・デ・ジャネイロの人々からは社会人としては到底認められるはずもない存在でした。ジャウジン・グラマーショの7000万トンというゴミの山から見た景色は彼らの夢を打ち砕くのに十分だったといえるでしょう。こういった状況のジャウジン・グラマーショに1人の芸術家が訪れます。その芸術家の名前はヴィック・ムニーズ。彼の存在がこのジャウジン・グラマーショで働くカタドールの多くの人生を変えることになりました。

銃弾を受け、ニューヨークで成功したヴィック・ムニーズ

ヴィック・ムニーズは1961年にブラジルのサンパウロで生まれました。最初は彫刻家として芸術活動を始めます。ある喧嘩の仲裁をしようとした際に足に銃弾を受けてしまいます。その賠償金でニューヨークに行き、やがて写真表現などの作品を生み出すようになりました。歴史的な報道写真や、美術の名作を再現したものを発表し非常に高い評価を受けています。彼は社会的なテーマを身近な素材で表現しようとする手法で注目を集め、その素材は砂糖、糸、チョコレート、ピーナッツバターなどが使われました。ジャムやピーナッツバターで作られた「モナ・リザ」、チョコレートシロップによる「最後の晩餐」、ダイアモンドで作られた「マリリン・モンロー」などの作品が有名で、商業的にも大成功を収めました。そして、活動拠点としていたニューヨークのブロンクスから故郷であるブラジルのリオ・デ・ジャネイロへ旅をします。ここで、ヴィック・ムニーズはジャウジン・グラマーショにたどりつくことになるのです。

一瞬だけでいいから、この日常から連れ出したい

もともと裕福でない家庭で育ったヴィック・ムニーズは、ゴミ処理場で働くカタドールの姿に美しさを見出しました。彼は考えます。「カタドールとして働く彼らを、一瞬でも良いから別の世界に連れ出すことができればその人生を変えることができるかもしれない。」かつて故郷のブラジルで不遇な生活をしていたヴィック・ムニーズは賠償金を手に入れてニューヨークに行った若き日のことを重ねたでしょうか。ブラジルの社会には貧困の問題が常につきまとっています。その根本の問題は教育にあるとされています。ゴミの山から一生離れることができないカタドールに自分の意志でどうにか人生を変えて欲しいという想いを伝えたかったのでしょうか。ヴィック・ムニーズはカタドールを作品にしてその売上を彼らに還元するというアイデアを思いつきました。何人かのカタドールにポーズをさせ、写真を撮り、その写真をジャウジン・グラマーショにあるゴミの素材で再現して作品を創り上げるというものです。この様子はドキュメンタリー映画にもなり「ゴミアートの奇跡」というタイトルで発表されました。ルーシー・ウォーカー、ジョアン・ジャルヂム、カレン・ハーリーが共同で監督を行い、ヴィック・ムニーズのジャウジン・グラマーショにおける2年間のアート活動が記録されています。この映画は世界中から多くの共感を呼び、第83回アカデミー賞で「長編ドキュメンタリー映画賞」にノミネートされるほどの作品となりました。

アートで他人の人生を変える

ヴィック・ムニーズはカタドールと協力し、ゴミを素材に作品を創り続けます。自分がモチーフになった芸術作品が完成した時には、カタドールたちは喜び、感動します。こういったシーンは「ゴミアートの奇跡」でも映像として表現されており、その表情は彼らに生きる喜びを再認識させるものです。そうして出来上がった作品はロンドンのオークションで天文学的な金額で売買されていきます。ヴィック・ムニーズはそのオークションで得たお金をカタドールたちに還元していきます。最初は、ヴィック・ムニーズに懐疑的であったカタドールたちもこの衝撃を受け、カタドールたちは「変容」していきます。「ゴミでさえ、芸術作品に生まれ変わる」という事実にもしかしたら自分たちを重ねたのかもしれません。「別の生き方もある」という選択肢ができたときにその世界は一気に別のものとなっていきます。その結果、それが「良い」ことであるのかはわかりません。しかし、人には自分で何かを選択する自由や、多くの可能性を感じながら生活をすることで、より幸せに近づけるのではないでしょうか。ヴィック・ムニーズはアート作品を通じて、人の人生に少なからず影響を与えました。こういったヴィック・ムニーズの作品には、芸術とは単なる自己表現や娯楽ではないということを伝えてくれます。ヴィック・ムニーズが、ジャウジン・グラマーショのゴミの山に踏み込み、カタドールたちの問題から目を逸らすことなく向き合うことで現実を変えていったように、アートが他人の人生や社会を変えることができるのだという力強さを感じることができるのです。その後、ジャウジン・グラマーショは2012年6月に閉鎖されました。ヴィック・ムニーズは、人の人生や社会を変えた数少ない芸術家だといえるでしょう。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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