アンリ・ヴェルヌイユ:アクション映画からヒューマンドラマまで手掛ける映画監督

(Public Domain/‘100th anniversary of Henri Verneuil (Ashot Malakian)n’ by Vahagn Mkrtchyan (HayPost). Image via WIKIMEDIA COMMONS)

アンリ・ヴェルヌイユは1920年10月15日トルコのテキルダーに生まれた映画監督です。マルセイユに移住したのち、短編映画を制作するようになり、徐々に国際的に評価されるようになっていきました。そんなアンリ・ヴェルヌイユの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品についてご紹介します。

■アンリ・ヴェルヌイユとは

※トルコのテキルダー

アンリ・ヴェルヌイユは1920年10月15日トルコのテキルダーで生まれました。本名はAshot Malakianといいアルメニア系の家系であったこともありトルコ政府から弾圧を受け、マルセイユに移住。エクサン・プロヴァンスの工芸学校を1943年に卒業し、1944年からは「Horizon」誌のジャーナリストとして働くようになります。

そんなヴェルヌイユの転機となったのは、1947年に大スターのフェルナンデルに出会ったことでした。フェルナンデルはフランスの喜劇俳優にしてシャンソン歌手であり、ひょうきんな馬面とその名演技からフランスが生んだ最大のコメディアンとも称されています。そんなフェルナンデルが主演の短編作品「Escale au soleil」を監督し、その後数々の短編映画を監督。1950年にはアンドレ・メサジェ作曲のオペレッタ『ヴェロニク』の映画版である『ヴェロニク』の助監督も経験し、1952年には『La Table aux creves』で長編監督デビュー。1954年のフェルナンデル主演『Le Mouton a sinq pattes』はロカルノ国際映画祭を受賞し、アメリカでも評判となり1956年にはアカデミー賞脚本賞にノミネートされました。

※画像はイメージです

そうしてフランスを代表する映画監督としてその名が知られるようになっていたヴェルヌイユでしたが、1950年代末には『カイエ・デュ・シネマ』の主催者であったアンドレ・パザンの薫陶を受けた若い作家たち「ヌーヴェルヴァ―グ」たちが台頭すると、徐々に表舞台から遠ざかるようになっていました。しかしジャン・ギャバンが主演する『地下室のメロディー』で復活し、その後はギャバンやベルモンド、アラン・ドロンたちが主演とする刑事ものの作品で再評価されるようになります。

1979年にはイブ・モンタン主演の『I…comme Icare』 が翌年のセザール賞で監督賞を含む5部門にノミネート。1982年には『Mille milliards de dollars』を発表し高い評価を受けるものの、公開から5か月後に主演のパドリック・ドヴェールが自殺してしまいます。そのショックは大きくヴェルヌイユはしばらく仕事から遠ざかっていましたが、1984年にはミシェル・オディラール脚本による戦争コメディ『大喰らい』を発表。その後は映画業界から距離を置くようになります。

晩年はマルセイユに移住したことの思い出を元にした『Mayrig』 、また『588, rue Paradis』をクラウディア・カルディナーレとオマー・シャリフの主演で監督しその後は闘病生活に専念することになります。その長年の闘病生活にもかかわらず、2002年1月11日にはバニョレの病院で死去。パリ聖ジャン=バチスト・アルメニア教会で執り行われた葬儀にはシャルル・アズナブールやピエール・カルダンをはじめとする著名人たちが参列しました。

■アンリ・ヴェルヌイユの作品

アンリ・ヴェルヌイユはヌーヴェルヴァ―グを代表するエリック・ロメールやアレクサンドル・アストリュックと同世代に生まれましたが、そうした映画監督たちと比べると作風は堅実なもので、戦前のフランス映画を思わせるような作品に仕上がっています。

そんなヴェルヌイユの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品についてご紹介します。

・『ヘッドライト』 1956年

※画像はイメージです

本作品は1956年に制作された作品で、1986年には日本の蔵原惟繕監督がリメイク作品『道』を制作したことでも有名です。

トラック運転手のジャンは長時間運転の疲れを取るべく、国道沿いの『ラ・キャラバン』という宿屋に立ち寄ります。ジャンは二年前のクリスマスの夜もこの宿屋に仮眠をとるべく立ち寄っており、ジャンは宿屋のウェイトレスで20歳のクロに恋心を抱いていました。

ジャンはパリの下町で妻子と暮らしていたものの、妻や長女とは諍いが絶えず、徐々にクロと深い中になってしまいます。そんな中ジャンは会社の上司ともめて首になってしまいますが、クロはジャンの子どもを身ごもってしまいます。クロはジャンに子どものことを伝える手紙を書くものの、その手紙がジャンに届くことはありませんでした。

クロはパリに出てジャンの失業を知り、失望したクロは怪しげな堕胎の手術を受けてしまいます。一方家族に不倫を気づかれたジャンは身一つで家を出て、家畜運搬の仕事を引き受けるようになります。そんなジャンを見つけたクロはジャンのトラックに乗り込みますが、途中の『ラ・キャラバン』にたどり着いた時クロはすでにこの世の人ではありませんでした。

そんな回想をしていたジャンは『ラ・キャラバン』の店主に起こされ、再びトラックに乗り込みます。ジャンはパリの家族の元に戻り、運転手としての毎日を淡々と過ごすことになります。

・『地下室のメロディー』 1963年

※画像はイメージです

本作品は1963年に制作された作品で、1963年のゴールデン・グローブ賞外国語映画賞を受賞した作品です。

老獪なギャングのシャルルは生涯最後の仕事としてカンヌのカジノから10億フランを強奪する計画を立てます。その仲間としてチンピラの青年フランシスとその義兄にあたるルイを仲間に引き入れ、フランシスは金持ちの青年を装ってカンヌのホテルに滞在しながらカジノの舞台裏に出入りする口実を作り上げます。

カジノのオーナーが売上金を運び出す日を調べ上げたシャルル達は、その日に地下金庫を襲撃。10億フランの札束をバックにつめてホテルを出るものの、アクシデントが起こり、フランシスの正体がばれそうに担ってしまいます。計画の急な変更から混乱するも、隠し場所からバッグを持ち出したフランシスでしたが、またしても盗んだ金が人々の目に触れる事態に見舞われます。札束を見た人々は騒ぎ出し、フランシスとシャルルはもはやなすすべもなく札束を見つめるしかできませんでした。

■おわりに

アンリ・ヴェルヌイユはトルコのテキルダーで生まれ、マルセイユに移住したのち、ジャーナリストを経て映画監督としてデビューした人物です。同時代に生まれたヌーヴェルヴァ―グの映画監督たちが革新的な表現技法で映画作品を制作した一方で、ヴェルヌイユの表現は堅実かつ戦前のフランス映画を引き継ぐものであり、徐々に再評価されていきました。

晩年の1996年にはそのキャリアをたたえセザール賞名誉賞を受賞され、50周年のキャリアを振り返ったドキュメンタリー映画も公開されました。こうした意味ではフランス映画界を牽引した映画監督のひとりといえるでしょう。フランス映画に興味のある方は、ぜひヴェルヌイユの作品を鑑賞してみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧