アンソニー・バージェス:『時計仕掛けのオレンジ』を執筆いた小説家

アンソニー・バージェスは1917年イングランドのランカシャー州に生まれた小説家です。東南アジアやアメリカ、中央ヨーロッパなど各地を転々としながら執筆活動を進め、『時計仕掛けのオレンジ』を発表したことで有名な人物です。そんなアンソニー・バージェスの人生と作品について詳しく解説していきます。

■アンソニー・バージェスとは

※イングランドのマンチェスター

アンソニー・バージェスは1917年イングランドのマンチェスターに生まれました。大恐慌のさなかに生まれ育ったものの、両親はタバコとアルコールの店を運営し一定の需要があったため、経済的に余裕のある生活を送ることができていたといわれています。しかし1918年にはスペイン風邪で母エリザベスと妹ムリエルを亡くしたことで、父と息子の間には亀裂が入るようになっていきます。

その後バージェスは母方の叔母アンブロムリ―に育てられることになり、その間父親は牛肉市場で簿記係として働き、夕方にはパブでピアノを弾きながら生計を立てる日々が続きました。その後父はそのパブの女主人マーガレット・ドワイアーと結婚したものの、1938年父ジョセフは心不全で亡くなり、またバージェスの継母もまた1940年心臓発作で亡くなっています。

こうした家族の不幸が重なったのにもかかわらず、バージェスは学業優秀で知られており、マンチェスターのビクトリア大学で英語と文学を学び、優秀な成績で卒業。その後1940年には陸軍に入隊し、王立陸軍医療部隊に所属。その後終戦後1946年には曹長の階級で群を去り、ウォルバーハンプトン近くの中西部教育学校とプレストン近くの教師養成大学で講師を務めるようになります。

※画像はイメージです

1950年後半にはハンベリー・グラマー・スクールで英文学を教える中等学校の教師となり、またその一方でスポーツや演劇クラブなどを運営。こうしたバージェスの活動に地元の人々が参加したことで、徐々にバージェスの活動の幅は広がっていきました。

1954年にはマレーシアに移って教職に就き、また1958年にはさらにブルネイに滞在。英文学を教えていたものの、大量の飲酒や東南アジアの気候などで体調を崩していき、ついには歴史の授業の際に倒れてしまいます。その時手術不能な脳腫瘍をもっていると診断され、1959年にはイギリスに帰国。その後バージェスは回復し、専業作家となることを決意するのでした。

その後さまざまな作品を執筆したのち、プリンストン大学やニューヨーク市立大学で教鞭をとったのちコロンビア大学やノースカロライナ大学、バッファロー大学などで創作を教えるなど、教鞭をとる日々を送ったものの、1993年11月22日には肺がんで死去。76歳の生涯を閉じることとなります。

■アンソニー・バージェスの作品と作風

アンソニー・バージェスの作品は、『時計仕掛けのオレンジ』をはじめとして古いゴロ合わせや俗語などをマジ合わせた「ナッドサット」言葉など新しい表現を取り入れている点が特長的です。こうした作風の背景にはバージェスがさまざまな土地を転々としたこと、またその中でさまざまな階級の人々に出会ったことが影響しているのかもしれません

そんなアンソニー・バージェスの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介いたします。

・『時計仕掛けのオレンジ』 1962年

本作は1962年に発表された作品で、バージェスがジブラルタルに派遣されていた際の出来事がきっかけとなった作品です。

バージェスは妻リンとともにイギリス陸軍の軍事教育部門の職務にあたるためにジブラルタルに赴任したものの、そこで妻リンがアメリカ軍の脱走兵に凌辱され、暴行をうける事件が起きてしまいます。バージェスはすぐに帰国願を出したもののその願いが聞き届けられることはありませんでした。結局バージェスはイギリスに戻ったのち、海水浴場で有名な街イースト・サセックスのホヴで3週間かけて本作を執筆することになります。また1972年にはスタンリー・キューブリックによって映画化されたことでも話題になりました。

舞台は近未来のロンドン。15歳の少年アレックス・デラージはクラシック音楽を好む一方、不良グループのリーダーとして仲間たちと毎晩集まっては町に繰り出し暴力行為を繰り広げていました。挙句の果てに親切な作家の家に押し入って暴れまわり、そして彼の前で妻に性的暴行を加えるなど、その行動は常軌を逸していました。

そんな暴力を繰り返していたある日、アレックスは「誰がリーダーか」という問題をめぐって喧嘩を繰り広げ、そのまま強盗に出向くことに。そこでアレックスは気持ちを持て余し、オブジェで女主人を殴り殺してしまいます。女性が死んでいることに気が付き、あわてて屋敷から出ようとするアレックスだったものの、仲間たちはアレックスを殴りつけ、そしてアレックスだけを置き去りにして逃亡するのでした。

アレックスは逮捕され、度重なる悪行と殺人容疑から懲役14年が確定します。アレックスはそれから牧師に媚びを売っては模範囚を演じており、その姿を見た内務大臣は「ルドヴィコ療法」の被験者になれば刑期を短くすると取引を提案。早く出所したいアレックスはすぐさまその取引を受け入れるのでした。

しかし「ルドヴィコ療法」は想像以上に過酷な治療であり、投薬された状態で拘束服を着せられ、目を閉じられない状態でひたすら残虐な映像を見せられるというものでした。そのBGMにはアレックスのお気に入りベートーヴェン交響曲第9番であり、治療の結果アレックスは暴力はもちろん、ベートーヴェンの音楽を聴くことさえできなくなってしまいます。出所したのち街に出たアレックスでしたが、そんな彼には驚くべき結末が待っていました。

■おわりに

アンソニー・バージェスは1917年11月22日イングランドに生まれた小説家で、『時計仕掛けのオレンジ』を執筆したことで知られる人物です。その作品は東南アジアやアメリカ合衆国、中央ヨーロッパなど各地に滞在した経験と、軍所属時代に経験した恐ろしい経験から執筆されており、人間の善悪について読み手に問いかける内容となっています。『時計仕掛けのオレンジ』は映画があまりにも有名ですが、原作で読むのも新しい発見があるかもしれませんね。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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