アンソニー・マン:『遠い国』『ローマ帝国の滅亡』を制作した映画監督

(Public Domain/‘The Far Country (1954) still 1 (cropped)’ by unknown (Universal Pictures). Image via WIKIMEDIA COMMONS)

アンソニー・マンは1906年6月30日アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴに生まれた映画監督です。当初は俳優として活躍していたものの、監督業に進出。西部劇を中心とするヒット作を連発して、ハリウッド黄金期を築き上げました。そんなアンソニー・マンの人生と作品について詳しく解説していきます。

■アンソニー・マンとは

※アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ

アンソニー・マンは1906年6月30日アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴに生まれました。マンの両親結婚後まもなくサンディエゴのヒッピー・コミュニティに加わるようになり、そこでは子どもは両親と話されて育てられていました。マンが3歳の時両親は父親の母国であるオーストリアに戻り、病気の治療を受けることになるものの、父の帰国は叶わず、マンと母親はニュージャージー州ニューアークで経済的に苦労しながら働かざるを得ませんでした。その後ニューアークのセンター・ハイスクールに進学するも、上級学年で中退しています。

その後マンはニューヨークに引っ越し、昼は舞台を踏み、夜も仕事をこなす日々が続きました。1920年代からは俳優として働く一方、さまざまな証券会社で働き、1934年には自身の会社を設立しています。1937年にはセルツニック・インターナショナルピクチャーズでスカウトやディレクターとして働くようになり、その際取り組んだ仕事の中には『トムソーヤ―の冒険』や『レベッカ』などが含まれていました。

1942年にはパラマウントで監督デビュー。西部劇を中心とした作品を制作する一方、1961年には『ローマ帝国の滅亡』を制作し、歴史的大作にも挑んでいます。そうして精力的に制作活動に取り組んでいたマンでしたが、1967年ベルリンで『殺しのダンディー』を撮影中に心臓発作で急死。60歳の生涯を閉じることになります。

■アンソニー・マンの作品

アンソニー・マンの作品の特長はジェームズ・スチュアートとともにコンビを組み、1950年代黄金期の西部劇を制作した点といえます。マンはヒット作となる西部劇を何本も制作し、その後の映画監督たちに大きな影響を与えました。その一方『ローマ帝国の滅亡』をはじめとした歴史的大作にも挑むなど、ジャンルを超えた作品にも取り組んでいる点は特筆に値します。

そんなアンソニー・マンの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品についてご紹介します。

・『復讐の荒野』 1950年

(Public Domain/‘Theatrical release poster for the 1950 film The Furies.’ by “Copyright 1950 by Paramount Pictures”. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1950年に制作された作品で、マンの代表的な西部劇作品です。またウォルター・ヒューストンの遺作となったことでも知られています。

1870年のニューメキシコ。ジェフォーズは「フューリーズ」と呼ばれる広大な土地を所有する牧場主であり、独りよがりな男として知られていました。自身の土地の中ではドルではなく「TC」という地域通貨で取引しており、自分の土地に無許可で暮らす人間に対しては家を焼き、時には縛り首にするなど残忍な性格も見せていました。

その一方ジェフォーズの娘ヴァンスは父親にそっくりでありながら、父親に物おじせず堂々と自分の意見を主張する性格でした。不法占拠者のメキシコ人エレラをジェフォーズが追い出そうとした際にも、幼馴染である彼女をかばいヴァンスは真っ向から対立。そうしてたびたび衝突しながらも、ジェフォーズは娘を可愛がっており、牧場を娘に継がせるつもりでいました。

そんなヴァンスが結婚相手に選んだのは、ジェフォーズがかつて土地を奪うために殺した男の息子で、銀行家のリップ・ダローでした。ヴァンスは父親にリップを紹介するものの、「娘から手を引けば5万ドルやる」といわれてその金を受け取り、去ってしまいます。リップは父親の復讐からヴァンスに近づいたのであって、そこに愛はなかったのです。傷ついたヴァンスは牧場経営に没頭するものの、父娘には思いがけない結末が待っていました。

・『怒りの河』 1952年

(Public Domain/‘Stepin Fetchit (left) & Chubby Johnson in Bend of the River – publicity still’ by unknown (Universal Pictures). Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1952年に制作された作品で、ジェームズ・スチュアート主演で制作された作品です。

グリン・マクリントックはかつて無法者だったものの、今はオレゴン州へ移動する開拓団の案内人の仕事についていました。そんなある日、グリンは縛り首にされかけている男を発見。すんでのところで助けたものの、彼はエマーソン・コールという無法者で悪名高いことで知られていました。グリンは一行を引き連れてポートランドまでやってきたもの、コールは賭場へ行ってしまいます。

それから冬が訪れ、開拓団長のジェレミーとグリンは土地の顔役ヘンドリックスと契約した食料がなかなか届かないのを不審に思っていました。様子を見にポートランドに向かうと、砂金景気に集まった人足たちにその食料が売られており、開拓団の分はなくなってしまっていました。グリンは食料を奪おうとするものの、コールはそんなグリンを殺そうとします。

・『ローマ帝国の滅亡』 1964年

※画像はイメージです

本作品は1964年に制作された作品で、古代ローマ帝国を舞台にした壮大な歴史物語を描いた作品です。総勢130人という空前絶後のオーケストラで演奏された劇中音楽が評判となり、ゴールデングローブ音楽賞を受賞したことで話題になりました。

領土を拡大し、世界帝国となったローマ帝国も五賢帝の時代に入り、帝国の維持に力を回さざるを得なくなっていました。そんななか病床のアレリウス帝は後継者の選定に悩んでいました。息子のコンモドゥスはあまりにも暗愚であり、有能な軍人リヴィウスに禅譲することに決めるも、指名する直前にアレリウス帝は侍従によって暗殺されてしまいます。

そんな中ローマに対し蛮族ババリアの叛乱が起こり、リヴィウス率いるローマ軍はこれを撃退。しかしアレリウス帝の跡を継いだコンモドゥスは捕虜を虐待し、蛮行の限りを尽くしたことから、姉のルシラを激怒させ、暗殺しようとします。その際コンモドゥスの父親が先帝でないことが発覚。コンモドゥスはその事実を知るヴェルルスを暗殺してしまいます。

コンモドゥスはルシラとリヴィウスの処刑を決意したものの、その前にリヴィウスと自分の決闘の機会を設け、その決闘でリヴィウスが勝利。リヴィウスはルシラと勝利を喜び合います。

■おわりに

アンソニー・マンはアメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴに生まれ、西部劇の黄金時代を築いたことで知られる映画監督です。その一方で壮大な歴史劇も制作しており、ユニークな制作スタイルを続けていたといえるでしょう。西部劇に関心のある方は、ぜひアンソニー・マンの作品を鑑賞してみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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