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ヴァージニア・ウルフ:『ダロウェイ夫人』『灯台へ』を制作したモダニズム文学の小説家

(Public Domain/‘Portrait of Virginia Woolf (January 25, 1882 – March 28, 1941), a British author and feminist, with her chignon.’ by George Charles Beresford Restored by: Adam Cuerden. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

ヴァージニア・ウルフは1882年1月25日イギリスのロンドンに生まれた小説家です。『ダロウェイ夫人』や『灯台へ』『オーラントー』など20世紀モダニズム文学の代表作となる作品を執筆したことで知られています。そんなヴァージニア・ウルフの人生と作品について詳しく解説していきます。

■ヴァージニア・ウルフとは

ヴァージニア・ウルフは1882年1月25日イギリス・ロンドンに生まれました。父レズリー・スティーブンは歴史家、伝記作家、批評家として活動するほか、『英国人名辞典』の編纂者としても活躍しており、スティーブン家には膨大な蔵書が所蔵されていました。ウルフやその姉妹ヴァネッサは書斎で古典や英文学を学び教養を高めていったものの、兄弟にあたるエイドリアンとトビーは正規の教育を受け、ケンブリッジ大学で学んでいました。ウルフはこうした男女の性の違いを残念に思っていたといわれています。

1885年には母が48歳で急死し、また2年後には異父姉のステラが亡くなったことにより、ウルフは神経衰弱を発症。しかし1879年から1901年にはロンドンのキングス・カレッジの女子部でギリシア語、ラテン語、ドイツ語と歴史について学び、いくつかの科目は学位レベルまで学びを深めていました。しかし1904年に父が72歳で亡くなったことが神経衰弱に拍車をかけ、一時は入院治療を必要とするまでになってしまいます。

(Public Domain/‘Engagement photograph, Virginia and Leonard Woolf, 23 July 1912, a month before their wedding. Photograph taken at Dalingridge Place, the Sussex home of Virginia’s half-brother, George Duckworth’ by Unknown author. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

そんな中ヴァネッサとエイドリアンはハイドパークゲート22番地の家を売却し、ブルームズベリー地区ゴードンスクエア46番地に家を購入。ここでウルフはリットン・ストレイチーやロジャー・フライら、ブルームズベリー・グループとして知られる著述家や芸術家たちと知り合うようになり、1912年には作家のレナード・ウルフと結婚。レナードは経済的に不安定であったのにもかかわらず、2人は強い絆で結ばれていきました。

夫との関係に加えて、ウルフを支え続けたのは作家活動でした。幼いころから書くことを心の支えとしていたウルフは、1900年にタイムズ・リテラリー・サプルメントにブロンテ一家の故郷ハワースについての記事を執筆。その後も著名な知識人のひとりとして小説や評論の発表を続け、一般の人々はもちろん、批評家からも高い評価を得るようになっていきました。

しかし『幕間』の原稿を完成させた後、ウルフは以前経験したのにも同様の総鬱状態に陥り、仕事ができない状態に追い込まれてしまいます。当時第二次世界大戦が勃発し、ロンドン大空襲によって家が破壊。また出版した友人のロジャー・フライの伝記の評判が芳しくなかったことが、症状を悪化させたものとみられています。

1941年3月28日にはコートのポケットに石を詰め、自宅近くのウーズ川に入水自殺。59歳の生涯を閉じることになります。

■ヴァージニア・ウルフの作品と作風

ヴァージニア・ウルフは英文学において重要な人物と見なされており、「人間の意識は動的なイメージや観念が流れるように連なったものである」という考え方に即した「意識の流れ」手法を用いて登場人物たちの心理を深く掘り下げ、高い評価を得ました。ウルフの作品は1970年代のフェミニズム文芸批評によって再評価され、現代においてもモダニズム文学の重要な作家に位置付けられています。

そんなヴァージニア・ウルフの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品をご紹介いたします。

・『ダロウェイ夫人』 1925年

※画像はイメージです

本作は1925年に発表された作品で、第一次世界大戦後のロンドンでクラリッサ・ダロウェイの一日を「意識の流れ」の手法で描いた作品です。

クラリッサ・ダロウェイはロンドンの自宅で夜会を開く当日の朝、一人で外出。その間田舎での少女時代を思い出したり、自身の結婚について思い悩んだりして一日を過ごしていきます。クラリッサはリチャード・ダロウェイと結婚したものの、過去にピーター・ウォルシュのプロポーズを断ったこともあり、もしウオルシュと結婚していたらとクラリッサは思いを巡らしていきます。

その一方戦争のトラウマに苦しむセプティムス・ワーレン・スミスはイタリア人の妻と共に公園でひと時を過ごしていました。セプティムスには幻覚の症状があり、特に戦死した友人の記憶に苦しめられていました。症状が悪化したセプティムスは精神病院に入院させられることとなり、窓から飛び降り自殺を遂げてしまいます。

夜になり夜会が始まると、クラリッサはセプティムスの自殺を知り、自らの死への衝動を彼が果たしてくれたのだと思って心の動揺を抑えていくのでした。

・『灯台へ』 1927年

※画像はイメージです

本作は1927年に発表された作品で、1910年から1920年までに訪問したスコットランドにあるスカイ島での出来事が語られる作品です。

舞台はヘブリディーズ諸島のスカイ島にある夏の別荘。ラムジー夫人は息子のジェームズに明日こそは灯台に行けるはずだと約束したものの、夫のラムジーが明日は天気が悪くなるという言葉によって反対され、ラムジー夫妻やラムジー氏とジェームズの間に一種の亀裂を生じさせてしまいます。ラムジーと8人の子どもたちは別荘で盛大なパーティーを開き、第一章は幕を閉じます。

そして第一次世界大戦後、ラムジー夫人はこの世を去り、また子供のプル―は死産で、アンドリューは戦争で亡くなっていました。ラムジー氏は哲学を学ぶようになり、その広大さから恐怖を感じるようになり、また妻を失ったことでどうしようもない孤独感を感じるようになってしまいます。

生き残ったラムジー一家と何人かの客たちは夏の別荘に再び集まり、ラムジー氏はついに娘のカミラと息子のジェームズを灯台に連れていくことにします。準備が十分でなかったためうまくいかないかのように思えたものの、最終的には一家で灯台に赴くことになり、またジェームズはボートをうまく操作したことで父から褒められ、徐々に家族の間には親愛の情が芽生えるようになっていきました。

■おわりに

ヴァージニア・ウルフは1882年1月25日イギリスのロンドンに生まれた小説家で、『ダロウェイ夫人』や『灯台へ』といった作品を著し、モダニズム文学の重要な人物と見なされている人物です。その作品は「意識の流れ」手法を用いて登場人物の感情をより掘り下げて描写していることで評価されており、現代においても高く評価され続けています。モダニズム文学に関心のある方は、ぜひ読んでみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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