ヴィンセント・ミネリ:『恋の手ほどき』や『巴里のアメリカ人』を制作した映画監督

(Public Domain/‘Promotional photo of Vincent Minnelli’ by Earl Ostroff. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

ヴィンセント・ミネリは1903年2月28日アメリカ合衆国イリノイ州シカゴに生まれた映画監督です。当初は舞台の演出家としてキャリアをはじめたものの、その後ミュージカル映画を主とした監督業に転身。数多くのミュージカル映画をてがけました。そんなヴィンセント・ミネリの人生と作品について詳しく解説していきます。

■ヴィンセント・ミネリとは

※アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ

ヴィンセント・ミネリは1903年2月28日アメリカ合衆国イリノイ州シカゴに生まれました。高校を卒業した後はシカゴに移り、マーシャルフィールドのデパートで働いたのち、シカゴの俳優を専門とする写真館でカメラマンとして働き、これがミネリが舞台に関心を抱くきっかけとなりました。

その後舞台の演出家として仕事をはじめ、のちに映画監督に転向。1958年にはミュージカル映画『恋の手ほどき』でアカデミー監督賞を受賞したことでアメリカを代表する映画監督となっていきました。その後も数々のミュージカル映画を手がけるも、1986年に死去。83歳の生涯を閉じることとなります。

■ヴィンセント・ミネリの作品

ヴィンセント・ミネリはアメリカのミュージカル映画全盛時代を築いた立役者として知られています。カメラマンや演出などの仕事を経て制作されたミネリの作品は、ミュージカル映画としては非常に前衛的なものであり、1951年の『巴里のアメリカ人』がアカデミー作品賞を受賞したことにより、ミュージカル映画はアメリカ映画を代表する映画の一ジャンルとして認知される用意なっていきました。

そんなヴィンセント・ミネリの作品には、どのような作品が含まれているのでしょうか。主要な作品についてご紹介します。

・『若草の頃』 1944年

(Public Domain/‘Poster for the 1944 film Meet Me in St. Louis.’ by Metro-Goldwyn-Mayer (Loew’s Inc.). Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1944年に制作された作品で、サリー・ベンソンによる短編賞を映画化した作品です。1903年から1904年にかけてセントルイス万国博覧会を控えた古き良き時代のセントルイスを舞台とした作品であり、その穏やかな作風は戦争につかれた世相もあり、大ヒットしました。

セントルイス万国博覧会を翌年に控えた1903年。父アロンゾ、母アンナ、そしてローズ、エスター、アグネス、トゥーティ、ロン・ジュニアが暮らすスミス一家は、平凡ながらも満ち足りた毎日を送っていました。そんなスミス一家の次女エスターは隣に住むジョン・トゥルーイットに心寄せていたものの、その恋心にジョンが気付くことはなく、長女ローズはウォレン・シェフィールドからのプロポーズを待ち望む日々を過ごしていました。

その後ハロウィンパーティーなどを経て恋人同志になってきたトゥーティとジョンだったものの、アロンゾに突然ニューヨークへの転勤話が持ち上がり、スミス一家は引っ越すことになってしまいます。姉妹はみなそれぞれに落胆し、トゥーティは歌いながら昼間みんなで作った家族の雪だるまを次々と壊していくのでした。

その様子を見ていたアロンゾは引越しが家族に大きな影響を及ぼすことを知り、転居を取りやめにすることにします。そしてついにウォレンがローズにプロポーズ。幸せに包まれたスミス一家は、万国博覧会の夜、会場中央にあるグランド・ラグーンに無数の光がともされるのを家族で眺めるのでした。

・『花嫁の父』 1950年

(Public Domain/‘Father of the bride 1950 promo’ by Metro-Goldwyn-Mayer (work for hire). Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1950年に制作された作品で、エドワード・ストリーターの小説を原作とする作品です。子役出身のエリザベス・テイラーが大人の女性を演じ、最初の成功をおさめた作品といわれています。

バンクス一家は弁護士のスタンリー・バンクス、妻エリーと長男ベン、次男トミー、そして娘のケイに家政婦のデライラ6人暮らし。ある日ケイはバックリーという男性との結婚を語り始めるものの、スタンリーは家に出入りする軽薄な男たちばかりを想像し大反対。そんな父にバックリーは優秀なビジネスマンであると訴えて、涙を流しながら席を外してしまうのでした。

やがて好青年バックリーがデートの迎えに来るものの、スタンリーは複雑な心中を隠せずにいました。バックリーはすぐエリーと打ち解け、婚約することに。エリーは教会で結婚式をあげられなかったことを悔やんでおり、娘の結婚式の準備に夢中になっていくのでした。

スタンリーの役目はもはや結婚式の費用を払うのみとなっていたものの、当日の食事選びや両親の衣装などありとあらゆるものに費用が掛かることに唖然としてしまいます。しかしなんとか当日を迎えると、スタンリーは娘の美しさに感動。無事結婚式が執り行われ、娘夫婦を新婚旅行に送り出し、ようやくスタンリーは心の平穏を取り戻すのでした。

・『巴里のアメリカ人』 1951年

(Public Domain/‘Poster for the American theatrical run of the 1951 musical film An American in Paris.’ by “Copyright 1951 Loew’s Incorporated”. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1951年に制作された作品で、アメリカ人画家とフランス人女性の恋を描いた作品です。ミュージカル映画の傑作と称されるとともに、アメリカ国立フィルム登録簿に保存されています。

ジェリーはパリで画家として生計を立てようとしているアメリカ人。なかなか絵の勉強は進まないものの、アメリカ人ピアニストであるアダム・クックやフランス人歌手アンリ・ボウレルなどの友人に囲まれ、またモンマルトルで開いた個展をお金持ちのロバーツ夫人に認められるなど、満ち足りた生活を送っていました。

ロバーツ夫人はジェリーの保証人になってくれたこともあって、キャバレーに同行することになったジェリーだったものの、そこで清楚なパリジェンヌ、リズを見て一目ぼれ。強引に彼女の電話番号を聞き出してしまいます。

それからジェリーとリズはデートを重ねるようになったものの、リズはアンリと内々に婚約していることをジェリーに隠していました。リズは戦争によって両親を亡くし、アンリの支えで育ったこともあり、その恩義から婚約しており、アンリに対して愛情を感じてはいませんでした。やがてアンリはアメリカに演奏旅行に出発することになり、リズにプロポーズ。リズは承諾し、ジェリーは落胆する日々を送ることになります。

しかしジェリーにぞっこんだったロバーツ夫人はこれを喜び、舞踏会に彼を誘って出かけることに。そこでリズとアンリに出会い、ジェリーとリズは人影のないバルコニーで最後の別れを惜しむのでした。しかしそんな姿を見たアンリは二人が愛し合っていることを知り、自らは身を引くことを決断。晴れて二人は結ばれるのでした。

■おわりに

ヴィンセント・ミネリはアメリカ合衆国イリノイ州シカゴに生まれ、ミュージカル映画を中心にアメリカ映画史に残る作品を制作したことで知られる人物です。特に『巴里のアメリカ人』や『花嫁の父』などはその代表作として知られています。ミュージカル映画に関心のある方は、ぜひミネリ作品を鑑賞してみてはいかがでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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